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挑戦は特別な営みではない。

挑戦することは特別なことじゃなく。
なにか大きな、日常という慣性の法則のような流れから、ベクトルを少しズラす作業だと考えている。

どうも毎度さん。
挑戦っていうと、どうしても非日常というか、大変化みたいな取扱いになってしまうけど、そこに大いに違和感を持ったので、少し整理しようとペンを持った。厳密にはペンは全然持たず、PCのメモ機能を開いた、だ。

挑戦する大きな理由は、
◯変わり続けることが、生き残ることだと仮定しているから
◯その過程が仕事をする上でのやりがいだから
◯(実は)ラクがしたいから
だ。

たとえば今30分かかる作業が目の前にあったら
「20分で済ませるには」を考え始めると
いろんな知恵が出てくる。
その営みがなんとも、
脳みそが腕まくりするような感覚になる。
アスリートが1分1秒を更新していくことにやりがいを感じるのと同じく、
この営みが、その過程が仕事をする上でのやりがいなのだ。

そして達成されたら、ラクに繋がることにもなる。
その瞬間をラクにしようと思えば
「手を抜く」とか
「やらない」とかって選択になるのだろうけど、
その先に待つものがイメージできてしまうのが、大のオトナって生き物だ。
次の作業する人が泣くことになったり、出荷先に迷惑をかけたり、…ね。

瞬間でなく根本をラクにすることができれば、30分かかる作業ってのが毎日10分ラクになる計算になる。

これまで先人から続く稲作の改善改良は、ザクっといってしまうと
「もっとコメづくり、ラクになんないかなぁ」だ。
それにより直播→田植えになり、手植え→手押し田植え機→乗用田植え機へと進化してきた。
(田んぼの診断をしながら田植えし、肥料をまく工程で加減を自動で行う「可変施肥田植え機」がその次の進化だと表現される未来が来ますように…
この可変施肥田植え機の開発に、1枚噛んだ一人として)

そのおかげで、
昭和55年(ボク産まれる前だな)は64.4時間だった作業時間は
平成18年(ボク就農した年か)には27.96時間に短縮された。
57%短縮された事になる。
数字は農水省調べ https://www.maff.go.jp/j/seisan/ryutu/zikamaki/z_genzyo/pdf/01.pdf

上記は統計で、ウチの実際は、2020年で、たしか13時間くらい。

たけもと農場はこれまで
◯県下最悪の猫またぎ米の田んぼから、日本一の収量へ(祖父)
◯小さなムラであぐらかく農家から全国レベルへの成長(祖父)
みたいなオラオラした変化から
◯直播栽培へのトライ(父)
◯産直(産地直送)での販売開始(父)
みたいな、今ならやってる人ゴロゴロいるのでは?と見る人もいるであろう変化まで、それぞれ積み上げてきた。
そう言うのをメタ視点から見て感じ取っていると、
大きな、慣性の法則のような流れから、ベクトルを少しズラし続けるのが習慣になっているともいえる。習慣ってのは怖いもので、「やるんだ!」と言う強い意志ではなく、「あれ?そういえば今日まだやってない。(ソワソワ)」と、違和感がそうさせるカンジ。

地元の寺井中学校で講演すると、
なぜ挑戦することができましたか?
失敗は怖くないですか?
と言う質問が、毎回のように出てくる。

答えは
「失敗が怖くない程度に道を逸れていったら、いつの間にか『挑戦している』っぽくなった。」だ。
アントニオ猪木さんのように


「(試合に)出る前に負けること考えるバカいるかよ」


のような胸打つ名言が出せるようになりたいものだ。

国産イタリア米の栽培を例にとっても、
◯まだ誰もしたことがない
◯栽培の手本、手引きがない
みたいな解釈で、随分大きなトライをしたかのように感じ取ってもらうことがあるが、当初の意気込みは
「よ〜し、日本ではまだ誰もしたことがない国産イタリア米を栽培して、農業王にオレはなる(どーん)」

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(画像はネットで拝借)
みたいなのではなく、実際は
「おっ、面白そうな品種みっけ。いっちょやってみっか。」

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(画像はネットで拝借)
と言う平凡なカンジ。
日本の全農家から抽出すると、年間で100万回くらい言われるような、ありふれたセリフで、この大いなる挑戦(?)は始まったのだ。
作り始めたら、手引きがないので難しかった…
って、
考えてなかったんかーい!くらいのノリだ。

