友達

「わたしにとって カオルちゃんは、ショートケーキのような存在だ」

これはわたしが好きな本の一節

わたしは小学校高学年から今もずっと「友達」という誰も定義がわかっていないものに執着しているんだと思う。

わたしは話すことと笑顔がだいすきで(自分の笑った顔は好きじゃないけど)わたしの周りにいる人全員と仲良しになりたいって思うタイプ。だから高校1年生の時に普通コースの子全員と卒業までに1回は話すという今考えればだいぶかなえるのに難しい夢を誰かに話し、結果ギリギリセーフで叶えられなかった。(そりゃそーだ)

友達が多い方が「勝ち」とか、友達が少なかったら「負け」とかそんなことはない。と、思ってはいるものの知らないうちに「あー自分友達いないな」って悲しくなる。しかもそう感じる時は大体誰かと比べてる時。例えば、インスタグラムを見てる時。あの子のページに飛べばいろんな子の投稿があるのに、わたしのページにはわたしの大好きなこの子だけ。こういうの感じる場面ってほとんどSNSだと思うな〜

別に友達なんて多くいなくたっていいのに、そんなの自分でも分かってるのに誰かと比較して友達いないって悲しみに浸る時間はまじで真剣に言って地獄。知らないうちに自分のレベルを下げてるし友達=性格が悪いじゃないのに「わたしの周りに友達がいないのは〜〜〜だからなんだな」とか無駄なエネルギー使って自分の短所を友達いないところにくっつけるとか。本当に自分が醜いし可哀想だなって思う。こういうのを考えてしまうのは夜が多くて、昼に悩んだ時は「まあわたしの良さを分かってくれる人は家族とあと少しでいいしね!!」って感情になる。というか開き直ってる。

そして、思春期のなんでも敏感に感じる時期、わたしの周りの友達はどんどん「親友」を作ってた。本人たちは言葉にせずともわたしから見たら「〇〇ちゃんと言えば□□ちゃん」という構造図ができてた。それがわたしには辛かった。わたしが親友と思える子にはわたしより長い間関わってるあの子がいる。わたしが一方的に親友って思ってるけど相手はそんなこと全然思ってない?わたしと言ったら誰が連想される子なんていないよね?そう感じる毎日だった。思春期だから「うちらって親友なん?」と口にするのも恥ずかしいし。今思うと考えすぎだなって思うぐらい毎日毎日、ままに「なんでうちには親友がおらんのん?ひとりなん?」って相談してた。親友の定義がわからないのに、無駄に親友欲しい時期。親友って思える子ができたってわたしは見返りを求めるから、その分の見返りが返ってこなかったら「あの子にとってわたしはその程度なんだ」って勝手に決めつけてしまう。すごい失礼なの分かってるけど今でもその思考は変わってない。辛いけどポジティブになんか考えられない。だから友達関係ですごく悩むんだろうなと思う。

冒頭のわたしの好きな本の一節を見た時、いつもは本を読んでも感情なんて一切出てこないのにこれを読んだ時はビビってきた。なんかわからないけど、ビビってきた。わたしもそう言える友達が欲しい そう思った。ショートケーキのいちごって言えるくらいの存在が憧れだった。わたしにとってショートケーキのいちごって大事な大事なお楽しみ。イッチバン美味しいところ。最後のお楽しみ。そんな自然と大切に残しておいてしまうような存在。「親友なんて」とか言われるかもしれないけど、そんな存在がわたしは誰がなんと言おうと、欲しい。

親友はひとりじゃなくてもいいはず!一般的にはショートケーキのいちごは1個だけど、わたしのショートケーキのいちごは5個あったって、10個あったって、20個あったって足りないかもしれない。でもその分のいちごは大切で、愛おしくて、絶対絶対守りたくて、おばあちゃんになっても一緒にいたいもの。だからこれからはわたしが思うショートケーキのいちごを増やしていけたらいいなぁ

17歳のわたしと今まで出会ってくれた友達みんな大切 みんな大好き              わたしのこともそう思ってくれてる人がいますようにって思いながらこれからもたくさんの人と関わって行きたいな              


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