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ほぼ1000字レヴュー Little Simzの“Point and Kill (feat. Obongjayar)”

伸縮と偏り


   前作『グレイ・エリア』から2年半。当時とちがって、我々はすでにSAULTによる5枚ものアルバムを知っている世界の人間だけど、SAULTのインフローが前作に引き続きプロデュースしているという前情報なしに聴いても、この新作のサウンドとリズムの豊かさに驚いたはず。

   さて、このアフロビート調の“ポイント・アンド・キル”について。イントロに続きトーキング・ヘッズ“イ・ズィンブラ”の「がっ!りっじべーり」という歌いだしが始まらないか不安になる感じは、もちろん映画『アメリカン・ユートピア』の余韻がわたしの中に残存しているためだが、実際にはこの曲はオボンジェイアーの「あ~」という掛け声で始まる。この力の抜けた声が、じつに曲全体のムードを象徴している。彼はコーラスで「ら~ぃ」(like)「いーぃー」(nobody)と、母音を粘っこく伸ばす。シムズもつられるように、「おっふぁ~」(offer)「たぁ~む」(trust am)と冗長に伸ばす。一方で彼女のラップは、1小節に8音節を均等に配分する、「ねちねち」としたフロウを取り入れることで、冗長どころかむしろ詰まった印象すらある。

   それでは、これらのびよんびよーんとゴムのように伸縮するヴォーカルが乗っている、トラックの方はどうか。アフロビート特有の「3・3・4・2・4」という区切り、1小節の中に密度の偏りがあるリズムがスティックで鳴らされる。ビートが密な部分もあれば、間の空いた部分もある。つまり、ビート自体にも伸縮性がある。身体でリズムを刻もうとすると、3拍目の頭にビートがこない。そこに生じるわずかの虚無を埋めたいという肉体的渇望によって、身体は「ぐにゃあ」と一瞬床下に沈み込む感覚になる(トランスの曲でビートがない数小節のあいだのトリップ感に似ている)。

   このように、それぞれ特有の伸縮性を持ったヴォーカルとビートが重なることで、(平行線と正方形が組み合わさって歪んで見えるカフェウォール錯視ばりに)さらなる歪みやズレになり、我々はそのズレをグルーヴと呼んだりする。だがここまで挙げてきた特徴は、“ポイント・アンド・キル”独自のものではない。SAULTには(この文章を読んでいるあなたは既にSpotifyでその新作音源を聴けなくなっているかもしれない)“トラップ・ライフ”という同様の構造を持った曲が存在するし、シムズらの「冗長な母音」の歌い方に、デヴィッド・バーンの「れぇーーい」(Lazy)を感じてしまうのは、本当に『アメリカン・ユートピア』の余韻だけのせいだろうか?

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