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相模国準八十八か所 その1 第1番 感應院とその周辺地域

江戸時代の文政2年から4年、鵠沼村(現藤沢市鵠沼海岸)の浅場太郎右衛門親子が発起して、四国八十八か所に倣い横浜市(1か所)、鎌倉市、藤沢市、茅ヶ崎市、寒川町に弘法大師像を設置し巡礼地としました

インターネットで調べてみると、2009年に「鵠沼を語る会」の皆さんが詳細に調査した記録(以下「調査記録」)が見つかりました。四国の八十八か所巡りは遠くて行くのがなかなか大変ですが、神奈川県内にあるこの八十八か所ならばと、私もこの調査記録を参考に訪ねてみることにしました。

noteに掲載する第1回目はやはり第1番。そしてその周辺地域を訪ねることにしました。2020年11月

このnoteを書いている人:
おやちょう
日本の歴史・文化・自然・世界遺産、国宝、(続)100名城、日本遺産、建築、町並み、旧街道、映画、日本酒などに興味があります。京都/奈良/横浜/鎌倉/江の島などなど…。

■出発は藤沢橋バス停

藤沢駅北口から歩いておよそ15分、藤沢橋に到着します。ここは、歴史的に見れば東海道と江の島方面に続く江之島道に繋がる遊行通りの分岐点。踊り念仏で有名な時宗の総本山清浄光寺(通称、遊行寺)があり、毎年お正月には箱根駅伝の応援客で沿道が大賑わいになるところです。

写真の藤沢橋バス停付近から大船方面へ続く交差点を渡り少し戻るように進みます。交差点から少し歩いて左に曲がると、相模国準八十八か所第1番である三島山瑞光(院)寺 感應院の入口があります。

門前には「弘法大師」の銘がある石柱があります。早速境内に入ってみましょう。

境内は失礼ながらあまり整備がされておらずさびれた雰囲気が漂っていて、鐘撞き堂は老朽化のためか立ち入り禁止となっています。

寺院には住職がいる様子もありません。調査記録でも弘法大師像は写真撮影不可となっており、残念ながら私も弘法大師像を拝むことはできませんでした。

■旧鎌倉街道を歩いて

境川沿いの道を暫く歩くと、右側に舩玉神社という名の小さな神社が現れます。調査記録によると、相模国準八十八か所第12番舟久保不動院は元はこの付近にあったものの、既に廃寺となっており、関東大震災後にここ舩玉神社に移されましたが、弘法大師像は現在は行方不明とのこと。またしても弘法大師像にお会いすることはできませんでした。

神社の説明板によると、この神社の前の道は旧鎌倉街道であり、「…昔は江ノ島から、この付近まで船がでいりしていたといわれ…」(ママ)との説明が、往時をしのばせます。

■鮮やかな真っ赤なお堂

舩玉神社から旧鎌倉街道を暫く東に進んで右折します。コンビニのある交差点を横断すると。右手に鮮やかな真っ赤なお堂があります。そろそろ弘法大師像に会えるのではないかという期待に胸が膨らみますが、どうもお堂が大きすぎる気がします。

この真っ赤なお堂は鼻黒稲荷大明神というお稲荷さんで、このお堂に向かって右側、キツネの像の奥に小さなお堂があり、これが目指す弘法大師像となります。

相模国準八十八か所第60番の日照山金剛院は、元は今の藤沢小学校北側付近にあったようですが、火災のため焼失し、廃寺となりました。現在は大師堂のみがこのお稲荷さんの隣に設置されていますが、中に入ることはできず、またしても弘法大師像を拝むことはできませんでした。

■今度こそ弘法大師像に会えるのか!

鼻黒稲荷大明神からバス通りを少し離れると、旧東海道のやや細い道があります。突き当りには昔ながらの蔵がありその隣の古風な建物はギャラリーとなっていて、この日は写真展が開かれていました。

ここから藤沢橋方面に引き返すように歩き、本日の出発地点である藤沢橋交差点付近で左を見ると、金砂山観音堂があります。入り口の石柱には、右には金砂観世音、左には鼻黒稲荷大明神と書かれています。

ここは相模国準八十八か所第58番金砂山観音堂とのことですが、どうやら弘法大師像を納めたお堂も見当たりません。調査記録によると、弘法大師像は廃仏毀釈時に行方不明になった様子です。

■最後に

ひょんなことから偶然知ることになった相模国準八十八か所、記念すべき第1回目は残念ながら弘法大師像には出会えず仕舞となりましたが、まだ巡礼は始まったばかり。機会をとらえて訪れたいと思いますが、いつまで続くかもちょっと怪しいかも…。

なお、最初に訪れた感應院には、第23番常福寺の弘法大師像と思われる弘法大師像もあるとのこと。弘法大師像には出会えなかったものの、今日一日で5か所巡礼をすませたということにしておきます。

「鵠沼を語る会」による調査記録↓(PDF)

ありがとうございます!ホッピーを買おうと思います。