見出し画像

4刷決定記念!『ベル・ジャー』第一章全文公開(前編)

7月23日に発売された『ベル・ジャー』(シルヴィア・プラス著、小澤身和子訳)の4刷がこの度決定しました。海外文学としては異例の盛り上がりを見せる本書の第一章の全文を、前編・後編で公開します。
衝撃的な一文から始まる物語の冒頭を、ぜひご一読ください。

 
 奇妙で、蒸し暑い夏だった――その夏、ローゼンバーグ夫妻は電気椅子にかけられ、わたしは自分がニューヨークでなにをしているのかよくわからずにいた。
 処刑に関してはなにも知らない。電気椅子にかけられると考えるだけで気分が悪くなるし、どの新聞にもそのことばかり書かれている――目を見張るような見出しが、通りを曲がり、かびやローストピーナッツの臭いが充満する地下鉄の入り口に差し掛かるたびに、じっとこちらを見ていた。
 わたしとは関係のないことだけど、考えずにはいられなかった。生きたまま神経の先の先まで焼かれるのはどんな感じなのだろう。
 きっとこの世で一番ひどいことに違いない。

 ニューヨークはもうじゅうぶんひどかった。朝九時には、どういうわけか夜のあいだに滲み込んできた、ニセモノの田舎の朝露みたいなみずみずしさは蒸発して、甘い夢のおわりみたいに消えていた。灰色のみかげ石の峡谷の底では、太陽が照りつけて熱くなった通りがゆらめき、車のルーフはジリジリと焼け付くくらいまぶしくて、乾いた灰のような砂埃がわたしの目の中に吹きこみ、喉の奥に入っていった。

 ローゼンバーグ夫妻のニュースはオフィスのラジオでもずっと耳にしていたから、頭から離れなくなってしまった。初めて死体を見たときもそうだった。そのあと何週間も、死体の顔(あるいはその残骸と言ったほうがいいかもしれない)が、朝食のベーコンエッグや、バディ・ウィラードの顔のうしろにすっと現れるようになった。
 バディはそもそもわたしに死体を見せた張本人で、そのうちわたしは、その死体の顔をひもでくくりつけて持ち歩いているんじゃないかと思うようになった――あさ黒くて、鼻がもげていて、ヴィネガーみたいな臭いのする風船のように。

 あの夏、わたしは自分がどこかおかしいことに気づいていた。
 頭に浮かぶのはローゼンバーグ夫妻のことや、クローゼットの中で魚みたいにだらりと吊り下がっている、着心地が悪くて高いだけの服を買い続ける自分の愚かさ、そして大学で意気揚々と積み上げていった小さな成功の数々なんて、マディソン・アベニュー沿いに並ぶつるつるした大理石と大きな窓ガラス張りの建物の前では、シューシューと音を立てて消えていくだけということばかりだった。

 ほんとうなら、人生を謳歌しているはずだったのに。
 ほんとうなら、アメリカじゅうの何千人というわたしのような女子大学生の羨望を集めているはずだった。いつかの昼休みに、<ブルーミングデールズ>でわたしが買ったサイズ七のエナメルシューズと、それに合う黒いエナメルのベルトとバッグと同じものを身に着けて、街を歩きたくてたまらない女の子たち。
 わたしの写真が、わたしを含む十二人の女の子が関わっている雑誌に載ると――大きな雲みたいな白いチュールスカートの上に、露出度の高いシルバーのラメのコルセットを付けて、<スターライト・ルーフ>っぽいレストランでマティーニを飲んでいる写真で、撮影のために雇われたか駆り出されたかした、特にこれといった特徴のない、アメリカ人らしい骨格の若い男たちが一緒に写っている――みんなきっと、わたしは目まぐるしい日々を過ごしていると思うはずだ。

 さすがアメリカだね、と彼女たちは言うだろう。十九年間も辺ぴな町に住んでいて、雑誌も買えないくらい貧乏だった女の子が、奨学金をもらって大学に行き、あちこちで賞をもらって、しまいには自分の車みたいにニューヨークを自在に操っているんだからと。

 でもわたしは、なにも操れてなどいなかった――自分のことですらそうだ。ただ、宿泊しているホテルからオフィスへ行き、パーティーへ行き、パーティーからホテルへ戻ってくると、またオフィスへ行くだけで、なんの感覚もないトロリーバスに乗っているみたいだった。大半の女の子たちみたいに、わたしも興奮したほうがよかったのかもしれないけれど、うまく反応できなかった。心の奥はしんとしていて空っぽだった。
 竜巻の目はきっとこんな感じだ。ごった返しの騒ぎの中心にいながら、ぼんやりと進んでいく。

