自分自身整理用感想:推し、燃ゆ

自分自身の整理用の感想、ぐちゃぐちゃな上に長文なので生ぬるい目で見てください。あとネタバレも多分に含みますというか、ネタバレしかない。

結論から言うと作者からのメッセージは「オタク、自分自身と向き合って大人になれよ(笑)」ってところですかねwww。そんなオタクへの煽りとも捉えられるこの物語ですが、ぜひオタクにこそ読んでほしい一作品でした。

読む前から感心していたのは「タイトルのキャッチ―さ」と「あらすじの惹きつけ力」。これは私がずぶずぶのオタクだからというのが強い気もしますが、一目で「主人公はオタクの子で、推しが炎上することで何かが起こるのだ」ということが推察される、そして興味を惹かれる。これは読む前から
すごいなぁと思っていました。

簡単に主人公と物語の流れを
主人公=山下あかり:学生で母、姉と暮らしており、海外に単身赴任している父と入院中の祖母がいる。読み進めていく中で発達障害を抱えており、誰しもができる最低限のことができず日々苦しさを感じていることが推察される。男女混合の5人組アイドルグループ「まざま座」のメンバー「上野真幸」を推しとし、お金、体力持てる物を全てをつぎ込む「推し活」が生きがいとなっている。

あらすじ:ある日 あかりが「推しの上野真幸がファンを殴り、炎上している」というニュースを目にしたところから物語は始まります。
ままならない日常の中で、16歳のあかりは、4歳の時に観劇したピーターパンのDVDをたまたま観て、上野が演じるピーターパンに衝撃をうける。
そしてその瞬間からあかりの上野を推す日々が始まった。
時間が進むにつれ、あかりは高校を留年、中退し、バイト先も首になり、家族との関係も(もともと破綻しかけてたが)壊れていくといったように現実は悪化の一途をたどる。推しの上野も炎上をきっかけに人気投票首位から最下位へ転落、バッシングも続くが、あかりの上野を推すスタンスは変わらない。しかしある日、上野の所属するグループが解散すること突如発表され、
会見時 上野が結婚し一般人になることが明らかになる。

※面白かったポイント

①対比表現の上手さ
物語は同じアイドルオタクの友人「成美」との会話から始まります。
 成美との会話はただのオタク同士の会話のように見えますが、「推しとの触れ合いや繋がりを求めて地下アイドルのファンとなった」相互な関係を求める成美と「推しと触れ合いたいとは思わない。現場には行くがどちらかと言えば有象無象のファンでありたい。」一方的な関係を求めるあかりの対比が表現されていました。その後成美はしばらくお話に出てこないのですが、最後の方に登場し、「推しと繋がった」という報告を「推しと繋がることができなかった主人公」にしてきます。ここも上手い対比だなと。(ただし会話を見るに付き合っているのではなく、肉体関係のみなのだろうなということが察せられて仄暗さを感じる)

その他にも推しが解散ライブでソロパートを歌う光景を「推しが、あたしたちをあたたかい光で包み込む」と表現した直後、「便座に座った。冷えが背筋を這い上がった。」と終演後の現実を表す対比表現が残酷でリアルすぎて笑いそうになるぐらいでした。さまざまな要素を「重い、軽い」で表現したり、至るところに対比表現が散りばめられていて読んでいて面白かった。

②仄暗さ、生きづらさの表現力
この物語は常に仄暗く、現実が生々しく汚らしく描かれているなと感じました。主人公は日々を「生きているだけで皺寄せがくる。誰かとしゃべるために顔の肉を持ち上げ、垢が出るから風呂に入り、伸びるから爪を切る。最低限を成し遂げるために力を振り絞っても足りたことはなかった。いつも最低限に達する前に意思と肉体が途切れる」と表現しています。
私もこの気持ちを感じることはよくあるなと思いましたし、よくここまで
皆が感じる生きづらさを言語化したものだなと思いました。

