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【放言】はっきり言っておきたい

SHO+XENONです。

 実は前々から、すごく気になっていたことがあるんです。
 それは、「文章を最後まで集中して読めない人が多い」こと。いや、文章どころか、たかだか140文字のツイートさえも読めない人が多いこと。

 ここでいう「読めない」というのは、「意味がわからない」だけではなく、「意図を理解できない」、「アクロバティック行間読みをする」、「他人の書いたことをダシにして説教や演説を始める」などを含みます。特に今回非常に不愉快に思っているのが、「他人の書いたことをダシにして説教や演説を始める」奴らの存在です。

 すごくハッキリ言いますが、私はこういう文章がちゃんと読めない人よりはよほど頭が良いです、自分で言うのもアレですけど。音楽家やってる奴なんてよほどのアホだと思っているのかも知れませんけど、宇宙のこととなれば専門家にインタビューして歌詞を書ける程度の知識もあり、グリム童話をシャルル・ペローのものとの違いや原話からの影響に至るまで研究しており、経済や経営分野で他人に教えられる程度の理解力を持ち、塾や予備校でおおよそ全ての教科を教えることができる程度の指導力を持つ、それなりに有名な大学を卒業している人間なわけでして、そんじょそこいらの連中に負ける気はしません。情報収集や分析能力も今回のアメリカ大統領選挙関連で、何処ぞの自称プロよりも高いレベルでいかんなく発揮しているつもりです。
 したがって、顔も知らない会ったこともない人にいきなり説教される筋合いはありませんし、ずかずかと他人の庭に乗り込んできた奴の演説を聞かされる筋合いもありません。有難く受け止めるべき説教や演説はともかく、所詮自分が言い出しっぺになれない程度の説教など無意味で無価値ですので、それを見たり聞いたりさせられる時間を返して頂きたいものです。

 私がnoteに書くことは、基本的に広く誰かに伝えたいことか、何らかの主張があることです。誰かに伝えたいことは誰かに伝わればそれで役目は充分に果たせていますし、何らかの主張があることはその主張が受け入れられるか、あるいは反発されるにしても何かが心に刺さるようであれば望むところといったところです。しかし、それは誰かにその無意味で無価値なことをする場を与えているわけではありません。

 私は、私のファンだったりフォロワーだったりといった人に言っておきたいことは、常に冷静で、常に賢くあって欲しいということです。誰かの意見にもし反発心が起こっても、まずは一度しっかり受け止めて欲しいのです。  そうすると、何故相手がそう思うのかが分かり、どんな思考プロセスでそういう考えに至るのかが分かり、そして自分との違いを知ることができるのです。そうすることで自分自身の思考パターン・想像の範囲を広げることができますし、何より孫氏の言うところの「敵を知り己を知れば百戦殆うからず」を地で行くことができるからです。相手の言うことに染まれという意味ではありません。しかし、相手の言うことを受け止めるか否かによって、その後の冷静さや思慮の深さは格段に向上するのです。

 例えば、もし政治系のモチベーションを持って私にたどり着いた人は、恐らく保守思想の方の割合が多いと思います。そうすると、私とは意見が合わない部分も多々あると思うのです。私は保守思想ではないですから。
 ですが、私は保守思想について、必ずしも全てに賛同できるわけではないにしても、理解しようとは努めます。そして多くの保守思想の方も、それができる賢い方が多いことを知っています。だから、何処か意見が合わなくても、何処かで相手に反発したい心が湧き上がっても、仲良くなれるかはともかく、少なくとも険悪なムードで話をする必要はなくなるのです。

 noteは意見を発する場であり、また考えを誰かに伝える場であると考えています。誰にでもそれを表明する場が提供されており、それを見るも見ないも自由な場であると考えています。ですから私は自分の主張をします。それに対して、ちゃんと理解した上で反応して頂ける場合、とても有難いものだと感じます。

 しかし、聞いてもいないこと、あるいは求めてもいない意見を、話の脈絡と何の関係もなく、思いつくがままに演説されても、あるいは説教されても、私には響きません。何か主張したいのは分かりますが、私は恐らくその人が想像するよりも遥かに固い信念を持ち、遥かに深い知識と事象への理解を持っています。したがって、それに何らかの反応ができるとしたら、これだけになるのです。「……で?」

 低レベルな人間は絡んでくるなと言っているのではありません。私とて「そんじょそこいらの人間に負ける気はしない」ものの、別に勝っていると思っているわけでもありません。多くの人に尊敬できるところがあり、全てにおいて私より劣っている人などこの世に殆どいない事も知っています。尊敬できるところが見つかった人には惜しみなく敬意を持ち、それを表することに一切の抵抗はありません。
 しかしそれも、「お互いに敬意を持つことができれば」の話であり、敬意を持てないような態度を取られたらこちらとて敬意を持つことはできません。至極当然のことだと思っています。

 年の瀬に書くことではないような気がするのですが、逆に今のうちに言っておかないと、その都度溜め込んだりするのも良くないなと思って、ガーッと書きました。
 明日で2020年が終わるそんな日に、こんなことを書いておきながら良いお肉のすき焼きを頂いてご満悦モードのSHO+XENONでした。

 

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