 宿泊先のホテルには、わたしのような子がほかに十一人いた。
 みんな、ファッション雑誌のコンテストで、エッセイや物語や詩やコピーを書いて賞を取り、賞金としてニューヨークでの一ヵ月間の仕事と滞在費のほかに、数えきれないほどの特典(たとえばバレエのチケットやファッションショーのパス、有名な高級サロンでのヘアカット)や、そのほかにも、興味がある分野で成功している人たちと会えたり、顔色を良く見せるためのメイクのアドバイスをもらえたりした。

 今でもそのときにもらったメイクセットを持っている。茶色の目と髪をした人に合うものだ。小さなブラシが付いた楕円形の茶色いマスカラ、指先でつけられるくらいの大きさの丸い容器に入ったブルーのアイシャドウ、そして赤からピンクまでの三本のリップが、ふたの裏に鏡がついた金色の小さな箱に入っている。それに加え、色がついた貝殻やスパンコール、そしてビニールでできた緑色のヒトデが縫い付けられている白いプラスチック製のサングラスケースもまだ持っている。

 こんなふうに次々とプレゼントがもらえるのは、関連企業にとっては無料広告のようなものだからだとは気づいていたけれど、しらけた目では見れなかった。わたしはただ、湯水のように与えられるプレゼントの数々に夢中だった。
 その後は長いあいだ、見えない場所に隠していたけれど、しばらくして、わたしがまた大丈夫になったときに取り出してきたから、今でも家のあちこちにある。リップは今もときどき使うし、先週は赤ん坊が遊べるようにと、サングラスケースからビニールのヒトデを切り取ってやった。

 そのホテルではわたしを含む女の子が十二人、同じ棟の同じフロアのシングルルームに隣り合わせで泊まっていて、前に住んでいた大学寮を思わせた。
 そこはいわゆるちゃんとしたホテルではなかった――つまり、同じフロアに男女が入り混じっているようなホテルではなかったということだ。
 <アマゾン>という名の女性専用のこのホテルに泊まっている女の子たちのほとんどは、わたしと同じ年頃で、男に目をつけられたり騙されたりしない場所に娘を住まわせたいと願う裕福な両親がいた。彼女たちはみんな、帽子とストッキングと手袋を身に着けなければ授業に出られない、ケイティ・ギブスのような気取った秘書の専門学校に通っていたり、あるいはケイティ・ギブスのような学校を卒業して、企業の重役の秘書として働きはじめたばかりだったりして、いつかキャリアがある男と結婚するのを待ち望みながら、ただニューヨークでふらふらしていた。

 彼女たちはひどく退屈そうだった。サンルーフの上であくびをしたり、ネイルをしたり、バミューダ島で焼いた肌をキープしようとしたりしている姿を見かけたけれど、究極につまらなそうだった。そのうちの一人と話したら、その子はヨットにも、飛行機であちこち飛び回ることにも、クリスマスにスイスでスキーをすることにも、ブラジルで会った男たちにも飽きていた。
 ああいう女の子たちにはうんざりする。羨ましすぎて言葉も出てこない。十九年間、わたしはニューイングランドを出たことがなかった。ニューヨークに滞在することになって初めて外に出られて、絶好のチャンスを得たというのに、わたしはただのんびりと、あふれる水みたいに可能性が指のあいだから漏れていくのを座って眺めていた。
 
 問題のひとつはドリーンだったのではないかと思う。
 ドリーンのような子には、それまで会ったことがなかった。彼女は南部にある上流の子が通う女子大の学生で、輝くプラチナブロンドを綿菓子のように顔のまわりにフワフワさせ、青い目は透き通った瑪瑙(めのう)のように固くてなめらかで、なにがあっても壊れなそうで、口元にはいつも人を小馬鹿にするような微笑みを浮かべていた。意地悪な感じではなく、面白がっているような、ミステリアスな笑い方で、まるで彼女のまわりにいる人たちはみんな馬鹿で、その気になれば、いつでもうまいジョークのネタにしてやれるんだから、と言っているみたいだった。
 ドリーンはすぐに、女の子たちのなかからわたしを選んだ。ドリーンといると、自分はほかの子たちよりもずっと頭が切れると思えたし、彼女はほんとうに驚くほど面白い人だった。よく会議室でわたしの隣に座っては、オフィスを訪れた有名人たちが話をしている最中にウィットの利いた皮肉を耳元でささやいてきた。

