【プロローグ】変人で偏屈なガキが、イソギンチャク道を志すまで【全文掲載】
まるで落雷のようだった。俺の頭に突如、インスピレーションの神様が
舞い降りた。
「そうだ、こいつを〝テンプライソギンチャク〟と名付けよう!」
あの日、眼前に流れた海の風景を、潮の香りを、疾走する電車の音を、
俺は生涯忘れねえ──。
世界的に有名なあのテンプライソギンチャク。
その命名は、非常にドラマチックな……
おっと危ねえ、いきなりこの本の核心部、タイトルまで回収しちまうところだった。世の中、美味しいものはしばらくあとで、と相場が決まっている。第一、読者の皆様は、俺のこともテンプライソギンチャクのことも、まだまったく知らないではないか。まずは俺の専門について、そして俺自身について語るから、しばらくお付き合いいただきたい。
イソギンチャクは、100人いたら99人が名前ぐらいは知っているだろう、有名な海の生き物である。しかしながら、「イソギンチャクって、そもそも何者?」と問われたとき、すんなりと答えられる方が果たしているだろうか? そう、イソギンチャクは、骨も殻からもないその姿のごとく、非常につかみどころのない生物であるがゆえに、市井(しせい)には名前ぐらいしか知られていない。何より、イソギンチャクを扱う研究者の数自体がきわめて少ない。
しかし、だからこそ、まだまだ新種や面白い生態がごまんと眠っている、ポテンシャルの塊(かたまり)なのだ。まさにブルーオーシャン! 海洋生物だけにね。本書の著者である泉貴人(いずみ・たかと) は、日本で数人しかいないイソギンチャクの分類学者である。
さて、分類学……、最近、この言葉に聞き覚えのある方も多いのではないだろうか?
去年のNHKの朝ドラ「らんまん」の主人公のモデルに、高名な植物分類学者、牧野富太郎がまさかの抜擢をされたことで、巷はにわかに分類学ブームに包まれた(と思いたい)。野山で生物を採集し、標本をつぶさに観察し、ときに新種を見つけて名前をつける。実に泥臭くも、クリエイティブな学問だ。その牧野富太郎、そして同時代を生きた南方熊楠らの遺志を勝手に受け継いで、現代を生きる孤高の分類学者、それがこの俺、泉貴人というわけだ。
思えば、俺は生まれながらの学者だった。ガキの時分、公園遊びをしている頃ころから謎のオーラがあり、ほかの子の親から3歳にして「学者肌」と呼ばれた。我(わ)が両親も「こいつには研究者しかない」と期待をこめて育ててくれた。一説にはこれは、「俺が偏屈すぎて、一般社会に適合できると思えなかったから」というあきらめの面もあったらしいが。
その約10年後、たまたま合格を得たのが開成中学・高校。学力や才能に長けた化け物たちが巣食う魔境のような学校だったが、その中でも俺の生物学の実力は抜きんでていた。それどころか、高校生のとき出場した生物学オリンピックでは、国際大会の日本代表団にまで食い込むことができた。だからその頃から、確固たる信念をもって「日本で俺が一番、生物学ができる」と豪語し、卒業文集では「俺は生物界の風雲児」「生物学の世界で伝説を作る」というとんでもない大言壮語をぶち上げた。
そうして鼻息荒いまま、生物学の世界に飛び込むべく、伝統ある東京大学に入学。そして伝説が、ついに幕を開ける!
大学時代に、ひょんなことからイソギンチャクの分類学を始めてから、フィールドで、実験室で、そして水族館で、俺は色々な発見を成し遂とげてきた。あるときは、スポンジのような生物〝カイメン〟の中に棲(す)む謎の生物をイソギンチャクだと突き止め、世界初の共生関係を解明した。あるときは、北海道の干潟(ひがた)にシャベルを持って繰り出し、極寒の中、絶滅したと思われていたイソギンチャクを80年ぶりに掘り出した。またあるときは、沖縄の水族館の水槽の中で、15年も飼育されていたイソギンチャクを新種だと証明した。
そして、俺が何よりもこだわってきたのは、新種につける名前。本書のタイトルを飾る「テンプライソギンチャク」をはじめ、「チュラウミカワリギンチャク」「ギョライムシモドキギンチャク」「イチゴカワリギンチャク」「リュウグウノゴテン」……、いずれも奇抜でユニークな命名をしてきたものだ。これらの種(しゅ)すべてが、ただの研究成果をはるかに超越した、我が子のような、愛(いと)おしい存在となっている。本書には、名付けに関する爆笑物のウラ話も満載だ。
そんな仕事を繰り返しているうち、いつしか俺は、日本人のイソギンチャクの新種発見数において、ぶっちぎりの歴代トップとなっていた!
牧野富太郎の時代ですら、「地を這いつくばって植物を探す分類学は古い」とされたという。科学技術の発達した現在、そんな分類学者はまさに化石、過去の遺物のように思えるだろう。しかし、忘れないでほしい。現代でも、地や海底を這いつくばり、泥だらけ、海水まみれになりつつ、イソギンチャクを探している分類学者がいることを。そしてその苦行を乗り越えた結果、世界に誇るイソギンチャクの研究成果が、この日本から生まれていることを。
我、まさに、「イソギンチャク道」を究(きわ)めんとす。その〝生きざま〟を、手に取ってご覧いただきたい。本書を読み終えたとき、皆さまも、イソギンチャク道の入り口に立っていること請うけ合いだ!
いざ、夢と冒険、ではなく、謎と怨念の渦巻く、イソギンチャクの世界へ、ようこそ!