【新刊試し読み】『テヘランのすてきな女』はじめに|金井真紀
自分でもびっくりしている。こんなに早く原稿が書けるなんて。いつものサボり癖はどこへいった? 託された熱が冷めないうちに、急いで本にしなければ。その一心で書いた。ふだんはもっぱら刊行スケジュールを先延ばしする怠惰な著者なのに、今回わたしは担当編集の竹田純さんの胸ぐらをつかむ勢いで言ったのだ。「御社の刊行スケジュールは遅すぎる。もっと早められないのか」って。まったく自分が自分じゃないみたいだった。
本書のはじまりは2022年の初夏にさかのぼる。ひさしぶりに会った竹田さんと駄話をしているなかで、わたしは口走った。
「イランに女子相撲があってね、いつか見に行きたいと思ってて」
女子相撲に注目した経緯は本書に記したとおり。ありていに言うと餌えさ
であった。竹田さんは大学でペルシア語を学び、テヘランに留学した経験をもつ。イランと聞いたらスルーできないだろうと見込んでまいた餌に、果たして竹田さんは食いついた。
「へー、おもしろそう。いい企画を思いつきました」
その目に不穏な光が宿る。
「金井さんがイランで相撲をとるのはどうですか? で、その体験記を書く」
餌をまいたつもりが、完全に罠にかかった。そこからわたしはイランに行くために相撲を始め、48歳で初土俵を踏んだ。運動神経ゼロの人間が、骨密度が下がるお年ごろに、なんとまあ無謀な。でもこの話をするとき、語るこちらも聞く相手も必ず笑う。無謀なエピソードは自分も他人も勇敢にする。
一方、イランではぜんぜん笑えないことが起きていた。22年秋以降に全土に拡大した「反スカーフデモ」。若い女性を含む多くの市民が街に出て、命がけのレジスタンス運動を展開し、多数の死傷者が出ているようだった。わたしは竹田さんと緊急会議をもった。この状況で、のんきに相撲体験記を綴っている場合じゃないだろう。でも、今だからこそイランに行きたい。女性たちの生の声を聞いてみたい。竹田さんと顔を見合わせて、どちらからともなく言った。
「もう一度、あの方法で本をつくってみるか」
かつて『パリのすてきなおじさん』という本をつくった︒パリの路地を歩き回って、さまざまなルーツ、さまざまな宗教、さまざまな職業のおじさんを集めたインタビュー&スケッチ集。あのときも竹田さんが担当編集で︑あのときも妙に勢いづいて原稿を書き上げた記憶がある。刊行後、各所から「次はニューヨークのおじさんを集めたら」「大阪のおじさんはどうか」などの声がかかった。でも結局、続編はつくらなかった。どうしたって2作目以降はドキドキが薄れて、予定調和になってしまう気がしたから。
しかし今、『パリおじ』方式を復活させる日がきた。テヘランの女たちのインタビュー&スケッチ集をつくろう。わたしが住む国とはまったく違うシステムのなかで、女性たちはどう生きているのか。よそ者に対して本音を語ってくれるだろうか。わたしにイランの今が見えるだろうか。おじさんを探しにパリに出かけたとき以上のドキドキを抱えて、わたしはテヘランに向かった。