 ドリーンいわく、彼女が通っている大学はファッションにとても敏感な子が多く、女の子たちはみんなワンピースと同じ素材のバッグ用カバーを持っていて、着替えるたびにおそろいのバッグみたいにして持つのだそうだ。こうした些細な話にわたしは感動していた。まさに素晴らしく手がかけられた退廃した人生そのもので、わたしは磁石のように惹きつけられた。

 唯一ドリーンが大声で怒鳴るのは、わたしが締切までに原稿を仕上げようとするのを邪魔するときだった。
「なにをそんなに一生懸命がんばってるの?」彼女はピーチ色のシルクのガウン姿でわたしのベッドに寝転びながら、ニコチンで黄色くなった長い爪にやすりをかけていて、わたしはベストセラー作家のインタビュー原稿をタイプしている最中だった。

 パジャマのこともあった――ドリーン以外の女の子たちは、夏用のコットンのパジャマとキルトの部屋着、あるいはビーチでも着られるタオル地のローブを自宅から持ってきていたけれど、ドリーンは床まで届くくらい長い、ナイロンとレースのすけすけのネグリジェを持ってきていて、静電気で体にまとわりつく、肌と同じ色のガウンを着ていた。
 少し汗っぽい面白い匂いがして、それを嗅ぐたびにわたしは、指でつぶすとムスクの香りがする、貝殻みたいな形のシダの葉を思い出した。

「原稿が提出されるのが明日だろうが、月曜日だろうが、ジェイ・シーのおばさんにとっちゃどうでもいいことだよ」
 ドリーンは煙草に火をつけると鼻からゆっくりと煙を吐き、そのせいで彼女の目が隠れた。「ジェイ・シーの醜さは罪だね」ドリーンは淡々と話し続けた。「あのおばさんの老いぼれた旦那は、部屋じゅうの電気を消してからそばに行くようにしてるはずだよ。そうじゃなきゃ吐いちゃうもん」

 ジェイ・シーはわたしの上司で、ドリーンの言い分をよそに、わたしは彼女がすごく好きだった。ジェイ・シーは、つけまつげをしてジュエリーをじゃらじゃら着けた、いわゆるファッションフリークのエディターではなかった。外見はものすごく醜かったけれど、知性があるから、そんなことは彼女にとっては大したことではないように思えた。数ヵ国語で記事を読んでいて、この業界の腕のいい書き手は全員知り合いだった。
 わたしは、かっちりしたオフィス用のスーツと昼食会用の帽子を脱いだジェイ・シーが、でぶな夫と一緒にベッドにいるところを想像しようとしたけれど、できなかった。ベッドで人が一緒に寝ているところを想像するのは、いつもすごく難しかった。

 ジェイ・シーはわたしになにかを教えたがっていた――わたしが出会う年上の女性はみんなそうだ。でも急に、彼女たちに教えてもらうことなんてなにもないと思えてきた。
 わたしはタイプライターのふたを下ろして、カチッと音を立てて閉めた。
 ドリーンがにやりとした。「おりこうだね」

 誰かがドアを叩いた。
「誰?」わたしはあえて立ち上がらずにそう答えた。
「私だよ、ベッツィー。パーティーに行かないの?」
「たぶんね」わたしはまだドアまで行こうとしなかった。
 
 カンザスからそのまま連れてこられたみたいなベッツィーは、ブロンドのポニーテールを弾ませ、映画『シグマ・カイの恋人』の主人公みたいな笑顔をいつもふりまいていた。
 あるとき、ピンストライプのスーツを着たあごの青いプロデューサーのオフィスにベッツィーと二人で呼ばれて、テレビ番組向きのネタがないかと聞かれたことがあった。そこでベッツィーは、カンザスのとうもろこしには男と女があることについて話しはじめた。どうでもいいとうもろこしの話をあまりに興奮してまくしたてるものだから、プロデューサーも目に涙を浮かべて喜んでいたけれど、残念だけどその話は使えないな、と言われていた。
 しばらくして、美容担当のエディターが説得してベッツィーに髪を切らせ、雑誌の表紙を飾らせた。今でもときおり、「○○の妻はB・H・ウラッグを着る」といった美しい妻をイメージした広告記事でにこにこ笑う彼女をみかける。

