結局何事も泥臭くやっていくしかない

改めて思うに、結局何事も泥臭くやっていくしかない。
状況をインスタントに改善するマジックなんて、存在しない。

と同時にこの際に重要になってくるのが、何事も泥臭くやっていくしかない以上は、「率先して泥臭く取り組める事」……つまり「心の底から好きな事」に取り組むのが大事だ。という事なのだと思う。

心の底から好きな事ならどれだけでも泥臭くやれる。だから気付いたら問題を解決できている。
好きでもない事には当然、泥臭くなんか取り組めない。サボる事ばかり考えてしまう。だからマジックに縋ってしまうし、マジックに縋っている限りは、問題を解決できない。


「好きな事をやろう。」
クッソありふれた言い分だけども、真理だからこそ、この手の言説がありふれているのだろう。



で、これを踏まえた上で感じるのが、ポリコレとかあの辺の話題の欺瞞である。

冒頭の内容を加味して言うなら、エコロジーごっこしている欧米人とかは別に本音では環境問題なんかどうでもいいのだろうと思うし、恐らくこれは的中していると思う。

本気で地球環境を愛しているなら、地球環境を救うために率先して多大な努力を投じるはずだ。

しかし欧米のエコロジストは、それをしない。
上辺だけの綺麗事ばかり繰り返し、電気自動車がどうだとか二酸化炭素排出ゼロを目指すだとかいうインスタントなマジックにばかり逃避している。
白人コンプ(海外コンプ、ではない)の日本人も同様だ。



プラスチックストローを禁止にしたところで本質的な問題は解決しないし、買い物の際のビニール袋を廃止にしたところで本質的な問題は解決しない。
ヒッピーやシーシェパードやヴィーガンをやったところで本質的な問題は解決しない。

しかし彼らは所詮本音では地球環境などどうでもよく、あくまでやってる感だして気持ちよくなれたらそれでいいので、それで、おしまいである。


その点で言うなら日本は恐らく世界トップレベルに、本心から世界の諸問題を改善しようとしている珍しい集団だと思う。

トヨタ自動車が上っ面のEVブームに流されず、「本質的な意味で」地球環境に(現実的な範囲内で)優しいハイブリッドカーを推し続けた結果最終的にヨーロッパの正義マン達に勝利した事は記憶に新しいが、日本は得てしてこういう傾向があると思う。

欧米人がしょうもない正義をひけらかして気持ちよくなってるのを尻目に日本人は現実主義に徹して淡々と事態の改善を図り、当初はそんな日本人の姿勢を欧米人達(と白人コンプの日本人)は批判しまくるのだけども、結局最後には欧米側が間違っていた事が証明されるという、例のパターンである。

欧米の正義マンは正義ごっこして気持ち良くなる事しか考えてないのに対して、(白人コンプでない)日本人は問題を解決する事を心から望んでいるから、一見した派手さはないけどもしっかり現実的に効能のある解決策を発明する。

マジックに逃げず、現実を見て泥臭く改善に取り組む。
こういう点は、僕は日本人のいい所だと思う。


先日僕は日本人の「努力それ自体にひたる悪癖」を割とがっつり批判したけども(↓下記)、こういう面に関しては日本人の「泥臭い努力フェチ」が功を奏しているのだろう。