綿野恵太『みんな政治でバカになる』はじめに
大きな反響を呼んでいます、綿野恵太さんの『みんな政治でバカになる』。この本の「はじめに」の部分を、読者のみなさまに向けて公開いたします。「バカ」の文字にイラっと来た方も、来なかった方も、この「はじめに」をお読みいただいて、著者の意図を汲み取っていただけるとさいわいです。
はじめに
本書のタイトルは「みんな政治でバカになる」である。
「バカなんて許せない!」とイラッとした人も多いかもしれない。しかし、ちょっと待って欲しい。本は読まれなければ、意味がない。人間は「理性」よりもまず「感情」が反応することがわかっている。「バカ」という乱暴な物言いで、あなたの「道徳感情」に訴えかけて、本書を手に取ってもらったわけである。
ところで、「許せない!」という「道徳感情」は政治に大きな影響を与えることがわかっている。「思想」や「利益」以上に「道徳」に基づいて私たちは政治を判断するようなのだ。しかも、「道徳感情」は私たちに「バカ」な言動を引き起こさせる原因でもある。
二〇二〇年のアメリカ大統領選で民主党のジョー・バイデンが共和党のドナルド・トランプに勝利した。トランプは選挙に不正があったとして票の再集計を求め、その翌年にはトランプの勝利を信じる支持者たちが国会議事堂を襲撃し、多数の死傷者を出した。ドナルド・トランプが小児性愛者の秘密結社と闘うヒーローだという「Qアノン」と呼ばれる陰謀論が流行した。驚いたことに、日本においてもバイデンの当選をフェイクニュースだと唱える人びとがいた。
なぜフェイクニュースや陰謀論が後を絶たないのか。それは私たちがバカだからだ。もう少し正確にいうと、私たちには人間本性上「バカ」な言動をとってしまう傾向がある。しかも、この傾向は政治がかかわるとさらにひどくなる。注意して欲しいが、これは「民衆は愚かだ」と決めつける愚民思想ではない。専門家や知識人といった知的能力が高い人でさえ、「バカ」な言動をとってしまうからだ。
■認知バイアスゆえにバカげた言動をする
「二重過程理論」という認知科学の有力な仮説がある。人間の脳内には「直観システム」と「推論システム」という異なる認知システムがあるという説である。図にまとめたように、ふたつの認知システムにはさまざまな呼称がある。本書では読者がぱっと見てわかりやすい「直観システム」「推論システム」を採用する。
「直観システム」は、経験や習慣に基づいて直観的な判断をくだす。非言語的・自動的・無意識的であるため、素早く判断できる。しかし、間違いも多い。その間違いには一定のパターン──「認知バイアス」がある。
「推論システム」は言語的・意識的な推論をおこなう。「直観システム」に比べて間違いは少ないが、時間や労力を必要とする。ざっくりいうと、「直観システム」と「推論システム」は「感情」と「理性」と言い換えられるかもしれない。
すでにおわかりかもしれないが、「許せない!」という「道徳感情」は「直観システム」に当てはまる。「直観システム」は非常に重要な認知機能である。それなしでは私たちは日常生活を営めない。しかし、一定の間違いのパターン──認知バイアスがある。専門家や知識人といった知的能力の高い人でも、「認知バイアス」ゆえに「バカ」な言動をとってしまう(ジャン=フランソワ・マルミオン編『「バカ」の研究』田中裕子訳、亜紀書房、二〇二〇年)。
池谷裕二『自分では気づかない、ココロの盲点』(朝日出版社、二〇一三年)はクイズ形式で認知バイアスを学ぶことができる良書だが、ここから「政治」に関係する「認知バイアス」をざっと書き出してみよう。
◆後知恵バイアス 生じた出来事について「そうなると思った」と後付けする傾向
◆確証バイアス 自分の考えに一致する情報ばかりを探してしまう傾向
◆現状維持バイアス 「いままで通りでよい」と変化を好まない保守的な傾向
◆公正世界仮説 (世界は公正にできているから)失敗も成功も自ら招いたものだと因果応報や自己責任を重視すること
◆自己奉仕バイアス 成功したときは自分の手柄だと思い込み、失敗したときは自分に責任がないと思う傾向
◆システム正当化 たとえ一部の人に不利益があろうとも、現状を正当化したくなる傾向
