別れの時を想像するだけで涙が溢れる相手に出会えたことを、心から幸せに思う。夫にはいつでも自由でいてほしいので、わたしは世話をかける前に彼の元を去りたい。所持品はできるだけ減らして、死後の手配もできることは自分で済ませておこう。
私は幸せでいるって決めた!どんなパンチも当たらなかったらノーダメージ!貧乏くじを引いたと思わず「気にしない!」スルースキルを極めてゆく!
母と過ごす飾り気のない自分でいられる時間も、夫と過ごす多少可愛こぶった自分も、どちらも本当の私だと思う。どちらも必要。でも将来ふたりを失った時、私はとても深く2回、後悔するのではないか。もっと長く、物理的な時間を共に過ごしたかった。週末婚にかぎらず、時間の使い方とは本当に難しい。
モチベーションを原動力にしないことを心がけている。巷にHow to本が出回るほど困難なものを自分にコントロールできるとは思えないし、同じ仕事でも取り組む時期によって精度にバラつきがあるというのはそれでお金を稼いでいるプロとしてNGだと思ってしまう。考えてみればネガティブな理由だ。
夫と母との二拠点生活はそれぞれ順調で、どちらとも適切な距離感を掴めている日が多いと思う。仕事も自分に合うものに変えてもらえたし、小さな達成感を積み重ねてこれからも頑張りたい。それなのになぜか、時折とても虚しさと憤りを感じる。多分それは、自分がなりたい自分になれていないからだ。
いつまで経ってもnoteに記事を投稿する勇気が出ないので、まずはつぶやきから始めてみようと思う。最近は大きな悩みごともなく幸せに過ごせているけれど、今この時に考えていることを、いつかのわたしが必要としてくれる。それなり、という言葉の意味を、もっと深く理解したときのわたしが。