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立ち読み『RITUAL(リチュアル)──人類を幸福に導く「最古の科学」』

世界を変えるための「最古の科学」が「儀式」だった!
火渡りの祭礼から卒業式まで、儀式の秘密と活用のヒントを探究する空前の書

生活や価値観が猛スピードで変化する現代。昔からある「儀式」は単調で、退屈で、無意味にみえる。でも、ほんとうに? 認知人類学者の著者は熱した炭の上を歩く人々の心拍数を測り、インドの祭りでホルモンの増減を測定。フィールドに実験室を持ち込んで、これまで検証されてこなかった謎めいた儀式の深層を、認知科学の手法で徹底的に調査する。ハレとケの場、両方にあふれる「儀式」の秘密と活用のヒントを探究する空前の書。

刊行を記念して、本書第1章「儀式のパラドックス」から一部抜粋して公開します。

 アレハンドロは73歳の男性で、スペインのサン・ペドロ・マンリケという小さな村の出身だ。10代のころから、家族とともに地元の火渡りの儀式に参加してきた。私は何年ものあいだに数多くの火渡りの儀式に立ち会ったが、この村の儀式ほど激しいものはほかになかった。2トン以上のオークの木を使って、アルミニウムを溶かすほど熱い火をおこし、参加者は別のひとりを背負い、はだしで火の上を歩く。たいていの人は子どもを背負う。だが、アレハンドロは違った。自分の体重より重い大人を背負うことが多かった。アレハンドロは火渡りに参加することをおおいに誇りに思っていた。50年間、儀式を欠席したことはない。やめるつもりはないのかと私が尋ねると、アレハンドロは考え込み、長い間をおいてから言った。「いつか年をとって、できなくなるとわかっている。でも、その日が来たら火渡りに行かないだけのことだ。家にいる。その場にいて見ているだけで参加できないなら、鐘楼から飛び降りて自殺するね」

 その翌年、検診で不整脈の症状が出たため、アレハンドロは儀式に参加することを医師から止められた。刺激が強すぎるので、この状態ではリスクを冒さないほうがいい、と医師は言った。老人は火渡りができないので、宣言したとおり、その夜は自宅にいることにした。彼にとっては火渡りと同じぐらい苦行だったが、参加できないなら見に行かない。

 だが、息子のマメルには別の考えがあった。

 その年、私は祭りを見るため、ふたたびサン・ペドロを訪れていた。そして行列に加わるよう誘われた。地元の人が町役場前の広場に集まって手をつなぐ。人間の鎖がリズミカルに動きながら丘を登っていくと、レシントと呼ばれる円形の野外劇場に行き着く。レシントの中央の平らな地面でまきの山を燃やすのだ。私はマメルの隣でしっかり手をつないだ。マメルの父親の家に近づくと、マメルに引っぱられ列から外れた。マメルが行列から離れるとは、いささか驚きだ。「どこへ行くんだ?」と私が尋ねると、「いまにわかるから」と答えた。

 私たちはアレハンドロの家へと歩き、中に入ると、彼は窓のそばに座っていた。アレハンドロは顔を上げ、私たちを見て驚いたようだった。マメルが父親の前に立って告げた。「とうさん、火の上を歩けないなら、僕が背負って火の上を歩くよ」。老人は何も言わなかった。立ち上がり、息子を抱きしめただけだった。目は涙でいっぱいだった。

 その夜、アレハンドロがマメルの背中に乗ると、集まった大勢の人が拍手を送った。息子の背に乗り、息子が炎の上を少しずつ、しっかりした足どりで歩くあいだ、晴れやかで誇らしげな顔をしていた。村じゅうの人がアレハンドロ父子に声援を送り、家族は駆け寄ってふたりを抱きしめようとした。しかし、アレハンドロはまだ終えていなかった。きっぱりと手を振り、みなをその場に押しとどめた。体の方向を変え、もう一度火のほうへ向き直ると、誰もが息をのんだ。アレハンドロが何をしようとしているのか、わかっていた。アレハンドロは前へ二歩踏み出すと、足踏みを始めた。いまや笑みは消え、いっそう神妙な面持ちになった。一心に集中して火をにらみつけ、意志の力で火をねじ伏せようとしているかのようだった。ためらわずに、赤く燃える炭の上を歩きはじめた。そして少し間をおいて、炭を並べた火床の反対側から勝ち誇ったように現れた。人々は熱狂し、火渡りに挑戦するほかの人たちもアレハンドロをほめたたえた。家族だけは別だった。無理してつくった笑顔から、感心しかねる気持ちと誇らしい気持ちが入り混じっていることが伝わった。

