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おとなの事情 こどもの事情

その園の庭には、一部コンクリートで地面が固められたエリアがある。
大きい三輪車 小さい三輪車 2人乗りの三輪車にとっては、
爆走するにしても のんびり周回するにしても、
うってつけのコースとなっている。
そのエリアの一角には倉庫があって、その軒下が
三輪車の<停留所>になっている。
停留所???
カウンセラーも首をかしげながら 
園庭いっぱいに繰り広げられる 子どもたちの
ワンダーランドを見つめていた。

まぶしさと熱を増した初夏の陽射しに背を向けながら、
いつものように先生方は入れ代わり立ち代わり、
カウンセラーの横へやってきては青空コンサルテーションの
リレーが続けられていました。
「いつまでおしゃべりしてんの~?」と通りがかりの子どもから
ちょくちょくツッコミを入れられながらも、矢継ぎ早に尽きることのない
対話が進みます。

<最近、〇〇組さんでこんなことが起きたんですけど、カウンセラーの先生はどう思いますか?>

<親御さんから、家で子どもが言うことを聞いてくれなくて困ってる どうしたらいいですか?と聞かれました。正直なところ、この子は昼間は
園ですっごく頑張ってる、とてもいい子なんですよ。どういう伝えかたをしたら、子どもの気持ちを理解してもらえるでしょうか?>

<運動会の練習に乗り気でない子に、なにか取り組むきっかけ作りしたいんですけど、何かヒントありますか?今のところ参加しようとはしないんですけど、みんなが何してるか、見えるところ聞こえるところにずっといるんですよね>

保育と心理の専門性のコラボレーションを通して、限られた時間のなかで、次から次へと話題は事欠きません。先生方は日常の姿をカウンセラーに伝えつつ異なる視点や工夫のヒントを欲しています。
カウンセラーはというと、多くの現場で出会ってきた親子のケースを思い浮かべ、似たケース、対応でうまくいったケースなどの記憶をたどりながら、今日ここ目の前に見られるその子の様子と照らし合わせ、次の一手を探ります。

とそのとき、1人の女の子がすたすたと<停留所>に向かって近づいていくのが目に入りました。女の子は倉庫の入り口の段差にすとんと座ると、何台かの三輪車が目の前を素通りしていくのを、じーっと見つめています。
1台の青い三輪車が近づいてきたのに気がついて、女の子の表情が一瞬ぱっと明るくなり、身体を浮かせます。でも次の瞬間、その青い三輪車がスピードを落とすことなく風のように過ぎ去っていくのをみて、がっくりと肩を落とし、ふたたび力なく座り込んでしまいました。
そんな繰り返しが2回、3回と続き、、、女の子が待ち始めてから10分以上経っていたでしょうか。すっかり意気消沈、脱力してしまい、台の上にだらーんと身体を丸ごと投げ出して、仰向けに寝そべってしまいました。

先生方はというと、その一部始終をそれぞれの位置から、ちらちらと見守っていました。そして、特定の誰に向かってというのでもなく、時折つぶやいていました。

<あ、〇〇ちゃんが停留所に座ってるね>
<△△くんは、さっきからずーと三輪車に乗ってるね>
<あらら、〇〇ちゃんは待ちくたびれて、寝ちゃったよ>
<あ~、ほんとだ~。〇〇ちゃんも乗りたいんだろうね>
<みんな「どうぞ」ってしたほうがいいことは、わかってるんだよね~
 でもね、まだまだ乗りたいんだよね~どうしたらいいんだろうね~>

そんな風に、目の前に繰り広げられているドラマを、何人かの先生方が実況中継するかのように、淡々とつぶやき続けています。
あくまでも落ち着いた声のトーンです。まるでテレビの副音声のようにも聞こえます。指示とか命令などという空気は、みじんも感じられないような、でも三輪車軍団の子どもたちのこころにじわじわしみ込んでいくような、フェアなつぶやきでした。

そこにいる子どもたちが、目の前の状況をちゃんと承知していることを、先生方もちゃんと了解しています。先生がひとこと言いさえすれば、しぶしぶであろうと、譲ることに応じることもわかっています。そうすれば、悲しみに暮れて仰向けに万歳している女の子の気持ちを、その日の澄み切った青空のように、一瞬にして明るく晴れやかに喜びで満たしてあげることができることも当然わかっています。

