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統一教会報道から30年+1年 -30年前の熱狂の先に-

私は旧統一教会の被害者であると同時に加熱報道でトラウマを負った1人でもある。
こういうと誤解を招きそうだが、厳密に言うと報道によって統一教会の異様さを目の当たりにするきっかけとなった、と言った方が正しい。
当時はSNSこそないものの、今とあまり変わらない状況と言っても過言ではないと思っている。

私は偏向報道の被害者と思っているのか?と聞かれると、答えはNOである。
しかし当時、声を上げられなかった所謂『宗教2世』の存在があったことにメディアや世間がどれだけ気づいていたか?と聞かれたら、自分の実感としてはほぼいなかったのではないかと答えになってしまう。

ではこの30年は本当に空白の30年だったのか。


ちょうど30年前の報道

1992年、旧統一教会の合同結婚式が大きくテレビで取り上げられた。
桜田淳子氏などの芸能人が参加していたことから、統一教会がやってきた行為(高額な商品を霊的な理由をつけて販売する等)と併せてテレビでは連日合同結婚式の映像や写真が報道され続けた。

幼少期から母より『神様』の話は聞いていたものの、旧統一教会が何をしているのかは知らなかった。
当然母も悪いことをしていると思っていないし、世間的に言われている『悪いこと』を子供に正直に話すわけがない。
父は、母が信者であることを知ってはいたが、入信の頃より快く思っていなかった。
それ故に私が教会に強制的に連れて行かれることはほとんどなく、信仰の強制のような状況にも、家庭が過度の貧困に陥ることもなかった。
ただ父は日曜日に母が礼拝に行くことを止めることはなかった。

しかし、その状況も30年前の報道を境に一変することになる。

連日報道される統一教会の報道を見て、当時父は
「統一教会なんか碌なもんじゃない!!」
と激昂し、母の教会通いを強く反対するようになった。
そのやりとりは子供である私の前でも繰り広げられていた。
統一教会の話題が父の怒りのトリガーとなっていったことは、嫌でも理解する状況である。
外からの評判を気にする父にとっては無理もない話だ。
私自身はどうだったのかというと、当時見た合同結婚式の様子は子供心にショックな光景でもあった。
小学校高学年といえば、学校で一般的な価値観にも触れてそれなりに分別もついてくる年齢でもある。
結婚式にもそれなりに興味を持つ年頃であり、普通の結婚式の光景がどのようなものかも理解できているから無理もない。
そんなモヤモヤを感じる私に対して母は「お父様(文鮮明)が選んだ相手と結婚して韓国に行くことが良いことなの。あなたも将来そうして欲しい」という説明をしてきた。
それを聞いた子供の私は「知らない人と結婚するのも、好きじゃない人と結婚するのも嫌だ!」と思ったことを覚えている。

祝福に対する思いもだが何よりも母が信じている教団が悪く見られていること、子供心に異様に感じてしまう教義があると言うことを知ってしまったことが一番のショックだった。

報道によってそれが世間に知られ、自分の母親がそのような奇妙な目で見られるかもしれないと言う恐怖も同時に味わうことになる。

当時のことを覚えている人は思い出してみてほしい。
当時の報道の中には『2世の声』というものがなかったことを。
正確には声がなかったのではなく、声をあげる手段やあげられる年齢ではなかったということになるが。

報道沈静後の10年間

報道後の我が家

これまでTwitter等でも発信してきた通り、私自身には信仰心はなく教会に行くこともほとんどなかったため加熱報道の時期の教会内のことはわからない。
当時の教会内ではやはり「世間はサタン!」という空気になっていたと言う話やメディアに対する嫌がらせのような行為もあったということは、最近知った話だ。
報道がきっかけで父の反対が強固なものとなり、母の教会活動は表立ってできなくなっていった。
母は「お父さんや世間はいつかわかってくれる」と言うのみだった。
しかし信仰心を捨てたわけではないため、父のいないところで統一教会の話や教祖の話を私にしてくることは度々あった。
当時は私自身は教会に行っていないため同世代の繋がりもなく、母や教会に対する不信感やモヤモヤを分かち合える環境ではなかった。
教会内で何が起こっているかわからない、教義も詳しくはわからない。
母がなぜそんなものを信じているのかも理解できず、信じることができないことや、異様な光景に思えたことなど本当の気持ちを言うことはできなかった。
両親の方向性の違いを肌で感じ、信じ続ける母を見て、激しく反対する父にひたすらバレないように自分の中で抱え込むくらいしかできない。