 ベッツィーはいつも、まるでわたしを救おうとでもしているみたいに、彼女やほかの女の子たちと一緒になにかしようと誘ってきた。でもドリーンのことは一度も誘わなかった。かげでドリーンはベッツィーを、田舎者のポリアンナと呼んでいた。
「私たちと一緒にタクシーで行く?」ベッツィーがドア越しに尋ねてきた。
ドリーンは首を振った。
「ううん、大丈夫」とわたしは答えた。「ドリーンと一緒に行くから」
「わかった」パタパタとベッツィーが廊下を去っていく音が聞こえた。

「いやになったら帰ればいいんだから」
ドリーンは、わたしのベッド脇にある読書灯のスタンド部分で煙草をもみ消しながら言った。「それから街へ繰り出そうよ。ここでやるパーティーって、学校の体育館でやってた古臭いダンスパーティーみたい。なんでいつもイェール大の男ばっかり集めるわけ? 馬鹿ばっかりなのに!」

 バディ・ウィラードもイェール大に通っていたけれど、今思えば、彼が変だったのは馬鹿だったからなのかもしれない。まあ、なぜか成績は良かったし、グラディスって名前のケープコッドに住むろくでもないウェイトレスと関係を持っていたけれど、これっぽっちも直観力がなかった。

 でも、ドリーンは違う。彼女が口にすることはなんでも、わたしの心の奥底から聞こえてくる秘密の声みたいだった。       

(後編へ続く)


『ベル・ジャー』
著者:シルヴィア・プラス
訳者:小澤身和子
四六判・並製・388ページ ISBN:978-4-7949-7435-8
本体価格:2500円(+税)
https://www.shobunsha.co.jp/?p=8324

装画:安藤晶子
装丁:脇田あすか

ご購入はこちらから☟

https://amzn.asia/d/9tPs5lt (Amazon)
https://books.rakuten.co.jp/rb/17925781/?l-id=search-c-item-text-01(楽天ブックス)
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784794974358(版元ドットコム)

推薦コメント続々!

「新訳『ベル・ジャー』は凄い本だ。
生きるだけで必死なのに、なぜ人は物語を読むのか。
その答えが、結晶のきらめきと、息をのむ密度で書かれている。
〈地獄の季節(シーズン)〉は、こんなにもカラフルで輝いて滑稽で切なくて悲しくて強い。すべての人に贈りたい最高の一冊。」──川上未映子

「この個人的な小説は、個人が生きた時代を痛いほどの率直さと繊細さで抉り出した作品でもある。」──ブレイディみかこ

「刊行から60年、米Z世代の間で再び必読書に。未来への絶望が蔓延する社会に、切ない希望を与える一冊。」──竹田ダニエル

「何にでも成れるはずなのに
何にもなれやしない
その絶望の生々しさに呑まれそうになる。
それでも損なわれない繊細さと高潔さ
彼女と私たちは地続きの場所にいる。」──宇垣美里

著者:シルヴィア・プラス(Sylvia Plath)
1932-1963年。ボストン生まれ。詩人、作家。8歳から詩を、9歳から物語を書き始め、10代から作品が雑誌に掲載される。1955年にスミス・カレッジを卒業後、フルブライト奨学金でケンブリッジ大学へ留学。1960年に詩集『The Colossus』を出版。1963年、唯一の長編小説である『ベル・ジャー』を別名のもと出版。同年、自ら命を絶つ。1982年『The Collected Poems』でピュリツァー賞を受賞。本書『ベル・ジャー』は英米だけで430万部以上を売り上げた世界的ベストセラーであり、現在も多くの読者の心を掴んでいる。

訳者:小澤身和子
東京大学大学院人文社会系研究科修士号取得、博士課程満期修了。ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン修士号取得。「クーリエ・ジャポン」の編集者を経て翻訳家に。訳書にリン・エンライト『これからのヴァギナの話をしよう』、ウォルター・テヴィス『クイーンズ・ギャンビット』、カルメン・マリア・マチャド『イン・ザ・ドリームハウス』、デボラ・レヴィ『ホットミルク』、ニナ・マグロクリン『覚醒せよ、セイレーン』、デルモア・シュワルツ『夢のなかで責任がはじまる』など。