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一樹帰ってきたからすたみな太郎行こうよ

中学に入った時くらいから、自然と「親と一緒に外出したくない」という気持ちが生まれ始めました。

放課後や土日、近所の西友に行けばフードコートで同級生がたむろしています。
それは全然結構なことなんですけど、そこを母親と一緒に通りすがるのがどうしても嫌で。
あっちは友達とで、こっちは親とで。あっちはハンバーガーとか花まるうどんを食べて、こっちは野菜とお肉と牛乳を買って。あっちは自立してて、こっちは庇護下にいて。あっちはイケてて、こっちはイケてなくて。

それに、学校がどんな感じとか、家の外でクラスメイトと顔を合わせた時にどんな雰囲気になるかとか、別に何か悪いことがあるわけじゃないんですけど、「家の外での自分」を親に見られるのもとにかく嫌でした。

それまでは、学校と家との境目ってそんなになくて、家で夕飯を食べてるときも、3兄妹全員が順番に「今日学校を休んだ人クイズ」「今日授業で手を挙げた人クイズ」「今日のホームルームで泣いた人クイズ」とかやれちゃうくらい、クラスメイトに誰が居て、誰が仲良しで、誰は気が強くて、誰は優しくて、っていうことは余すことなく親に伝えてました。
学校で先生がつまらないギャグを言ってスベッてたこととか、帰り道につばさくんが転んで足をすりむいたこととか、あのころは全部母にも知って欲しかったのに。子どもは好き勝手なものですよね。


中学を卒業すると、僕は地元を離れて東京の高校に毎日2時間かけて通学するようになりました。
その高校はエスカレーター制みたいな感じで、早い子だと幼稚園からずっと同じ系列の学校に通っています。伝統ある学校で、幼稚園とか小学校から系列にいる同級生は、平塚の片田舎で育った僕とは明らかに何かが違います。

僕にとって、家族とたまに行く外食の代表格は「すたみな太郎」です。
すたみな太郎は、激安のバイキングです。しおれた焼肉、しゃりがパンみたいに硬い寿司、べっとりしたナポリタン、冷凍のチキンナゲット、自分で作るわたあめ、その他諸々。
近所のすたみな太郎はドン・キホーテの敷地内にあって、我が家も含めて郊外ドンキの常連ファミリーがそのままなだれ込んでいるような雰囲気です。
好きなものをお腹いっぱい食べられるし、子どもが喜ぶ総合エンタメ施設として、僕はすたみな太郎を楽しんでいました。

高校で、僕は初めて「質」の違いというものを認識します。
もちろん、僕の親がいつだって安いものを食わせて近場で遊ばせてたわけではないんですけど、日常で使うスーパーが成城石井で、洋服はデパートで買って、年に一回は海外旅行に行くよねという環境で育った人たちは、根本的に僕と何かが違う気がする。
なんでうちは「すたみな太郎」なの?なんてことは言わないし、なんなら明確に思ってたわけでもありません。僕にとって今でもすたみな太郎は、美味しいかマズいかという尺度で測るものではない「当たり前」の地層深くに練り込まれています。
でも、世の中には週末の外食=すたみな太郎じゃない人たちがいる。というか、「フードコードの花まるうどんで友達と飯を食う=イケてる」すら怪しくグラつき始める。そんなぼんやりしたものを感じながら、僕は大人になっていきました。


社会人になって、僕は家を出て一人暮らしを始めました。
東京の大手の大企業。イケてるオフィスで、イケてる給料をもらって、イケてる飲み会に明け暮れます。
でも個人的にはギリギリのライフポイントで日々過ごしていました。終電に飛び乗って、深夜番組を観ながら何も考えずにコンビニ弁当を食べて、積み重なった弁当ガラが独身寮の片隅で崩れかけています。ゴミ袋にゴミを詰める気力もありません。そのまま椅子で気を失うように眠って、朝急いでシャワーを浴びて、家を飛び出して、満員電車に乗って、またイケてる日中を過ごします。
そんな状態だったので、実家の空気に一度触れてしまうともう月曜日を迎えられないかもしれない気持ちになり、1年くらい家族との連絡を遮断していた時期もあったりしました。

そういう時期を過ぎて、久しぶりに週末実家に帰ると、母が「一樹が帰ってきたからみんなでご飯食べ行こうよ」と言います。
場所はもちろんすたみな太郎。子どもたちが駆け回り床がべとついている激安バイキングで、会社のことも、東京のことも、何をしゃべるわけでもなく、僕はライフを回復してまたイケてる東京に帰っていきます。


クラファンやってます。明後日までです。


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