見出し画像

迷子の機嫌

自分で自分の機嫌をコントロールしたいけどなかなか思うようにはならない。
その日の天気や体調、食べるものや読むもの見るものによって針は少しずつ揺れる。
例えば誰かに仕事で褒められたり予期せぬ嬉しい出会いがあったり対外的な出来事で機嫌がよくなったりテンションが上がると同時に機嫌も良好になることはあるけどそれはやはり一時的な現象でしかなくて自分から生まれたものじゃない。
思えば昔から得体の知れない不安や緊張が心根に張り付いていてずっと苛立ちながら現在進行形で生きていると思う。

自分に対しても、他人に対しても足りないものばかりに目がいってしまうからだろうか。
いや、それはただのガキのわがままで自己中心的なだけか。

人は17〜18歳頃に形成された人格形成が基盤となりそっから性格ってのができる。ここからの流れはそうそう変わることはないみたい。
その後、出会う人や仕事の環境、更には芸術や文学などで思考が変化していくらしい。あくまで思考で性格は別物だろうね。
ロジカルでクレバーだったり知的探求心が強いけど底意地が悪くて性格悪い人っているよね。
今に置き換えると名前を出すのも憚れるような連中ばっかだけど。

小六あたりから強すぎた自我の膨張を抑えられなかった、何もできないのを悟っての上か何ができるのか知りたくて。それでも経年を繰り返し30を過ぎた辺りから自我の風船は破裂していた。

意識がないと自分がいない。朝起きてふっと自分の意識を確認する。
意識がなけりゃ自我もないし自分もいない。
感覚でしかねえけどさ。


遡る。


中学入学と同時に先輩後輩の縦の序列がはじまったけど、先輩だからって自分の態度を変えることがすごく恥ずかしいことに思えて本当に嫌だった。言葉遣いはちゃんとしてたとはずだけど。

同学年のスネオみたいなやつが先輩に媚び売って腹撫でてもらう姿みるのが気持ち悪くて仕方なかった。
一時的に自分の立場や環境を優位にもってくやり方が姑息すぎるしかっこ悪い。
そんなやつほど、先輩が卒業したあとたいしたことないくせにでかい顔して校舎を歩いてるのもイライラしてしかたなかった。
かといって自分は波風起こすようなタイプでもなかったし嫌悪が溜まっても行動を起こせる器もなかったから、先輩や同級生から見たら何考えてるかよくわかんねえやつって映り方だったと思う。

中学時代はソフトテニス部だった。
テニスができたらかっこいいなくらいの安易な気持ちで入部したけど、練習三日目辺りで「ああ、おれセンスないな」と気づきが生じた。
三日坊主と言ったらそれまでだけど、これから死ぬほど練習して公式戦に出て地区予選を勝ち上がるイメージなんて微塵も持てなかった。
部員の関係性も前述の通り村が出来上がっていたので一向に馴染めなかった。
先輩も同級生もクソ、なんなら女子からもコケにされてるような思い込みを抱いてしまいテニスに対して恨めしい気持ちだけが増した。
中学一年生の春は鬱屈に染め上げられおれの目つきはどんどん悪くなっていった。

それでも、おれにかまってくれる変わった先輩が一人だけいた。
楠くんといって二個上の中学三年生。長身のやせ型で金髪。漫画「今日から俺は!」の三橋みたいな出で立ちの昭和オールドスクールヤンキーだった。
楠くんは一週間に一回くらいのペースで練習に参加するけど15分くらいで帰ってしまう。でも、他の三年たちは咎める様子はない。彼らには暗黙の距離感がある。
おれの記憶では校内で楠くんを見かけたときずっと一人だった。だけど、いじめられてるとかハブされてるとかそんな気配はなくて好き好んで単独行動しているように見えた。

なにがきっかけか思い出せないけど、楠くんに呼ばれて公園や空き地で”ただただしゃがむだけ”っていう謎の時間が何度かあった。
おれはドキドキしてほとんど何も話せなくて、かといって楠くんもおしゃべりなほうではなくセブンスターを吸いながらネクターをワインみてえにチビチビ飲んでいた。
当時「学校の怪談」ブームがあって、あの話知ってる?怖くね?とかそんなレベルの会話しかしてなかったはずだ。

楠くんが何でおれに声をかけてくれたのか今となっては知るすべはないけれど、おれは無性にうれしかった。
なんでうれしいか説明できないけど、思春期の牢獄で悶え続けるおれに言葉ではない伝え方で楽になれって言ってもらえたような気がしてならない。

それなりに長く生きてみるとお守りのような人と出会うことがある。
友人、恋人、先輩後輩、いろいろあるけれどもう会えないかもしれないけどずっと自分の心の中で生き続ける人。

やっぱり人間は思い出だけを抱いて死んでゆくのだろうか。
でも、それは悪いことではないはずだ。

どこかで元気でやってるはずのあの子、早まって死にやがったあいつ、おれを恨んだまま離れたあの人。
人間一人の歴史なんて地球から見たら広大な砂丘の中の砂粒ひとつに過ぎない。
でも何かの廻り合わせで砂粒同志が引っ付いては離れるを繰り返す。
これが縁ってやつなんだろう。

思い出はいつだって美しい。
だって脳が勝手にアップデートするんだもんな。
それはいつかの名画座。たまには名作を見返したくなるときもある。
あんまり振り返りすぎると首が痛くなるから、前向いていくよ。

ここから先は

0字

¥ 100

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?