少女終末旅行雑感

 少し前に漫画は読んでいたが、アニメは未視聴だったので今日一気見した。ぼやっとした感想は脳内にあったが、言語化を避けていたので今回それを行う。勢いで書く。※主観と妄想とネタバレ

 滅びかけの世界で、二人の少女は旅をする。何もかもが壊れ、終わっていく世界のなかで、彼女らはそれを受け入れ、日常とし、何気ない会話をする。終末という大きな流れの中で、食料を探したり、行き先を見つけながら放浪したりする。たまにときたまに人や、生物や、非生物と出会い、その流れの中にちょっとした波紋を作っていく。それはとてもとても小さな波紋で、すぐにかき消されてしまうようなもの。だが大きな流れ、この世界はその波紋を拒まずにいる。少女たちを受容している。ように感じた。
 ただ上へ、ということ以外には目的はない二人は、二人だけの世界を楽しんでいる、それを満足としている。
 かつてあった物、人、文化。それが着々と失われていくことがたまらなく美しいと思う。究極的な懐古なのかもしれない。影や残響でしかないそれらは、本来の姿から離れ、老い、風化する。魚の養殖施設にいた自立機械は、破壊がもたらす創造は進化かもしれないと言った。ならこの美しさは、希望なのかもしれない。積み上がり飽和したような営みを、すべてをかき乱すようにして崩壊させた後、何かが生まれる。それを期待しているのか、なんなのか。終末の美しさは定義しがたい。
 終わっていく世界でも、二人は笑っていた。それが彼女らにとって当たり前だから、とは少し違う。そうかもしれないが別の感触がある。互いが、互いのいる世界を愛しているからかもしれない。チトにはユーリが、ユーリにはチトがいる。二人ならどこへだっていけるだろう。月にだってその手はとどく。
ユーリは「絶望となかよく」と言ったが、彼女はもとより絶望などしていないだろう。チトも同じだ。そうなったのは最後だけだろう。不思議な岩にふたりでもたれた時。絶望はそこに一緒にもたれていた。

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