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短編小説 『能力者』


わざわざ言うのも野暮なほどに、渋谷の駅前は今日も多くの人で溢れ返っている。
それとは裏腹に、天野の心は今日も空虚感で溢れている。
その心が空っぽになるのも時間の問題だ。
そんな天野はもう小一時間、街を行き交う人々をハチ公顔負けに無感動に見流している。

至極普通の大学に入学し、授業に出たりサボったり、なんとなくサークルに入り、それなり友人もできたり、バイトでちょこちょこ稼いだり、週末は飲み会に繰り出したり、たまに合コンで女子大生を持ち帰ったりしている、これが天野の現状だ。
ここまで極々普遍的な大学生活を送っているのであれば、考えようによっては御の字とも言える。
そもそも日本の大学に関して言えば、その4年間でいかに普遍という名のブロックを積み重ねられるか、それこそが本分なのだから。
しかし、天野の場合はそうは簡単にいかなかった。
普通の大学生として満たされるはずの心をある一つのコンプレックスに侵食されているからだ。

天野は“能力者”だ。

天野はいわゆる特殊な能力を身に付けている。
無論この事実を大学の仲間と共有できるわけもなく、この能力によって当たり障りのない生活にヒビを入れられてしまっている。

肝心なのはその能力の内容だ。
それが天野を虚しさの縁に追いやっているのだ。
例えば、「時を止める」「テレパシー」「予知能力」と言ったドラマなどで物語の鍵を握る能力が備わっているのであれば、天野の抱える問題は変わっていたであろう。
しかし、天野の能力はそれらとは残念なまでに違っていた。

天野が持つ能力は「その人間が能力を持っているかどうかわかる能力」だ。

確かに特殊な能力と言えるかもしれない。
しかし、いささか異彩を放つ能力だ。
まず、能動的な機能が皆無。
受動的な能力として考えてみた時も、それによって得られる情報は最小限なものだ。
その上、この能力の厄介なところは、文字通り能力の有無がわかるだけでその対象者がどういった能力を持っているかまでは読み取れないとういう点だ。
そのため、天野が抱える孤独は複雑な二重構造で成り立っている。
まず、能力者であるという一般社会における疎外感から来る孤独。
そして、能力が備わっている者たちの中においては地味すぎるというコンプレックスによって生み出される孤独。

「なんで俺には能力なんてものがあるんだ」

「能力があったとして、何故こんな能力なんだ」

自分の能力に気付いてからというもの、天野はずっとこのスパイラルから抜け出せずにいる。
天野はこんな能力を与えた神様を恨み、心に引っかかるものなどなくヘラヘラ楽しそうにしている普通の学生を妬み、いっぱしの能力を持った人間を羨んだ。
その現実は天野を深い闇へと落とし続けた。

そんな天野がせめてもの保身のため、習慣として行っているものがある。
例にもよって今日も天野は渋谷の駅前に立ち尽くし、行き交う人々を生きているのか死んでいるのかわからないような目で追いかけている。
ただ、これは単に時間を潰している訳ではない。
あるターゲットを探しているのだ。
その標的は、能力者だ。
その人間が能力を持っているかどうかは頭部を見ればすぐにわかる。
頭の周辺にぼんやりと赤いオーラが浮かび上がるのが天野には見えるのだ。
その赤い光が能力者である証拠というわけだ。
その上で天野がとる行動はその人間に声をかけ仲間になろう、というようなよくできたストーリーとは異なる。
まず以て、その人間に能力を聞くなどと言った余裕をあいにく天野は持ち合わせていない。
聞いたところで、相手の能力に対し自分が惨めな気持ちになることが目に見えているからだ。
そこで天野がとる行動は一つ。
照準を絞った能力者に近づき、耳元でこう呟くのだ。