それでも、先生方は淡々としたつぶやきと、辛抱強い姿勢で、待ち続けていました。人に言われてから行動するのではなく、自分から動けるようになってほしいという先生方の切なる願いと、子どもたちの成長する力への信頼があるのだと、カウンセラーは感じました。
実のところ、園の集団生活のなかで、そしてまたそれぞれの家庭生活のなかで、ひとり1人のお子さんが置かれている状況について、先生方は日頃からとても詳しく丁寧に把握をされています。

<○○くんは、今日は3日ぶりの登園で、病み上がりなんですよ。ようやく園に来られて、外で思う存分遊べるようになったんです。彼がいちばん好きなのは、三輪車でぐるぐる走ることで、お気に入りの色と大きさが決まっているんです。だから、あの三輪車じゃないと思い切り乗り回して満喫することができないから、簡単に譲るわけにはいかないんですよ。>

<△△ちゃんは、下に妹が生まれて間もなくて、ご両親も日々忙しくされているので、誰よりも早く登園して、誰よりも遅くまで在園している子なんです。先生たちより長い時間、園に滞在してるんですよ。まだ小さいのに、毎日すごく頑張ってる子なんです。だから、たまにガンコになったり、ぷーっと怒ってへそ曲げちゃったりするんですよ。>

大人には大人の事情があるように、子どもには子どもの事情がある。
何かをあきらめる、妥協する、気持ちに折り合いをつけることの難しさは、ひとり1人のお子さんの切実な現実のなかに織り込まれていて、その場が穏便に収まればいい、そんな単純なことでは済まない子どもなりの世界がある。
子どもたちの日々の頑張りを認め、それでもなお、あえて次の一歩に挑戦してほしい、、、けして強要はしたくはないけれど、子どもたちの力を引き出したい、、、先生方の願いはこの場限りでなく、数年単位、数十年単位の子どもたちの未来に向けて放たれている。

今日はちょっと無理かなあ、、、みんな自分の事でいっぱいいっぱいなのかなあ、とあきらめモードになりかけたその時、カウンセラーは、嬉しさと驚きのあまり思わず声を上げてしまいました。
<うわ!かっこいい~!ええ!いいの?ゆずっちゃうの?いいね、いいね~優しいね~(拍手)ありがと、ありがと~>

ひとりの男の子が、待ちくたびれてぐだぐだになっていた女の子の目の前に三輪車を横づけし、何も言わずにすっと降り、風のように立ち去ったのです。しかも、今まで彼が見向きもしなかったという、別の色の違う大きさの三輪車に乗り換え、ペダルを漕ぎ始めたら、すいすいと前進していくのを見てさらにびっくりです。一部始終を目撃した先生もまた、驚きの声を思わず上げてしまうほどでした。

<ええ~!お気に入りの三輪車を譲ったの、初めて見たかもしれないです!
しかも、違う三輪車に乗ったのも初めて見ました!へええ~!>
<自信なさそうに、「オレ大きいやつには乗れないもん」とか言ってたのに、今日は譲っちゃうし、乗れちゃうんだ!いや~、今日はどうしちゃったんだろう。すごい成長ですよね~。○○くんは今日のヒーローですよ>

カウンセラーは、先生に耳打ちしました。
「彼は今日、昼間園で頑張っちゃった、いいとこ見せちゃったから、夕方、家に帰ってからどうだったか、明日もしお母さんに様子を聞けるといいかもしれないですね。慣れないことしたと思うんですよ。もちろん、先生方がちゃんと誉めてくれたから、ただ単に我慢してストレスがたまったというわけではないから大丈夫だと思いますけどね。がんばっていいとこ見せた甲斐があったと感じているんじゃないかな。こうやって、日々成長していくんですね~。今日できたからって明日できるとは限らないですけど、また彼が譲ったり、あきらめたり、妥協したりすることができたら、必ず何度でも誉め続けてあげてくださいね。実はとっても苦手なことだと思うから」

先生とそんな会話を交わしていると、”本日ののヒーロー”となった彼は、なにげなく近くを通り過ぎながら、ちょっとはにかみつつも、カウンセラーと目を合わせました。カウンセラーが、右手で👍グッジョブのジェスチャー返すと、すぐさま彼はくるっと方向転換し、風のように遠ざかっていきました。


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