◆ステレオタイプのバイアス 人種や性別や職種などの付加情報があると、その典型的なイメージに引きずられて記憶が歪められること
◆正常性バイアス 非常事態への対応を避けたがる傾向
◆生存者バイアス 成功者には注目するが、その背後に多くいるはずの敗者や犠牲者には注意を向けない傾向
◆ダニング=クルーガー効果 無能な人ほど(無能がゆえに自分の無能さに気づかず)自己を高く評価する傾向
◆敵対的メディア効果 自分の信念に沿わない報道は誤解や偏見に満ちているように感じる傾向
◆同調圧力 少数派が暗黙のうちに多数派の意見に迎合すること
◆内集団バイアス 仲間や家族を優遇する傾向。誕生日や名前が同じというだけでも仲間意識は生まれる
◆バックファイア効果 自分の考えに合わないことに出会ったとき、これを否定しつつ、自分の考えにさらに固執してしまう傾向
◆フレーミング効果 同じ情報であっても置かれた状況によって判断が変わること
◆利用可能性ヒューリスティック 事例を容易に思い出せるというだけで「正しい」と判定してしまう傾向(池谷裕二『自分では気づかない、ココロの盲点』)
あなたの周りにこんな人はいないだろうか。会議では多数派にすぐに同調する(同調圧力)。経営者のビジネス書を読んで憧れを抱いている(生存者バイアス)。自分は優秀なのに正しく評価されていないと感じている(ダニング=クルーガー効果)。転職したいと思いながら、会社にズルズルと居続けている(現状維持バイアス)。
もちろん、これらのケースで不利益を被るのは自分一人だ。しかし、政治になると話は別である。ニュースや新聞を見ても、自分の考えをなかなか変えようとしない(確証バイアス)。むしろ、最近のメディアは偏向報道ばかりだと怒っている(バックファイア効果、敵対的メディア効果)。少子高齢化、人口減少、貧困、格差社会、気候変動といった社会問題は知っているが、いまのままでよいと思っている(現状維持バイアス、システム正当化)。さまざまな危機が予測されているが、なんとなく大丈夫だろうと楽観視する(正常性バイアス)。
注意すべきは、認知バイアスによって知的能力が高い人でも「バカ」な言動をとってしまうことだ。「自分の信念を裏付ける情報だけを集める」という「確証バイアス」があるが、「認知能力が優れている人ほど、情報を合理化して都合の良いように解釈する能力も高くなり、ひいては自分の意見に合わせて巧みにデータを歪めてしまう」ことが指摘されている(ターリ・シャーロット『事実はなぜ人の意見を変えられないのか──説得力と影響力の科学』上原直子訳、白揚社、二〇一九年)。
そして政治に大きく関係するのが、内集団バイアスである。「あいつら」=自らが所属しない集団(外集団、他集団)よりも、「われわれ」=自らが所属する集団(内集団、自集団)に無意識的な選好を持つ傾向である。たとえば、白人の担当者が就職面接をすると、同じ白人の候補者が合格しやすくなる。また、「われわれ」に比べて、「あいつら」を過度に一般化し、事実とは異なるステレオタイプに当てはめる傾向がある(外集団同質性バイアス、ステレオタイプ化)。このような内集団バイアスは幼少期から確認されていて、たとえば三歳児は自分と同じ人種の顔を好むことがわかっている(ニコラス・クリスタキス『ブループリント──よい未来を築くための進化論と人類史(上・下)』鬼澤忍、塩原通緒訳、ニューズピックス、二〇二〇年)。
内集団バイアスは「われわれ」に忠誠を尽くすだけではない。注意すべきは、「われわれ」と「あいつら」との「差」にすごく敏感なことだ。自集団と他集団に報酬を割り振る実験をおこなったところ、自集団が得る総額を最大にするよりも、自集団と他集団が得る報酬の「差」が最大になるように選択する傾向があった。つまり、どちらの集団にも利益がある「ウィン‐ウィン」の関係を目指すのではなく、「われわれ」が少し損をしても、もっと「差」が開くように「あいつら」を蹴落とすことを好むのである(クリスタキス『ブループリント(下)』)。
私たちは仲間かどうかを直観的に判断し、自分の仲間だと認めたものをひいきしてしまう。このような傾向は「部族主義」と呼ばれる。近年の政治状況は「部族主義」を掻き立てている。だから、「みんな政治でバカになる」というタイトルは文字通りに受け取って欲しい。
