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低評価の嵐が本当におかしいか?

SHO+XENONです。

 今回はこの件について触れていきます。

前提①:何があったか

①上念氏、ケント・ギルバート氏が出演した虎ノ門ニュースに、これまでは考えられないような多数の「低評価」(現在1万7千)

②これについてKAZUYA氏が疑問を呈する動画を出した

前提②:私の考え

1. 上念氏、ケント氏の考え方に100%賛同はしていないが、95%くらいは賛同している(逆に言えば残り5%の違いがかなりクリティカル)

2. KAZUYA氏の主張にも95%くらい賛同している(逆に言えば以下同文)

3. 考え方の違いだけで人間性を疑うつもりはないが、言行不一致や変節はよほどの理由がない限りは疑う

4. 普段は百田尚樹氏よりは上念氏やケント氏、KAZUYA氏の方がシンパシーを感じている

前提③:YouTubeのシステムや虎ノ門ニュース

1. 同一人物が高評価・低評価に投票できるのは1票のみ。2回押すとキャンセルされる

2. 虎ノ門ニュースはYouTube他で放送されるWebニュース番組。DHCが制作、放送。土日を除く平日にコメンテーターが日替わりで出演する。

3. 上念司氏は水曜日のレギュラー。ケント・ギルバート氏は隔週水曜日の出演。ケント氏が出演しない水曜日は大高未貴氏が出演する。

4. 現在は1番組あたり50~260万再生くらいされる。高評価はだいたい7千~1万4千くらいで、低評価は多くても2千いかないくらい(1万7千がいかに異常かはだいたいこれで伺える)。

KAZUYA氏の考える「低評価の理由」

 KAZUYA氏が動画内で行った主張は、ものすごく乱暴かつ大雑把にまとめていますが、以下のようになります。

・感情、願望と、現実、事実の分析を分けて考えられない人たちが暴走して、自分の希望に沿わない意見を言う二方をバッシングしている

・それを百田尚樹氏が(特に上念氏への批判を)焚き付けている


ツイッターなどで伺える「低評価の理由」

 一方これを受けて、特にKAZUYA氏のこの動画に対してネガティブな反応をしている人の(中でもそれなりに理性的な)意見をものすごく大雑把にまとめると、だいたいこんな感じです。

・上念氏の高圧的で、まるで説教でもしているかのような物言いが不快。言葉の節々に自分の意見と反対の人をバカにする態度が見える

・ケント氏がトランプ側の主張を根拠もなく一方的に陰謀論扱いしている

・虎ノ門ニュースにはテレビや新聞ではとても触れられない深入りした情報や解説を求めているのに、これじゃ地上波と何も変わらないじゃないか


私が推測する「認識のズレの理由」

 まあ、ぶっちゃけ、KAZUYA氏の主張のうち前者は、まあまあ当てはまっていると思います。実際そういう反応をしている人はあまりに多く、辟易するのは否定しません。
 しかし、それさえ全員が全員そういうわけでもありません。それはツイッターの反応としてまとめた部分でもうかがえます。私個人としても、これは明確な上念氏の欠点だと思うのですが、興奮すると他人を遮ってまで大声でまくしたてる悪癖があり、これを不快に思っている人は以前からいたのではないかと思います。それが今回ついに、内容も相まって爆発したと見ることはさほど不自然ではありません。

 また、後者はそれこそ、本人の言葉を借りるなら、客観的証拠に乏しいです。根拠として「名前こそ出さないが匂わすようなツイート」を挙げていましたが、それこそそれが上念氏を指すとは限らないわけですし、KAZUYA氏の知らない誰かなのかも知れません。
 さらに、百田氏の著書である『カエルの楽園2020』で上念氏をもじったキャラクターを「嫌な奴として」登場させていたとのことですが、それが本当に上念氏個人をもじったものなのでしょうか?だとしたら「エコノミン」なんて名前にせずもっとそれっぽい(それこそ本人がよく使うジョネのような)名前にするでしょう。他にもそういう存在があるように、エコノミンも経済優先の人たちを纏めて1つにしたもののように私には思えます。実際には上念氏のメタファーなのかも知れませんが、断定的に言うのはそれこそ陰謀めいているのではないでしょうか。