「わかってるよ、君も能力者なんだろう?」

今日もまた天野はスクランブル交差点のど真ん中で、一人の男にそう呟いていた。

「え!?」

突如、見ず知らずの人間に予想だにしていない言葉をかけられた男は目を見開き、振り返る。
しかし、次の瞬間には天野は渋谷の人混みの森の中へと姿を消している。
取り残された男は困惑し、パニックに陥る。
突然自分以外に能力者がいるという事実を突きつけられ、それを伝えてきた当人にすぐさまその場から立ち去られてしまうという状況にただただ気が動転し続ける。
出口のない迷路に不条理に閉じ込められた男は、そこに立ち尽くすことしかできないでいた。
一方その頃、天野はその場所から少し離れた雑居ビルの裏に身を隠し、カタカタと肩を揺らす。

「びっくりした時のあいつのあの顔!くくくっ…」

これが自分を守るための天野の悪い趣味だ。
能力者の印となる赤い光を見つけると信号のルールとは逆に天野にとっての「進め」の指示が下され、その人物目掛けて一直線に歩き出す。
そして、不意に「能力者なんだろう?」と語りかけ、相手の反応を確認するや否や足早にその場を後にする。
天野が生きている中で一番の快楽を得られるのがこのひと時なのだ。
そう、この行為こそが自分の能力に自信が持てない天野にとって最大の悪あがきなのだ。
圧倒的に低い能力をいかにしたら優位に持ち込めるのかと考えた時、この方法しかなかった。
先手必勝。
自分の能力は明かさず、相手には「全て分かっているんだよ」と言わんばかりに意味深に呟き、煙に巻く。
強力なストレートを持たぬ天野は、どんなに弱かろうが1発のジャブを不意打ちで喰らわせば逃げ切れるというスタイルを確立させていた。
相手の想像力を膨らませることで自分のことを見えぬ大きな敵と誤認させ、優越感に浸り精神を落ち着かせる。
天野は街に繰り出してこうすることで、コンプレックスまみれのそのアイデンティティーを保つことができるのだ。
今やこれは、天野にとってなくてはならぬ日課であり、もっと言えば呼吸である。

昨晩も新宿の東口で何かしらの能力を持った男に声をかけたのだが、それに慌てた男が天野を呼び止めようと声を上げた。

「ちょ、ちょっと!ちょっと!ちょっと!」

どこかのお笑い芸人が発するようなその単語が何度も飛び出す度に天野の心は踊った。

その前にもセンター街で、言葉を吐き捨て去り行く天野の背中に向けて能力者が血相を変えて吠えてきた。

「どこの差し金だ!俺の真実を握っているのはお前か!?」

どこの差し金でもないし、お前の真実どころか能力も知らないよ、と笑いが止まらなかった。

品川の駅前の一件も忘れられない。
よほど能力など持っていなさそうなサラリーマンが天野の一言に振り向き、こう放った。

「もしかして… 君は2年前の……?」

「いやいや初対面です」と天野は立ち去りながら笑いを堪えるのがやっとだった。

そして、今日も渋谷という街で自分より有能な能力を持つであろう人間を嘲笑うことに成功し、満足げに雑踏の中をまた歩き始めた。
ニヤニヤしながらスクランブル交差点に差し掛かると、横断歩道を挟んだ向こう側に赤色が上下に2つ見えた。
上は赤信号、下には能力者のシグナルとなる色の赤だ。

「今日は大漁だな」

天野はそう小さく呟くと、上唇を舌で舐め回し右の口角を軽く持ち上げた。
そして、ある事実に気付いた。
天野のセンサーに反応したそのお相手は同じ年齢ほどの女性だったのだ。
ここのところ、お目見えしていなかった異性の能力者の登場に異様な興奮を覚えた。
彼女にお約束の言葉を掛けたら、一体どんなリアクションを見せてくれるのかと期待で胸が膨らんだ。
信号が青に変わるまで1マス1マス減っていくあの電光ゲージが、今の天野にはF-1のスタートシグナルに感じられた。
我慢ができずに横断歩道手前ギリギリまで身を乗り出した天野は、自然と極々個人的なポールポジションを取っていた。
電光掲示の最後の1マスの赤い光が消えハットを被った紳士の背景が青く灯ると、半ばフライング気味に天野の右足が飛び出していた。
何食わぬ顔をしたその女が数秒後に顔を変貌させる様を想像しながら天野は歩を進めた。
何も知らずどんどん近付いてくる女。
足元の白い線を後一つ越えたら耳元でそっとこう言うのだ。

