リ・エゾンに落としたいなぁ。

昨晩は大阪のaimaカフェさんで「無風状態」の"無風トーク"に参加してきました。

それを踏まえて「無風状態」に新しい記事がポストされていました。

居場所は、「孵卵器」か永遠のモラトリアムか?

https://note.mu/mufuujoutai/n/n80d9958f8cff

今回のイベントは、これまで感想をnoteに書いてきたので、石井さん(株式会社シェアするココロ)と田中さん(一般社団法人officeドーナツトーク)が直接話をするというので、参戦してきたのが理由はあるのですが。

「孵卵器」/「永遠のモラトリアム」という概念を二項に「押す」派/「待つ」派と若者支援について回る対立を整理しようという面

それに、事業として展開するためのは何がネックになってくるのか!?という内容でした。

くわえて、付随する領域として、貧困や子供の人権、種々のマイノリティ、発達障害などを含めた議論も必要性も主張されていました。

ざっくり今回の記事とイベントで聞いたものをまとめてのが上記です。

僕個人としては、とある「企み」があってそれを動かしていくためのベースとして、今回書いているのですが。

ある種の覚悟や責任の所在という課題もあるかなと思っていて。支援者の介入に関して、やはり最悪を避ける、または、避けたいのが本音かと思います。

ふと、ここで何を前提に考えているかというと個人として行うのか、団体として行うのか、が不明瞭。というか個人に帰属してしまうんじゃないかと体感的に感じざるを得ない。
要は、最終的に「お前が勝手にやったんだろう」ってな感じです。最悪のクライシス・コントロールでしょう。
若者支援は業界としてマニアックなうえ、陰湿な閉鎖性もあるのが、中々めんどいと感じているんですが。

では、まー対立軸を前提にしてしまいすぎるとプロレス的な対話になって見ていてスリリングだけど中身がない。
こうならないためにそれぞれを数あるアプローチとして受け入れる土壌を創るのが必要だといえます。

もっと、はっきり言えば、ぺーぺーの僕からするとなんで対立するのかわかんないのもあります。

そこで、一番理想なのは業界として「リ・エゾン」的であることかな。ひきこもりにしてもニートにしても、必ず支援団体、医療、福祉機関って場所で発見されるのだから、その個人の段階に応じて行きつ戻りつが出来るのが望ましい。あそこはダメだという前に面倒かもしれませんが、再度話し合いやそれぞれの特徴、最終的にどういった状態が本人とっても自分達にとってもよいのかを設定し直す時期なのかもしれません。
それによって、新しい事業や連携のカタチ、本人の自己決定に繋げていけるんじゃないかな。理想論ですが。
若者支援というジャンルが出来て約30年ほどたったのだし、草分け的な第一世代、彼らの影響を受けた第二世代、これらの方は独立して自身の団体を一から創り出してきました。
では、今40代前半から30代、20代の三世代目、四世代目はどうなんでしょう?

先達者が作った団体の二代目やコアスタッフになり始めている彼らや委託事業で参入してきた若手のキャリア形成も含めて持続可能性を高めていかないと、予算の関係でヒトを切るのに「人材不足」なんていう矛盾も越えていく必要はありますしね。

そういった面から若者に関わる方が集まってコンセンサスを作っていく機会が年に何回かあると良いなぁ。自分のところでは限界があるけど、ここに行ってみるといいよ。って連携が出来ると自分達も楽だしね。

っという感じで生意気全開で書き上げました。

おしまい。

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