 さらに理由を二つ加えます。

 KAZUYA氏は百田氏を今回かなり批判していましたが、一方で上念氏については批判していません。もしかしたらKAZUYA氏は知らないのかも知れませんが、上念氏の方もこれまでかなり百田氏に当てつけています。
 八重洲イブニングラボ内において、新型コロナの国内流入・拡散を止めるために入国を制限すべきだという意見を述べる人たちを指して「蛇口教」と新興宗教のようにレッテルを貼り、かなり明確にバカにしていたりします。そして当時、その筆頭格であったのは、状況的に百田尚樹氏や有本香氏であり、それに対するコメントではそれこそKAZUYA氏が指摘する状況そのままに、上念氏が直接名前を挙げていないのにわざわざ忖度して「A氏やH氏のことですね」というような個人を特定するものが散乱していました。身内のサロンでのことですからいちいち取り上げるまでもないのかも知れませんが、決してKAZUYA氏が言うように「我慢していた」わけではありません。むしろかなり陰湿です。それを知らないでいたなら「一方の情報しか見えていない状態で批判した」わけですし、知っていたなら「意図的に一方を隠した」わけです。公平とは言えません。

 もう一つの理由は、そもそもKAZUYA氏はこの騒ぎを、「トランプ大統領に当選して欲しいから大騒ぎしている」と決めつけていることではないでしょうか。
 この大騒ぎの中で、「トランプの方が良いから」という人は確かにいるでしょうが、その割合はどれだけでしょうか。私には十中八九がそうだとは思えません。
 彼は野球になぞらえてこのように表現していましたが……

 どちらかというと、野球で言うなら試合途中、疑惑の打球が逆転打となる満塁ホームラン扱いされ、一方のチームは尽くアウトにされ、それは誤審ではないか、誤審ならこれは無効試合ではないかと言っているようなものではないでしょうか。それをこのように捉えているから、お互いで話が噛み合っていない、意味のない擁護と意味のない批判になってしまっているように思います。
 もちろん、それが誤審だというなら証拠を出せ!は正しい反論です。そしてここでいう「証拠」が「物的証拠」や「極めて確度の高い論理的証拠」であること、一般的に出回っているものを掲げてもそれが証拠能力を充分に示さないことは理解しています。ツイッターなどでよく槍玉に挙げられているほどには、KAZUYA氏の過去の言動は間違っているとは思いません(というかむしろ大いに賛同しています)。ただ、認識が著しく噛み合っていないのが、ここまでKAZUYA氏が叩かれる原因になっているように思います。

 願望と事実の分析を分けるべきと言うのはまさにその通りですが、事実の分析に重きを置きすぎると、今度は事実の分析の結果によってフィルターがかかることになります。無論、願望を先行させれば朝日新聞や毎日新聞などのようになるので禁物ですが、今度は分析の結果が願望に変わってしまうことも多々あります。KAZUYA氏は冷静に分析しているつもりで、いつの間にかそれに囚われてしまってはいないでしょうか。
 そうでなかったとしても、いつの間にか視点を固定化させてはいないでしょうか。その時正しかった情報や認識も、ある瞬間から不正解になることはよくあることです。あらゆることを彫り尽くしたつもりでも、人間が押さえられる情報などたかが知れています。常にアップデートしていかねばなりませんが、そのことをきちんと試みているでしょうか。今回の認識のズレの原因はここにあるのではないでしょうか。

今回のKAZUYA氏らの姿勢は間違っているのか?

 結論から言うと、私はそんなには間違っていないと思います。ただ、尽くタイミングが悪く、一番燃え上がっている時に油をぶちまけることになってしまっています。
 唯一、これは上念氏やケント氏にも言えることですが、個人的に考える「普段は正しいが、今回に限っては正しくない」姿勢としては、情報ソースをあまりにもマスメディアに頼っていることでしょうか。
 マスメディアの論調は、同種ではあれど複数のメディアから出る同じ事実に対する報道を重ねて見ることで、微妙に違った表現が見え、それによってより事実を俯瞰的に観測できるものです。しかし今回のものに関して言えば、それが朝日であれ産経であれ、情報の出どころは殆どが(ただでさえ放送法などによる縛りのない)CNNなどアメリカのメディアからの垂れ流しの日本語訳に過ぎません。FOXの情報すら届かず、もっと極端なメディアからの情報など殆ど日本には入ってきていないのが現状です。アメリカのメディアはただでさえ全てが偏っていますが、その中でも一方向の話しか流れてこないのです。このような状態であると、先の手法は何の役にも立ちません。どう見比べても同じでしかないからです。そして、アメリカにおいてはFOXでさえほぼ統一されている現状、メディアの情報をいくら見ても同じものしか出てきません。
 また私は、今現在アメリカが置かれている状況は、重火器を用いない第二次南北戦争の真っ只中だと思っています。実際、武力の行使こそ行っていないものの、軍が動いています。つまり、戦時下にあるということです。戦争中において偽報や撹乱、情報操作は当たり前、メディアがその中で正しい情報を出す可能性などまずありえないわけです。そのことは第二次世界大戦当時の歴史を振り返ればいくらでも証明できると思います。その状態でメディアの情報を信用するのか?という話になるのです。もちろん、SNSがより正しいかと言われればそうではありません。しかし、ある種の統一された意思によって報じられたメディアの情報の中にある真実より、時にそこらに転がっている誰かの叫びの方がより真実を映し出していることさえあるのです。それを拾い上げることがジャーナリズムだと思っています。