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(画像はネットで拝借)

栽培をいざ始めると、手引きがないので難しかったり、販売ルート開拓もノウハウあんまりない分野だったりと、困難はあったけど、困難をあげればキリがないのは、日本農業に限らず、全世界の農業にも限らず、世の中全般そうなのでは?と思う。
そして忘れがちなのが、そのままの道を行くのも、それなりに困難だろうということ。今まで通り作ったら、今ままで通りの値段で今まで通りの量を今までと同じお客さんが買ってくれる保証、ないですもの。

初年度は、すでにある肥料、すでにある田んぼを使い、別途かかった費用は2000円くらいなので、失敗したとて、ね。
今では年間30トンとか作ってるので、大層な規模になったけど、いきなり30トンを初年度・売り先開拓ゼロ・ノウハウゼロ状況下で実現せよ!となったら、怖くて出来ない。大変革かのように表現されるかもしれないけど、そういうのだったら、ボク無理。少しずつやったから、出来た。


冒頭にも出た「なにか大きな、慣性の法則のような流れから、ベクトルを少しズラす作業」
この表現は、農系ポッドキャスト「青いTシャツ24時」で70seeds岡山くん、ハナウタカジツ片山さんと話した際にも出ていた
「180度の変化でなく、30度の変化でいい(岡山くん談)」と言う表現に近い。

余談だけど、このセリフ聞いた時に、「あえ?どっかで聞いた気が… 」となり、
思い返したら、同じく青いTシャツ24時の第15話で、これまた同じくハナウタカジツ片山さんとの話で
ボクが発していたことがわかった。


ボクの場合は、「180度変えようっていうのではなく、5度とか10度とかでいい」だった。

改革を求められている時だとか
事業承継の時もそう。

今までと大きく変えようという時に、
これまでの経緯を断ち切るかのように、全然違う施策をするケースがある。

畑で野菜(露地野菜)・田んぼで米を作る複合経営で父がやっているところに
息子が就農し、ハウス栽培でトマトを作ると言うケース。
労働力という観点からすると、シナジーする部分はあるけど、
ハウス栽培と露地野菜・水稲を将来両立するのか?露地野菜・水稲部門を見限るのか?
どちらにせよ考えるのも判断するのも大きなカロリーを消費してゲッソリしそうだ。

(あとがき)

この記事を書こうと思い立ったのは、農系ポッドキャスト「おみそしるラジオ」が終わりを迎えたことがきっかけだ。挑戦リアリティバラエティと銘打ったこの番組は、三重県の農家しなやん、ナスケン、非農家すみへい、の3人が番組を通して成長していく過程に、多くのファンがついていた。
ボクもよく聞いていたけど、同じ農業者・同世代ということもあって、成長の姿が眩しかったり、影響を受けてはやしたてられる感覚になってしまう瞬間もあったりして、手を出せない時もあった。それほど、グッと人を惹きつける、良い番組だった。
(ここのところもそうだったので、アーカイブが溜まってて、最終回だと知って慌てて全部聞いた)

おみそしるラジオが幕を閉じることになった要因は
「番組の存在に、挑戦を強要され続けるのはあるべき姿じゃない」みたいな文脈だった。
そこから「挑戦ってのは特別」をなぜかボクは連想して、そうじゃないよと言いたくなった。
もしかすると、青いTシャツ24時も挑戦を追う番組という想いを頭の片隅に持ってて、それを否定されたような思いがあったのかもしれない。そして先輩農業経営者から「お前のやってることは、のらりくらり」だと評されて落ち込んだのも悪魔合体して、全部のせみたいなフルコンボでボクに襲いかかってきたのか、爽やかな放送だったのに、聴いたボクはひどく落ち込んでしまった。

この記事を書いている過程でスッキリしてきたので、頭が整理されたことと、挑戦は特別じゃないと結論づけることが出来たことで、この落ち込みは成仏できたのだと解釈することにする。

ボクはダラダラと配信も挑戦も続けて、後々に「どうやって成功できたのですか?失敗とか怖くなかったですか?」と聞かれる未来に到達することにする。

ほんならまた。


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