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マジメなお兄ちゃん

1994年のアメリカ映画『パルプ・フィクション』は、タランティーノ監督が世界的に有名になるきっかけとなった作品です。
ストーリーラインは、2人のギャングがボスの命にしたがって裏切り者に報復したり、また別の裏切り者がボスから逃げようとして忘れ物を取りに帰ったり、ギャングがファミレス泥棒に遭ったり。書いていて自分でびっくりするくらい、意味不明というか「何それ、何が面白いの?」となるようなストーリーです。
ストーリーが意味不明=おしゃれ系映画という訳ではなく、コーラがぶがぶ飲んでポテチバリバリ食いながら観るのがちょうど良いくらいの映画なのですが、とにかくめちゃくちゃ面白い。

面白くさせている要因のひとつに、劇中の登場人物たちがそろいもそろってストーリーと関係ないムダ話に花を咲かせるという点があります。
例えばオープニング。これから人を撃ち殺しに行くギャングたちが、道中の車内で「この前ヨーロッパ行ってさ、やっぱあっちのクスリは全然キマり方が違うわ。それであっちのマクドナルド行ったらさ、クォーターパウンダーバーガーって言わないんだぜ!ヤツらはメートル法じゃないからな。"チーズロワイヤル"って言うんだ」「じゃあビッグマックは?」「それは"ル・ビッグマック"だな」などとダラダラダラダラ喋っています。

「人殺し」という随分とアブノーマルなジャンルですが、彼らはこれから"お仕事"に向かう同僚です。こういう時って、この後どういう段取りで進めるかという具体の打合せとか、ちょうど良いから他の業務の相談しちゃうとか、ついそういう話になりがちじゃないですか。特に仕事仲間だと。
でもなんか、意味もなくカッコ良いんですよね。「ボスの奥さんがさー、変な男と逢引きしたらしくてさー」とか言いながらプラプラと標的(ターゲット)の住んでいるアパートをうろついてる訳です。

僕もどちらかといえば、というか圧倒的に、ビジネス街のど真ん中を歩くなら「移動の隙間時間で次の仕事の段取りを議論しながら風を切って颯爽とツカツカ歩く」よりも「仕事と全然関係ないくだらない話をだらだら喋りながらちんたら歩く」の方が良いわけです。
ちなみに、これは一歩間違えると非常にダサい。そのくだらない話とやらが例えば「最近タバコの値段が上がりっぱなしでしんどいわ」とか「血糖値がさー」「腰が痛くてさー」みたいなものだと、ただの哀愁漂う中年の日常マンガになってしまう。かといって、「この前の合コンでさー」とかだと、なんというか三菱商事の日常みたいになってしまうというか、商社マンのプライベート武勇伝ってほとんど仕事の一部分みたいなもので、"仕事と全然関係ない話"に思えないんですよね。侘しさのかけらもない。
サラリーマン川柳でもなく、かといって一流サラリーマンのハイクラストークでもない。僕はギャングの雑談がしたい。


僕は自分の妹に対しても、割と長い間このスタンスを自然と取っていました。
僕が長男で、下に2歳差・5歳差の妹が計2人。正直自分たちでは当たり前すぎてあまり自覚がないのですが、昔からものすごく仲が良いというかずっと6歳児と女子高生の中間みたいなじゃれ合いをしている兄妹妹(きょうだいだい)です。
長い間、マジメな話をした記憶が本当にまったくない。学校の先生の細かいモノマネでゲタゲタ笑うなどのライトなものから、父が加齢のせいか階段でバランス崩して腰を打つというあわや大惨事な場面の再現コントを父の前でやったりといったちょっとハードボイルドなものもありますし、15年くらい使いまわされているネタもあったりします。基本的に3人でやって3人がお互いに笑ってれば良いため、30年かけて内輪で増幅されつづけたハイコンテクストな空間が形成されていました。

こうなってしまうと逆に、本当にマジメな話が出来なくなってしまうので、進路もあまりよく知らないし、今どこで働いてるんだっけとか、僕に至っては妹たちがいま実家にいるのかどこかで独り暮らししてるのかどうかもよくわかっていない時期があったりしました。
でも僕は勝手に、そういう関係性がベストというか、マジメな話とか一切しない兄妹妹(きょうだいだい)って良いよねということを自分で思っていました。

ここまで聞くと、毎週くらいのペースで今も会ってると想像されますが、実際会うのは年2-3回くらいです。
ちょうど1か月前くらいに、僕が住んでいる立川に上の妹が遊びに来て、店中の爺さんたちが競馬中継を凝視しているタバコくさい喫茶店で、兄妹2人でダラダラとお喋りしていたことがありました。

不思議なもので、3人まとめてだとゲタゲタタイムがほぼ100%ですが、2人になったからなのか、意外と妹がマジメっぽいを切り出してきます。「お父さんとこの前話してさー、こんなすごい顔して怒ってて(顔マネ)」っていう、うまく表現できないんですけど、決してマジメな話をしたい訳じゃないから茶化すんだけどトピックスとしてはヘビー、みたいな。

思えば確かに妹側からは、それなりにマジメなトピックスを持ち込まれることもあるんですよね。
兄である僕が、ギャングの雑談スタンスから外れたくなくて、良いようにかわしていた。特に、お兄ちゃんが今何を考えてどんな行動をしてるかなんて妹にさらけ出すのは「恥ずかしい」ことだと思っていました。そんな兄はカッコ良くない、みたいな。
だから妹は、兄がなんで東大に入りたかったのか、どうして急に就活したのか、なんでわざわざ転職したのか、今なんの仕事をしてるのか。それらを多分何も知りませんし、僕からそれを言うことは一生ないと思ってました。

しかしその時は、なぜか僕はリディラバの話をしました。家族・親戚にリディラバの話をするのは、実はその1か月前の喫茶店が初めてです。

なぜかというと、直接的な要因はリディフェスなんですね。もうとにかく誰か来てほしいから妹を誘うっていうとんでもない動機です。
だから僕はちゃんと悩みました。ここで兄から「仕事でやってるイベントに数千円払って来てほしい」なんて情熱高く言われたら、今までの30年がひっくり返らないだろうか?マジメに仕事の話を語る兄を一瞬でも出すことに自分自身が耐えられるだろうか?

その背中を押してくれたのは、喫茶店の雰囲気です。
昼の14時から近所の喫茶店でがぶがぶビールを飲んでレース結果に一喜一憂しながら仲間とダラダラ大声でお喋りしている爺さんたち。最高のギャングです。彼らのダミ声がBGMになっていることで、僕のマジメな話感が相殺されると信じて、僕はリディラバの話、というかこのnoteに書いてきたことのエッセンス的なものを喋りました。それで全然ハマらなかったら、リディフェスに誘うのはやめよう。兄として当然の礼儀です。

結果、妹はリディフェスに来てくれます。
話してみればなんてことないのですが、妹は高校で普通高校の福祉専門科というマイナー専攻の道を進んで、大学で小学校教員の免許を取っていて、っていうことを僕は両方初めてちゃんと認識したのですが、福祉とか教育の道で自分が何かできることはないか、そういうキャリアを歩めないか考えていたらしいです。
なんだ、お兄ちゃんと一緒じゃん。というか兄より早い時期からちゃんと考えて自分の道歩んでるじゃん。すごいなお前。じゃあ絶対楽しいからフェス来なよ。


そこのあなた。リディフェスのチケット買って下さい。


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