 そこで彼らに問いたいのは、そんなジャーナリズムによって齎された情報にどれだけ触れましたか?ということです。
 戦時下における正しい行いは、平時のそれとは違うはずです。今平時の行いによって得られた情報だけで、何をどれだけ正確に判断できるんですか?という問いかけこそが、彼らと「真実を追及しようとする者(その中には祭りの熱気に当てられて歪んだ正義感に装ったルサンチマンを叩きつけるだけの人を含みません)」達との意識の差なのではないかと思っています。 

疑問に思う上念氏の言行不一致

 個人的に、上念氏のここのところの言動は不可解だと感じています。

 具体的に挙げると、一つ目として、普段は「中国による超限戦」について警鐘を鳴らしながら、今回は中国の関与が噂されるにもかかわらず、一切その可能性に触れていないこと。

 二つ目として、「バイデンになる可能性もトランプになる可能性も、そして結果について大いに揉める可能性もあるのだから、いずれにも備えておけ」と自分で言っておきながら、現状では明らかに「揉めている」にもかかわらず「バイデンで決まり」と結論づけてしまっていること。

 三つ目として、普段は篠原常一郎氏からの情報をかなり重要視し、何かに付けて虎ノ門ニュースなどでも「篠原さんによると~」とソースにしていたにもかかわらず、今回に関してのみ一切篠原さんの情報について触れないこと。
 単純な意見の相違といえばそれまでですが、それにしても「金正恩死亡説」をはじめ様々な篠原常一郎氏ソースの情報を自らの口で説明し、それが一般的に否定されてもなお「自分は信じてますけどね」と言っておきながら、今回に限っては一切触れません。これはかなり不自然です。
 袂を分かったのかとも思いましたが、米国大統領に関すること以外ではその後も「篠原さんによると~」をやっていますので、そうではないことが分かります。普段両論併記に拘っているのに、不思議だなぁと思っています。
 上念氏はしばしば、情報の採用条件に「反証可能性」を挙げていますが、彼の口からはそこそこ反証可能性のない情報が飛び出します。その辺も一貫していないように見える要因なのではないでしょうか。

 おそらくは、頭に血が上って脊髄反射的に上念氏に攻撃している人もかなり多いとは思いますが、冷静かつ違和感を覚えている人は、この辺りについて感じるものがあるのではないか、と思っています。

篠原常一郎氏によるケント氏への痛烈な批判

 篠原氏は、上念氏に対してはさほど批判的ではありませんでしたが、一方ケント氏にはかなり痛烈な批判をしていました。

 特に篠原氏が批判していたのは、「パウエル氏は嘘を流すから、ドミニオンは嘘だから、見ない方が良い(大意)」というケント氏の態度についてで、「誠実ではない」というものでした。
 専門家だと言うからには、何がどう嘘なのか、何がどうフェイクなのか、そして真実はどうなのか、それをきちんと説明するのが専門家だろう、というのが篠原氏の指摘でした。その根拠を挙げないでただただ「見ないほうが良い」と言うなら、それこそ「貴方の方がフェイクなんじゃないか」というものでした。
 これについては正直言って同意するところではあります。ケント氏のこれに対する反論を予想するなら「証拠がないから」だと思いますが、一つ疑問を呈するなら、なぜパウエル氏がケント氏に、あるいは上念氏やKAZUYA氏、あるいは私に、あるいは読者である貴方に、法廷で使う証拠を見せねばならないのでしょうか?それだけでは「パウエル氏が嘘つきである」という証拠にはならないでしょうし、「現状ではまだ分からない」が正しい判断だと思います。

結論

 ここまで書いてきたことからもうお分かりかと思いますが、私は「1万7千もの低評価を受けるほどだったか」という質問に対しては「さあね」と答えますが、「過去にないくらいの多さの低評価を受けるのは妥当か」と言われれば、「妥当だったと思う」と答えます。
 また、KAZUYA氏は現状の認識が甘いのか、足りないのか、少し曲がっているのかは分かりませんが、いずれにせよ「噛み合っていない」ように思います。

 疲れたのでこの辺で。SHO+XENONでした。

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