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こころのベースキャンプ

年度のはじまり、まぶしい日差しの中、
今日も訪問カウンセリングのはじまりです。

「おはようございまーす!おじゃましまーす!」
扉を押し開けながら、だれともなくあいさつすると、
ひとりの男の子が得意げな顔で、三輪車をキコキコさせながら
ゆっくりと近づいてきます。

「あ、お客さんだ。おはよう。うん、いいよ~。ぼくのようちえんだよ。
入ってもイイよ」
と彼は答えてくれました。
後ろからもう2人、興味津々という表情で、
こちらをのぞき込むようにくっついてきています。

「ありがとう!今日は、みんなが元気にしているか、見に来たの」
とカウンセラーが話しかけます。

「ふーん、そうなんだ。ぼくは元気!たけぐみさんなんだよ。
ぼくのたけぐみさんも、見に来る?」
まっすぐ目をのぞき込みながら、身を乗り出して、当然だよね
といった表情で問いかけてきます。

「うん、行くよ。あとでたけぐみさんにも回っていくからね」
そう返しながら、にっこり目と目を合わせて約束を交わしました。

すると彼は満足そうな、誇らしげな顔をしてから、
三輪車を華麗にUターンさせ、お付きの2人を従えて威風堂々、
またキコキコとお砂場の方へと去ってゆきました。
(このとき、カウンセラーの頭の中では、愛社精神にあふれ仕事に
誇りをもった社長さんが、部下をしたがえ、訪れた客をみずから
お出迎えしてくれた、そんな光景をイメージしていました。)

<ぼくの>幼稚園、<ぼくの>たけぐみさん
その言葉の響きから、彼がどれほど園を愛し、クラスとその仲間たちを
愛しているのかが伝わってきました。
<ぼくの大好きな幼稚園を、ぜひお披露目したい!だから、いくらでも
見ていって欲しい!>

おそらく彼が入園したばかりの2年ほど前は、幼稚園はまったくの
未知の世界だったはずです。知らない場所、知らない大勢の人たち、
知らない遊び、知らない食べ物などなど、知らない初めてのことや
ものばかりに囲まれて、そこにはなにひとつ<ぼくの>と呼べる対象は
存在していなかったことでしょう。
それから1日、また1日と園での生活を積み重ねていくうちに、
<ぼくの>好きなおもちゃ、
<ぼくの>好きな遊び、
<ぼくの>せんせい、
<ぼくの>お教室、
<ぼくの>ともだちなど、
少しずつ、でも確実に、園にまつわるすべてが
彼の生まれて数年しかない人生の、かなりの部分を占めるように
なっていったはずです。
ときには、<ぼくの>おもちゃを取られてしまい、泣いて怒ってせんせいに訴えたりこともあったかもしれません。勢いあまって、ジャングルジムで頭をごつんとぶつけ、痛い思いをしたこともあったかもしれません。

それでも、仲間と共に味わい、ともに驚き、発見していく、
わくわくどきどきする体験によって、彼の人生はキラキラと輝き続けてきたことがうかがえました。
そして今、年長さんの春を迎えた彼には、堂々とした風格すら備わっており、園を誇りに思う気持ちや自信が、ピンと伸びた背筋やまっすぐな視線にあらわれていました。
彼の人生にとって、初めてとなった社会へのデビューは、大成功を収めつつあり、その最初の集大成が、幼稚園3年目の今年1年になるであろうと想像できました。
彼を待つ新たな挑戦は、時に厚い壁となって彼を悩みせることもあり得ることでしょう。けれども、愛するひとたちと、愛する園に身を置いている彼にとっては、すべてが成長と学びの恵まれた貴重な機会となることは間違いないことでしょう。

そして1年後の春、彼はふたたび新しい世界へと旅立っていきます。
ときにはまた、思うように事が運ばずに悲しい思いをすることも、つきあいの浅いひとから誤解され、さみしい気持ちを味わうこともありえます。
できるはずのことがうまくできずに意気消沈し、心細い気持ちになることもあるかもしれません。
そんなとき、学校帰りにふと思い出して寄り道したくなるのが、
<ぼくの>幼稚園なのではないでしょうか。
そこに立ち戻れば、おのずとこころに生きる力がチャージされ、
ふたたび立ち上がり、前を向いて次の一歩を踏み出せる、
こころのベースキャンプのような場所になるだろうと思うのです。

大勢の卒園生の子どもたちのなかには、中学生になっても、高校生になっても、成人式を迎えても、<ぼくの><わたしの>幼稚園に、折に触れて舞い戻ってくる子たちがいるそうです。
もしかしたらその子たちは、卒園後の人生のなかで、ふと自分を見失いかけたとき、それを取り戻すきっかけを探しに園へと舞い戻ってくるのかもしれません。
自分であることを確認できる
”自分らしさの根っこ”のようなもの、
この世界・社会と生まれて初めてつながった思い出のかけら、
自分と社会のファーストコンタクトの記憶のかけら、
形はないけど、かけがえのない自分自身の一部が、
そこには存在し続けていることを知っているのでしょう。
あのお砂場の隅っこに、
すべり台のいちばん高いところに、
ブランコの鎖がしなる金属音に、
色あせることなく、時を超え、
深く刻まれ、息づいていることを。

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