「分かってるよ、君も能力者なんだろう?」と。

アスファルトを蹴った左足が最後の白線に踏み込まれると、女のできたてのような綺麗な右耳が確認できた。
天野は頭を左に傾け、口を開こうとしたその刹那だった。

「ねぇ、私の能力がそんなに気になるの?」

天野の右耳に聞こえてくる予定のなかった女の声が飛び込んできた。
女とすれ違った後、惰性でタタンと二歩だけ歩を進めた天野はその足を止めた。
颯爽と去っていく女の背中を見送りながら、天野は目の前を行き交う人々の中心で一人立ち尽くすことしかできなかった。
呆然とした天野は、今自分が置かれている状況をにすぐには理解できなかった。
鳩に豆鉄砲を喰らわすはずが、今現在鳩となっているのは目ん玉を丸くした天野だった。
右の耳に違和感をぶら下げながら、何度も瞬きをした。

暫くすると、左耳に暴力的な音がぶつかってきた。
オレンジ色のタクシーの中の運転手が凄い剣幕でハンドルの中央を強く叩く姿が視界に飛び込んできた。
天野は慌ててその場を離れ歩道に入り振り返ると、女が消えて行った方向をボーッと見つめた。
そこでようやく気付いた。
自分が囁かれたのだと。
その瞬間、襲われたことのない困惑の渦に体が巻き込まれていった。

「なんで…?なんで、なんで…?」

嘘くさい台詞のように、連続してそんな言葉しか出てこなかった。
ブツブツ言っている天野の脳内で、今まで戸惑いの彼方へと誘(いざな)ってきた能力者たちの顔が次々とフラッシュバックしていった。
そして、そこには彼らが残していったそれと同様の表情を浮かべる天野がいた。
なんとかあの女を見つけ出し一刻も早く仕返しをせねば、心が保てない。
しかし、すぐに悟った。
仮に女を前にしたところで、天野は“その人間が能力を持っているかどうかわかる”だけなのだ。
それが何になるというのだ。
女に能力があることは既に分かっていることなのだ。
「ねぇ、私の能力がそんなに気になる?」と言われてしまっているのだから。
そうなった以上、天野ができることなど何一つとしてないのだ。
前以て天野は自分の能力を女に把握され、おまけにクエスチョンまで与えられたのだ。
女は一体どんな能力の持ち主なのか。
知りたいが、あいにく自分の能力ではそこまではわからない。
もし、知れたとしてもそれを聞くことが恐ろしすぎる。
渋谷の喧騒の中で、自分の無力さを突き付けられた天野は小さく口を開いた。

「わからない、俺は能力者なのか?」

天野の視線を背中で感じながら、敏美は後悔していた。
罪のない能力者を今日も混乱の深淵に落とし込んでしまった。
自分の能力に自信が持てない敏美は能力者を見つけると、その防衛本能から自分を脅威に思わせるため悪戯に言葉を吐いてしまう癖がどうしても抜けないのだ。
しかし、俊美にとっては現実を見ることの方がよっぽど怖い。
相手の能力を知った瞬間に、きっと自分の存在意義は0になってしまうだろう。
敏美はボソッと呟く。

「わかってる、私は能力者なんかじゃない」

今日も敏美は“その人間が能力を持っているかどうかわかる”だけの自分の能力の無力さを悔やんだ。

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