目立った活動ができなかったことが幸いしてか、学校の友人達にバレてはいない。
(と思っているが、純潔キャンディを配ったりはしていたので今思うとバレてたけど触れずにいてくれた人もいたかもしれない)
カムアウトしていなかったからこそ、教会絡みの話は友人にはできない。
しかし教会に行っていないが故に、モヤモヤを吐き出す場所すらない。
統一教会が、母親の信じているものがどういう団体なのかを知った後からは、ただただ孤独で真綿で首を絞め続けられるような日々を過ごすしかなかった。

この経験があるから銃撃事件後に一番心に引っかかったのは、同じような教会に行っていなく思いを誰にも共有できない子供たちだ。

世間の反応

当時はインターネットはおろか、携帯も無い時代だ。
世間の反応というものを知る手段もなく、テレビで報道されなくなったら完全に沈静化したかのように思えた。
実際世間の人達は報道がなくなってから思い出すことはほとんどなくなったのではないだろうか。
統一教会に関しては沈静化したかのように思えたが、その間に宗教や信仰心を盾にして起きた事件や騒動はいくつもあった。
それでも今日に至るまでそのような団体に対する厳しい規制ができてこなかったことは、皆もよくご存知だと思う。

報道で騒がれた直後は母の活動は控えめになり、教会内でもいわゆる霊感商法を派手に行うことは難しい状況となっていった。
時と共に世間は統一教会のことを段々忘れていったが、教会のターゲットは信者に向けられていくことになる。
信仰していなかった私は、母が表向き目立つ活動していなかったこともあり、教会内で何が行われてきたのかをあまり知ることもなく、2000年前後からかなり厳しい献金要求が始まっていたことを知ったのは最近の話だった。
当時はまだ収入が少なくてもキャッシングは割と楽にできたことから、母が借り入れを繰り返していたのは後になって知った話だ。

そのころになると私自身が母に連れられてビデオセンターに通うことになる。

自身のビデオセンター通い

最初は「四柱推命やってもらおう」と連れて行かれたことがきっかけだった。
90年代後半からインターネットはあったが、まだそのような注意喚起はインターネット上であまり活発にされていなかった時代だ。
当時の私は進路に悩んでおり、正直気持ちが揺れなかったと言ったら嘘になる。
いわゆる「ヤコブ」(信仰2世、片方の親が信者である家庭の子供もしくは一般結婚後に親が入信した家庭の子供。当時は信仰2世という言葉は私は聞かなかった)という立場であるため、薄々そのビデオセンターが統一教会のものであることは気づいていた。
(通常は統一教会であると言うことは最初は隠している)
それでも通ったのは母親が信じているものが何なのかを知りたかったというのもある。
ただ、ビデオを見て感想を書き、アベルの立場の人と面談を繰り返す中で、どうしても自分の中でしっくりこないことがあまりに多すぎた。
なぜならば、自分の感性のまま正直な感想を書くと必ずアベルに否定されるからだ。
細かい内容は覚えていないが、毎回否定されることで話が進まなくなるため、だんだん面倒くさくなったのと教会側の思う答えを言えば話がスムーズになることから、私自身教会側の意図を「理解したフリ」な回答をすることが増えてきた。

そうやって教会側に取って都合の良い解釈を本意でないにしろ続けることによってだんだん思考が「そういうものなのだ」と思うようになってきた。
今思うと怖い状況だったと思う。