■ほとんどの人が政治的無知= バカである
くわえて問題なのは、ほとんどの人が政治的に無知=バカである、ということだ。
たとえば、二〇一四年にロシアがウクライナのクリミア半島に侵攻した際、アメリカでは軍事介入すべきか、という議論が起こった。しかし、ワシントン・ポスト紙の調査によると、ウクライナの位置を地図上で示すことができたのは、六人中一人しかいなかった(トム・ニコルズ『専門知は、もういらないのか──無知礼賛と民主主義』高里ひろ訳、みすず書房、二〇一九年)。しかも、ウクライナから離れた場所を示した人ほど、アメリカの軍事介入を支持する割合が高かった。
そのほかにもこんな例がある。アメリカの共和党支持者の四五パーセントが「バラク・オバマは合衆国で生まれたのでないから、大統領になる資格がない」と思っていた。たいして民主党支持者の三五パーセントが「ジョージ・ブッシュ大統領が9・11同時多発テロの攻撃を事前に知っていた」と信じていた(イリヤ・ソミン『民主主義と政治的無知──小さな政府の方が賢い理由』森村進訳、信山社、二〇一六年)。多くの人が政治を正しく判断できるほどの知識を持っていないのである。このような政治的無知はアメリカだけでなく、日本においても見られるという。
むかしに比べて教育制度は充実している。知能指数(IQ)も上昇している。インターネットで情報も簡単に手に入るようになった。にもかかわらず、政治についての知識は低いままなのだ。その理由は単に人びとが愚かだからではない。政治について学ぶ意欲を持てないからだ。法哲学者のイリヤ・ソミンによれば、私たちが選挙で投票しても、自分の一票が選挙の結果を左右することはほぼない。そのため、私たちは政治的な知識を獲得する努力をしない(「合理的無知」)。たとえば、二〇二〇年の東京都知事選挙の有権者数は一一二九万二二九人であった。もし東京都民であれば、あなたの意見は一一二九万二二九分の一に過ぎないわけである。投票しようがしまいが、結果は変わらない。であれば、趣味や仕事に時間を使ったほうがいい、となる。
くわえて、政治を判断するために必要な知識量は膨大になっている。政府の活動は多岐にわたる。いくつもの省庁に分かれ、テレビの国会中継を見ればわかるように、担当大臣でさえ把握できないほど、政策は細分化している。個々の政策を正しく理解しているのは、専門家や官僚といった一部のエリートだけだろう。しかし、そのエリートでさえも、自分の精通する分野以外は素人同然となる。
ただし繰り返すが、ここで言いたいのは「民衆は愚かだ」と決めつける愚民思想ではない。ほとんどの人が政治について無知=バカであるのは事実である。しかし、その理由は政治に興味を持てないからだ。政治に興味を持てないのは、自らの意思が政治に反映されない無力感のためである。そのような無力感を生んでいるのは現在の政治制度にほかならない。つまり、私たちは単に愚かなのではない。「環境」によって政治的無知=バカになっている。
私たちは人間本性上バカな言動をとってしまう。くわえて、ほとんどの人が政治について無知=バカである。いわば、「人間本性」によるバカ(認知バイアス)と「環境」によるバカ(政治的無知)とがかけ合わさった「バカの二乗」である。これがフェイクニュースや陰謀論が後を絶たない理由である。とはいえ、「やはり民衆は愚かだ」とシニカルに冷笑するつもりはない。私もバカのひとりでしかないからだ。しかし、そのいっぽうで、バカとして居直るつもりもない。自らのバカさを認めるには、自分を客観視できる程度のシニカルさは必要だと思っている。むしろ、重要なのは、バカとシニカルのあいだなのだ。そして読者の皆さんもそのあいだを進んで欲しい、と思っている。本書がその一助になれば幸いである。
【目次】
第1章・大衆は直観や感情で反応する
第2章・幸福をあたえる管理監視社会
第3章・よき市民の討議はすでに腐敗している
第4章・ポピュリズムは道徳感情を動員する
第5章・もはや勉強しない亜インテリ
第6章・部族から自由になるために