 なぜ医師の指示に従わなかったのかとアレハンドロに聞くと、彼は次のように答えた。「火渡りの儀式をしたら心臓(ハート)が大変なことになるかもしれないと、医者に言われたんだ。でも、もし儀式をしなかったとしたら、わたしの心(ハート)がどうなるか、医者はわかってるのだろうか」。どうやら、アレハンドロがこの儀式より大切だと考えているものは、ほかにないようだった。アレハンドロは、自分の人生でもっとも大切なことの一つだと、何度も繰り返し私に語った。しかし、なぜ火渡りの儀式がそうまで大事なのかと問うと、当惑した顔になった。そして私を見つめ、長い間をおいてから私の質問を繰り返した。言葉が見つからず困っているようだった。

「なぜするのかって? それは……、なぜだかよく説明できない。たぶん、子どものころから経験してきたことだったから。父もやったし、祖父もやった。だから、小さな子どものときから、いつも火の上を渡りたいと思っていた」

 幾度となく、人類学者はこうした発言に出くわす。なぜその儀式を行うのかと人類学者から尋ねられたときによくある反応は、戸惑った表情と長い沈黙だ。そしてようやく次のような言葉が出てくる。「どういう意味でしょう? わたしたちはなぜこの儀式をするのかと聞かれても……。とにかくしてるんです。伝統だから。わたしたちはそうなんです。そうするんです」 これが儀式のパラドックスだ。多くの人が、儀式は重要だと断言するが、なぜ重要なのかとなると、昔から続いているからという以外はよくわからない。儀式には意味がないように思われるが、儀式を行う人にとってはきわめて重要で神聖な経験になっている。だが、人間の活動で深い意味があるほかの分野、たとえば音楽や芸術やスポーツと同じように、当初は奇妙で役に立たないと思われていたものが、実際に変革を起こす力になる場合もあるのだ。

 儀式のパラドックスを解明しようと、私は20年にわたる旅に乗り出し、世界のなかでも最高に過激な儀式について、よくある多くの儀式とあわせて研究してきた。その地域に住み込んでコミュニティの一員となり、数々の儀式を実際に見て、実験室とフィールドで次々と検証を行い、人々が儀式に駆り立てられる動機を理解しようとした。儀式を実践する人たちを実験室に連れてきて実際の環境から切り離すのでなく、多くの場合、フィールドに実験室を持ち込み、自然な環境のなかで研究しようとした。その結果、数年かけて世界各地のコミュニティを訪れ、祈りなどの日常的な儀式から、ポール登りのような過激な儀式、壮大な巡礼などの大規模な行事、あるいはひっそりと人目に触れずに行われる黒魔術の儀式に至るまで、数多くの調査をすることになった。そして生体認証センサーを使い、ホルモン検体を採取して、さまざまな儀式について神経生理学上の効果を調べることができた。行動計測は、体内で起こるプロセスがどのように人間どうしの相互作用に影響するかを研究するのに役立った。心理測定のためのテストと調査から、儀式を実践する背景となっている動機が多少なりとも明らかになった。参与観察によって、人々が儀式をどのように経験するのか、また儀式の実践にどのような意味を見いだすのかについて、新たな知見を得ることができた。

 私の研究結果や、科学のさまざまな領域で明らかになっていることを集約した結果から、儀式は私たちの進化の歴史に深く根を下ろしていることがわかってきた。じつのところ、儀式の起源は、人類の起源と同じぐらいさかのぼれる。儀式の長い歴史には理由がある。儀式における行為は、物質的な領域には直接の影響を及ぼさないが、私たちの内面の世界を変革し、社会を形づくるうえで決定的な役割を担っている。本書の目的は、読者のみなさんをそうした科学的発見へと誘い、儀式が私たちの内面に及ぼす作用と、個人や社会に果たす重要な機能を明らかにすることにある。儀式を科学的に研究することによって、私たちを形づくる原初的で根本的な要素としての儀式について理解するとともに、儀式の実践を促進できる。儀式に対する執着について納得できたときこそ、人生のなかで儀式がもつ力を十分に活用できるようになるのだ。(第1章・了)