日記 2月になってしまった


2月になってしまった。

と思っているうちに、もうまた飛ぶように1週間が過ぎてしまった。もうすぐ大好きなバンドが節目を迎える。カウントダウンはもう始まっているが、今をどう過ごしたらいいのかがわからない。

人生で初めてのファンレターでも書いてみようかと思ったが、どんな言葉を伝えるべきなのかもわからなくて、結局これを書き始めている。

2月になってしまった、と思った夜、4月になってしまった、とメンバーのひとりがツイートしてからもう10ヶ月経つのか、と思った。

彼はあの日どんな思いであの言葉をスマホに打ちこんだんだろう、とあらためて考えていた。

彼のことだから、自分の叶えたかった夢のことよりも、ファンたちを悲しい気持ちにさせたくなくてできるなら伝えたくなかったことを伝えなくてはいけないときがきてしまったな、という、4月になってしまった、だったんだろうと思った。

もちろん、彼のほんとうの気持ちは書いてある以上のことは私がわかるはずもないのだが、彼のつくる音楽やファンに向き合う姿勢から私が想像するかぎりは、彼は多分そういうひとだろうなと思う。

彼らがあまりに優しくて、どこまでもまっすぐに対等にファンの言葉を受け止めてくれる人たちだとわかっているからこそ、この1年はだんだんと何を言葉にするにも怖くなっていた。軽率に脊髄反射で言葉にしてしまってあとから消えたくなるくらい後悔することもよくあった。

新曲の感想も、ライブの感想も、この1年のことは全部を残しておかなきゃと思って書き始めてはみていたが、書いては消し、書いては消して、結局書き上がらないままずっと下書きに眠ったままだった。


優しい彼らが私たちの悲しんでいる姿を見て自分を責めたり、胸を痛めたりするくらいなら、嘘でも、悲しくなんてないよもう大丈夫だよ、と笑ってさよならするのが愛なんだろうなと思う。

その一方で、大好きだからお別れするのが悲しくて、寂しくて仕方がないことを伝えることもまた愛なのではないかと思ったりもしている。

2年前、最初に書いたnoteで、わたしは彼らに向かって、わたしにはあなたが必要です、と言っていた。こんな時代に続きを選んでくれてありがとう、わたしにはあなたが必要です、と。なのに、悲しい気持ちをないことにしてしまうと、もういなくなってもいい、もう必要がないと言ってしまうかのようで怖いのかもしれない。

悲しいことに責任を感じてほしいわけではない。ましてや謝ってほしくなんかない。自由に生きて、できるだけいつも幸せでいてほしい。でも“大好きで必要としていたからお別れが悲しい”の気持ちも、なんというか、最後までただそこにいさせてほしいなと思う。

だって悲しみも喜びも両方あるのが人生なんでしょう。悲しいときは思い切り悲しいって言ったっていいよね。悲しみに振れたぶん、同じだけ喜びにも振れるのが人生なんだったら、悲しみだってなかったことにしなくたっていいよね、と思う。

大好きだからとっても寂しいよ、でもこれまでたくさんありがとう、いつも幸せでいてね、でいいよねきっと。

ちょっと重いか。ファンレター、書けるかな。やめとこうかな。書いても出さずに終わりそう。


それにしても、4月の時点ではまだ2月なんてずっと先だと思っていたのに、あっというまに時間は過ぎ去ってしまった。

きっとここからの2週間はもっともっと短い。

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