主人公は推し活動を「中心=背骨」と表現した上で、「勉強や部活やバイト、そのお金で友達と映画観たりご飯行ったり洋服買ってみたり、普通はそうやって人生を彩り肉づけることで、より人生を彩り、肉づけることで、より豊かになっていくのだろう。あたしは逆行していた。何かしらの苦行、みたいに自分自身が背骨に集約されていく。余計なものが削ぎ落されて、背骨だけになっていく」と述べます。
最近 推しとファンを描いたキラキラした作品はよく目にするけど、
オタクがふとした瞬間に熱が冷めて感じるあの仄暗さ、寂しさがここまで
表現されている作品はなかなかないなと思いました。

現実、日常の描写も汚らしくリアルです。
推しがインスタライブで解散を発表した後、主人公が目にする家の中は
「コンソメの匂いがする汁に浮いた油のひとつひとつに、蛍光灯が映っている。色の抜けた麺の抜けた切れ端が器のふちに貼り付いていた。これが三日経つと汁ごとこびりつき、一週間経つと異臭を発するようになり、景色に混ざるまでに一か月かかる」と表現されています。
こんなに日常が汚く、でも光景がなんだかとてもリアルで目に浮かぶことないなぁって思いました

※読んでみての感想

「なぜオタクは推すことを身を守る手段として活用するのか」「生きていく、大人になるとは」を言語化した物語なのだなぁと感じました。

主人公は推しの上野に対して世間では不健康とされる「一方的な関係」を望み、なんなら一定のへだたりがあるからこそ優しく、満ち足りるとさえ言います。なぜなら上野を一方的に解釈することで「推しと自分を一体化し、自分が生きていること」を実感し、全てを捨てて、上野を推すことに打ち込むことで「ままならない現実の中でも打ち込むことがある自分の存在価値」を感じるからです。

熱狂的なファン、オタクって推しのために全てを捧げる献身的な、思いやりのある存在に見えるけど、「そうじゃなくね?結局全部自分のためじゃん?(笑)」って突きつけてくるスタイル。なかなかだなと思いました。
そしてむかつかないのは実際そうだからなんだろうなと。

しかしそんな主人公もラストライブ後に、上野の住むマンションでおそらく上野の結婚相手であろう女性が洗濯物を干す光景を見たことで、自分が打ち込んできた全てが主人公が拒んできた「常に平等で相互な関係」に敵わないことを思い知るのです。

そして主人公が相互な関係が求められる現実で、今までの自分を壊し、自分自身の重さを背負い、這いつくばってでも進んでいくことを選んだところで物語は終わります(と私は希望的に解釈している)

主人公が上野を推すことになったきっかけは「ピーターパン=大人にならない存在、軽さの象徴」なのですが、最終的に主人公はラストライブで「上野は大人になった、否大人だった」という事実に気がつきます。
また主人公は当初「一方的な関係こそ理想」としていますが、推しの上野は最初から「相互的な関係を理想」としていることが読み取れます。

作者は「自分自身を他者に見出すのではなく、その重さを自身で支配し、相互的な関係を築き、肉づけをしていくのが大人であり、生きていくこと」という考えを伝えたかったのだろうなと。そして「推しの炎上から消失まで」と「推しという肉体(自身の投影先)が燃え、骨(現実)が残る様子」を重ねながら、山下あかりという子供が現実と自分を受け止め大人になる過程を描いたのだなと勝手に結論づけました。まぁ要するに「オタク、大人になれよ」だろ(笑)

作者がオタクなのかどうか気になるところですが、オタクが目にする光景や心理描写がリアルでいやはや見事ってなりました。

オタクはすぐ「推しが生きていれさえば」「推しが尊い」と言いはするが、ちゃんと自分と現実と向き合ってる?って投げかけてくるこの作品。オタクにこそぜひ読んでみてほしいなと思いました。

おーわり。


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