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僕はポケモンマスターになりたかった

『ドリトル先生』を禁止された日

小学校2年生の夏。
2週間に1回、近所にある仙台市立泉図書館に家族みんなで行くことが習慣になっていました。当時から活字は好きだったので、それなりに楽しみなイベントでした。

とはいっても、実質的には何でも借りて良い状況ではなく、親の"教育方針"に適合した本を借りなければならないという圧を感じていた記憶があります。
本当は、もっと挿絵が多くて読みやすい本とか、スポーツやエンタメ系の本とか、何か面白おかしいことが書いてある漫画とかを読みたかった気持ちを抑えて、『真田十勇士』とか『水滸伝』などの適当な児童小説とか、「日本の歴史がまるっとわかるマンガ」みたいなのをつまみ食いしてのらりくらりと過ごしていました。

そんなある日、僕は『ドリトル先生』に出会いました。
努力の末にアヒルや豚などの動物たちと対等に会話ができるようになり、みんなで肩を並べながらアフリカへ冒険に出向くドリトル先生の姿にとても憧れました。
本来分かり合えない存在、でも宇宙人とか怪物みたいに「いない」存在ではなく現実世界にいる存在、それと(現実には起こり得ないが)対等に話ができる・・・ファンタジーだけど子どもだましの嘘っぽくないギリギリのラインを『ドリトル先生』は攻めていたと思います。
読んでいる最中、僕の身体はアフリカにあり、南の島にあり、時には月面にありました。僕も冒険していたし、僕も動物たちと喋ることが出来たし、そういう世界にずっと身を置き続けたいと心から願うようになりました。

いつの間にか僕は『ドリトル先生』の虜になり、5冊の貸出制限のうち毎回1-2冊はシリーズを借りていました。何となく僕の矜持として、5冊全部を『ドリトル先生』にするのは、ちょっと恥ずかしいというか、好きであることを隠したいという気持ちが働いてはばかられたのでした。

全13巻。
最初はちょっとずつ読み進めていましたが、巻を重ねるにつれてはやる気持ちを抑えきれなくなり、ついにあと5冊で全巻読み切るというタイミングになったある日のこと、僕は貸出制限枠全てを『ドリトル先生』に全ベットしました。

そして、父からものすごく叱られました。
もっと意味のある本を読め、といった趣旨のことを言われた記憶がうっすらあります。動物と話せる医者の架空エピソードを読んで、具体的に将来何になるのか、役に立つのか。獣医にでもなるつもりなのか。たしなむ程度ならまだ良いが、そればかりにうつつを抜かすとは何事か。

結局、僕は『ドリトル先生』を読破することなく大人になりました。

「ポケモンマスター」

ポケットモンスターは知っていても、ポケモンマスターが何かわかっている人は少ないのではないでしょうか。
かくいう僕も、いまだによくわかっていません。

ポケモンアニメの主人公は、25年間変わらずずっと、サトシという11歳の少年です。彼は「ポケモンマスターになる」という強い夢を持って、故郷・マサラタウンを旅立っています。

ところが、劇中では25年間ずっと、「ポケモンマスター」が何か明示されることはなく、ポケモンマスターという肩書きを持った人物すら1人も現れていません。
そしてどうやらサトシにとってポケモンマスターとは、全てのポケモンを捕まえることでも、大会を勝ち抜いたチャンピオンでもないようなのです。
もっと何かすごい存在、明確に誰か「この人」という人がいる訳ではないし、具体的に「何」をしたら成れるのかもあんまりよくわからないけど、でも目指したいと思えるようなトップオブトップ。それがサトシにとってのポケモンマスターだったのだと思います。

僕も小さい頃は、どうやったら成れるのかもわからないし、成ったとして何になるのかよくわからない存在に憧れていました。
でもそれはいつしか、もっと正しいとされる手続き論に吸収されていきました。"意味"なく戦隊ヒーローやドリトル先生になりたかった僕のあの頃の気持ちは、現実、将来、具体など周囲からの色んな言葉によってかき消されていきました。

サトシは、25年経った今も色あせることなく、誰にも意味の分からない「ポケモンマスター」を愚直に目指しつづけています。
現在地がポケモンマスターの何合目なのか、あと何をすればポケモンマスターになれるのか。そんなことはサトシの周囲の誰も訊いてこないし、訊いた人がいたとしてもサトシは「いや、ポケモンマスターはポケモンマスターだよ!」とか、「最高のポケモントレーナーのことさ!」とかしか言わない気がしています。

僕はいま、ポケモンマスターを目指していません。

大人になるとはそういうこと、ともいえるかもしれないし、サトシは永遠に子ども向けアニメの主人公だからピュアな理想を掲げつづける使命があるのかもしれません。
でも僕の心の片隅にだって今も、あの頃確かに先生と一緒にアフリカを旅していた時の無意味なときめきだけは残り続けています。
それも、放っておいたらいつか完全になくなってしまうものなのかもしれません。


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