ただ、どうしても従えなかったことがあった。
お金についてだ。
お金を自分のために使うことに対してはかなり厳しい言葉も投げかけられた。
「それは堕落した考え方だ。あなたはサタン的だ」と。
父の反対で母から強要されることがほとんどなかった私ですら、教会の人からの言葉に不快に思う経験だった。

ちなみに私はビデオセンター初期に行われる二日間の合宿には参加しているが、その後に初めて教祖夫妻の写真が飾られている祈祷室に連れていかれて敬拝を教えられた。
信じることができない相手に敬拝をするという、その光景をすごく冷めた目で眺めていたのを覚えている。
しかし当時は「それが嫌だと思い、できないと思う私がおかしいのかも」という悩みの種でしかなかった。
信じることができないため、結局母の言っていることが理解できないまま私は家から独立することになり、結果的に統一教会との関わりも終わることになる。

・・・はずだった。

2000年以降

加熱報道から10年以上も経つと、世間は完全に忘れ去ったかのように見えた。
旧統一教会に関する報道自体が私の記憶で知る限りは無くなり、旧統一教会が何をしているのかを容易に知れる環境にまではまだなっていなかった。
インターネットはあったが、まだ手軽にできる時代ではなく「旧統一教会の被害」を調べるというところまで至らなかった。
内部にいればもう少し疑問に思って調べたかもしれないが、教会と関わっていなかった自分にとっては内部のことは全くわからなかった。
30年前の報道直後は霊感商法はやりづらくなっていったと聞いたが、それも報道から10年以上経つと外向けの販売会等また行われるようになった。
私自身がその場に連れていかれたことがあった。
これは後で知ったことだが、他の親族を「統一教会」と明かさずにそのような販売会等の場所に連れていったこともあったようだ。
実は私が巻き込まれた母の献金絡みの事件はこの「外から見えない」時代に起きたことでもある。

この時代の教会による献金要求が激しかったことを私が知ったのは、去年の銃撃事件後に洪水のように溢れてくる統一教会絡みの情報の中からだった。

献金問題=1世(信者)の問題と捉えられることが多い。
しかし、自分が巻き込まれたことや、銃撃事件後に出てくる話の中で「1世だけの被害・問題」ではないことは痛いほど感じた。
親の献金による借金の肩代わり、生活費の負担、親の老後の問題・・・。
これらが2世に密接に絡んでくる問題である。
実家を出て、母親からの統一教会関連の話しからは逃れられたと思っていたのに、実家を出てもなお巻き込まれる羽目になった。
この問題は割と近年まで続いていたし、私自身の最大のトラウマとして残っている。

何が空白の30年だったのか

銃撃事件後、『空白の30年』という言葉を度々目にする。
私自身もそう思っていたが、実際はずっと戦ってきた弁護士、学者、ジャーナリスト、支援者,、そして声を上げてきた当事者がいることを知り、この1年間感謝してもしきれないくらいの思いである。
それと同時に、当事者であるはずの私ですらあまりそこに目を向けることがなく、もっともっと多くの過酷の環境を生きてきた2世が沢山いるということを知らなかったということに恥を感じてしまった。
信じることができなかった、誰とも繋がれず被害に遭ったのは自分だけだと思っていたので無理もない話でもあるが・・・。

では、政治はどうだったのか。

政治家、行政が知ってか知らずか、実は借金の規制が間接的に献金額が減ることに繋がっていった部分もあった。
2010年に貸金業法の改定による総量規制(消費者金融からの借入は年収の3分の1まで)が施行されたことで、おそらく一世世代の借金による献金は減っていると推察する。
しかし、それが今度は大人になった2世たちを巻き込むことになってしまったのは皮肉な話である。

統一教会の主な献金要求(Wikipedia参照)と信者への影響


献金(借金)だけでない、宗教的価値観の影響による虐待や信仰の強制等があるにもかかわらず、直接的な宗教法人に対する規制というものがほとんどされてこなかったことが『空白』と感じてしまう部分であると思ってしまう。

