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気づいたらいつの間にか、子供の頃に思っていた「やりたかった仕事」を実現していた話

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 幼き頃に思い描いた将来の夢。みなさんはどんなことを思い描いていましたか?

 僕の場合はこう考えていました

幼稚園の時は「つくってあそぶばんぐみのおにいさん」
  =(NHKのワクワクさん)
小学校、中学校の時はあまり覚えていない。
高校で進学先を考えた時は「医者」
大学で就職活動をしたときは「新聞記者」「パイロット」

31歳を過ぎたある日の朝。気づいたこと

「夢の本質」を考えたら、全部実現している

ということでした。

高校生の夢「医者になる」

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 高校生の時には医者になりたいと思っていました。
 その時に思い描いてたのは、「大病院に勤務して、最先端の医療を駆使して、患者さんの命を救う」ではなく、「離島や山村などの僻地医療に関わって、顔が見える地域住民の健康を支える」というのをしたいと思っていました。
 しかし、学力が足りなかったので、医学部にいけなかった。だから医者になるという夢は果たせなかったのです。

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 宿泊施設「地域まるっと体感宿 玉村屋」を始めた今、2つのことから「地域住民の健康を支えられている」と感じています。
 1つは玉村屋で実施している「地域体験コンテンツ」これは、外から来た人に地域産業を体験してもらうと言うもの。これをやっている目的の1つに「地域の人に誇りを持ってもらう」ということがある。この地域に住む人々にとって地域産業は当たり前にあるもの=「すごいもの」としての認識や自信がない。その一方、外から来た人にとっては新鮮で「すごいもの」と感じるものが多くあると思っています。だから、来た人が当たり前にある地域産業を体験してくれて、「すごい」という感想を地域住民に伝えることで「地域への誇りにつながる」と考えています。地域への誇り=自信が、ここで暮らしていく楽しみとなり、楽しみがあるということは健康的に過ごせると言うこと。だから、こういう形で地域住民の健康を支えられていると思います。
もう1つは、近隣の診療所に医師として勤務している友達と連携して「つなげる屋台」という事業を実施している。これは、町中で屋台を引きながら、地域住民と一緒にお茶を飲み普段どおりの会話をしながら「健康」を支えると言うもの。なぜかというと、人は「身体の不調を感じてある程度してからじゃないと病院には行かない」ということがあり、それが健康への復帰期間を長くしている原因だと友達の医者は言っている。本来だと、「そう言えば最近、夜眠れなくて」レベルの気付きの段階で医療にかかれれば、復帰も早くなるらしい。ということで、屋台という自然な雰囲気で関わることで、相談しやすい環境をつくること。それが屋台が目指している健康への形なのです。

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 医師になりたかったのは「顔が見える範囲の地域住民の健康を支えたい」というのが本質的なところ。つまり、医療=健康を支えるためのツールに過ぎず、宿と体験コンテンツやつなげる屋台というツールを使って、高校生のときに思い描いていた「医師になる」という夢は本質的なところでは実現していたと感じたのです。

大学生の夢 その1「新聞記者になりたい」

 大学3年生。本格的に就職活動を考えた時に就職先の1つとして考えたのが「新聞社の記者」という仕事。何社かを受け、選考に進んだものもあったが、結果的には不採用となったのです。

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 新聞記者になりたいと思ったはなぜだったか。それは「自分ひとりが伝えられることは限界がある。だからこそ、新聞という告知手段を使って、人に伝え、世の中を良くしていきたい」という思いだったのです。
 そう思うと、今ではインターネットが発達し、SNSなどを使った発信ツールがかなり発達していて気軽に使うことができる。自分自身も、このnoteをはじめ、twitter や Facebook 、youtubeなど発信するツールを使っている。そうか、この発信ツールで文章を書く、言葉を発するということを通して、世の中を良くすることができる。現に僕が発信したのを見て、「自分がこうしたいと考えました」とメッセージを送ってくれる方もいる。既に新聞記者になりたいと思った本質的な理由の部分って実現していると感じたのです。

大学生の夢 その2「パイロットになりたい」

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 新聞社と並行して採用試験に挑んでいたのが「航空会社のパイロット養成コース」です。日本では、パイロットになる道がいくつか用意されていて、そのうちの1つが航空会社に勤めながらパイロットとしての教育を受ける道というところ。これもなかなか狭き門で、選考の途中で落ちてしまったので、パイロットという夢を諦めました。

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 しかし、時は経った2020年。ドローンを購入したことで「ドローンパイロット」になることが出来ました。そこで思い出したのが、あの頃なぜパイロットになりたいと考えたかと言うこと。「人は住んでいる環境から遠く離れることで、新しい価値観に出会えるから、そのお手伝いをしたい」と考えたのを思い出しました。ドローンを飛ばし、映像を発信することで見たことがない世界=新しい価値観に出会うことをお手伝いし、そこの景色を見てみたいと思った人がその場所に見に来る。そうなんです。本質的な想いの部分では実現するのはもうすぐそこということ。

まとめ

 一言で言うなら「〇〇になりたい」というのは、ただの手段である。だからこそ、なぜそれをしたいのか本質的な部分まで考えれば、違う形で達成することができる。ということです。

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 振り返って、幼稚園の卒業アルバムに書かれていた、「つくってあそぶばんぐみのおにいさん」になにを思い描いたのか。もしかすると「なにかをつくることで、人をワクワクさせる」というところに憧れをいだいたのかなと感じます。

 今は玉村屋という場所を「つくり」、楽しいことを企画して「あそぶ」
そのことが、幼少期に憧れをいだいた「おにいさん」になれているのかもしれません。

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