衰退ポルノマンは、「自分」しか見えていない。

衰退ポルノマンは、「自分」しか見えていない。
自我に視野が閉じこもっている。
つまり視野が狭い。

視野が狭いのに、国家の存亡などという壮大なテーマを語った気になっている。
それが、滑稽である。




上の記事などは衰退ポルノマンの滑稽さ、視野狭窄、自我没頭が非常にわかりやすい。

以下では多少失礼な物言いもあるが、別にそれ以上の悪感情はないので、ご了承願いたい。



上の対談において、ハイセンスジャパンの李文麗社長が何度も日本をヨイショしてくれているのに、相手のDeNAの南場智子会長(経団連副会長でもある)はそれを悉く遮るように何度も衰退ポルノをかましている。


単純な話、失礼である。李文麗社長に。


仮に李文麗社長の日本ヨイショが余所者ゆえの…日本にさして関心も思い入れもないがための日本ヨイショだとしても(実際はそうでもないだろうし)、この場合は素直に相手の善意を受け取っておくべきであろう。

単純な話、それがシンプルに対人関係における礼節である。

相手がアレコレと褒めてくれているのにでもでもだってとそれを遮るような人間は、鬱陶しい。
ツイッターの絵師かよっていう。(一応言っておくと僕自身も絵描きなので他虐ではなく自虐です。)



つまりこの対談において南場智子会長は、とにかく衰退ポルノがやりたいという自分のエゴだけに心がいっぱいになっていて、人間関係においてもっとも基礎的な礼節すら忘却しているのである。
「相手の好意を受け取らない」という弩シンプルな無礼を、かましているのである。
内心では李文麗社長も呆れていたはずだ。

冒頭に述べたように、これほどまでにエゴばかりに関心が集中し、視野狭窄に陥っている人間が国家を語るなど、滑稽である。
目の前の人間への礼節すら忘れるほどに視野の狭い人間の語る国家論などに、価値はない。
視野の狭い人間に国家は語れない。

南場氏に限らず衰退ポルノマン全般に言える事である。

既にネット上で語りつくされているように、衰退ポルノマンの関心はあくまでエゴにしかなく、実は国家の事など考えていない。
狭小なエゴを満たし私的な心の欠乏から逃げるために、衰退ポルノやってるだけである。


南場氏も恐らく、「企業人・経済人としての自分」とは無関係の…「一個人として自分」に心の欠落(つまりプライベート、人生そのものへの不満足)を抱えているのであろう*。それを無意識に国家の衰退というポルノに投じているだけである。
母性に飢えた男が母子相姦モノのAVを観るように。

※成育歴を見るに氏は良くも“悪くも”典型的なガリ勉エリートとお見受けするので、無批判に(アイヒマン的に)ガリ勉エリート人生をひたすら歩んでいく過程で、色々と心に欠落を生じてきたのだろう。山口周などが批判してきた「優等生」「エリート」の典型である。
その欠落・虚しさから逃避するように、衰退ポルノやってるのだろうか。




どこぞの3流ライターならまだしも、いち企業の会長…それどころか経団連の副会長がこのザマなのは問題であるし、これがそのまま日本全体の問題と言えるかもしれない。
つまり衰退ポルノこじらせた視野の狭いメンヘラ老人が要職を独占しているのが、日本の病理である。

「こんな人間」が「組織」(企業にせよ国家にせよ)のトップにいれば、社員達も萎えるだろうに。
そもそも上に述べたように李文麗社長に失礼だろうに。
端的に言って、リーダーにふさわしくない。
(上の対談で言えば、李文麗社長が「お宅の娘さんは可愛らしいですね~」と言ってくれているのに「そんなことないですよ!ウチの娘は本当にブスで…」と(娘の眼前で)言ってるのと同義である。そんな母親は娘を育て上げられない。)
その辺、南場氏はどこまで客観視できているのか。


個人の問題、心の葛藤は個人の領域内に留め、その内部でよろしくやればよいのであって、それを公的な領域に持ち出すべきではない。
まして李文麗社長との対談でそれを出すべきではない。


自分個人の心の葛藤を勝手に日本そのものに投映して衰退ポルノをかまし、且つその病識もない愚か者が、つまる所の衰退ポルノマンその人である(無論愛国ポルノマンにも同じことが言える)。


衰退ポルノに逃げていないで、自分個人の私的な内的葛藤と、さっさと決着をつけるべきであろう。

南場氏も日本を語ってる暇があったらカウンセリングを受けた方がいい。加藤諦三の本とか読んだ方がいい(僕個人は加藤諦三あんま好きくないけど)。経団連副会長が「アイヒマン系メンヘラ」なのは、国民としてもダルい。




繰り返すが、「自分」しか見えていないような視野の狭い人間に、内的葛藤にケリをつけていない人間に、国家など語れるはずもない。




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