加えて、報道に関しても残念ながら『空白』と言わざるを得ないと感じてしまう。
もちろん全く扱っていなかったわけではないのは、銃撃事件後に知ることになるが・・・。
30年前に熱狂した報道は当時子供だった『今声をあげている2世』たちのトラウマになっている。
冒頭でも書いたが、当時そのような存在がいるということはおそらくほとんど認識されていなかっただろう。

ではなぜそのトラウマである加熱報道に『今』加担しているような状況になっているのか。
それは、この30年を振り返ってみれば明白である。
報道が落ち着いてしまった、大手メディアで報じられなくなってしまったからこそ起きてきた被害があまりに多すぎるからだ。
良いことをしているように見せかけている団体の背後に苦しむ人がいるということを世間に知ってもらうこと、同じような被害に遭わないために何に気をつけるべきなのかという視点を持ってもらうこと。
センセーショナルな取り上げ方をするだけでなく、これからの10年先、20年先、報道としてのあり方や世間の受け止め方を改めて見直す1年になれば、と思う。

銃撃事件から1年

事件直後

安倍元首相の銃撃事件から1年を迎える。
あの事件から今日まで色々なトラウマが噴出し、思い出さない日はなかった。
母にとっても私にとっても、諸々のことが解決して忘れて生きていこうとしていた矢先の事件だった。
事件当日はまだ統一教会絡みとは言われていなかった。
翌日、土曜日に海外の記事で犯人の母親が旧統一教会の信者であることが報じられた。

事件発生直後はまだ何もわからなかった。
私が2世としてのTwitterアカウントを作ったきっかけは、2世として発信するというよりは7月11日の旧統一教会の日本の会長である田中氏が会見で「霊感商法はやっていない」と発言したことからだった。
「嘘だ!やってないことはない!私の、母の被害はそれじゃないか!」と怒りの勢いでアカウントを作成した。
まだ1年前はほとんど『2世』という立場としての実感がなかった。
何度も言っているが、教会に通っていなかったため、同じような存在がいることの認識があまりなかったからだ。
宗教2世問題に関しての知識は当事者の経験がある以外はほとんど世間の人と変わらなかったと思う。
最初はとにかく「なぜ母が信仰したのか、なぜ私が巻き込まれなくてはならなかったのか」と自らの被害の原因を探りたいことから色々な人のスペースを聞いたり、報道も見れる時は必死で食いついていた。
報道のあり方は30年前と変わらない。
ただ一つ違うのは、当時なかったインターネットの存在だった。
情報はテレビ以上に早く広がり、それをメディアが追いかける形となった。
さらに、被害を受けた当事者たちへのアクセスも30年前では考えられないくらい容易だったと思う。

日々情報が溢れていく中で、当事者ですら被害者の全体把握ができないまでになっていった。
私自身も、自分の被害につながる情報の多さに徐々に咀嚼しきれなくなっていく。
自分以上に過酷な人生を歩んできた2世たちの存在を知り、話を聞くことで一種の追体験状態となり、8月に入る頃には気持ちが落ち込む日も増えた。
それでも、2世の境遇を知り自分にできることがしたいと思い、同じ統一教会2世からの呼びかけで国会議員への陳情、ヒアリングへの参加も8月中旬以降関わることになる。
その中で私にとっては初めての2世との出会いもあった。

啓発活動

何か世の中を変えたいとか、政治を変えたいとか、そんな大それた思いを持って活動してきたわけではない。
ただ、何もしなかったことでまた同じ30年を繰り返して欲しくなかった。
それだけだった。
日々Twitterという海の中で激しく流れる情報、活動を整理したい思いがあって、『宗教2世ホットライン』への投稿も不定期でしていた。
なぜならば、アーカイブとして残すことが今後情報を求める人への助けにつながることになると考えたからだ。

現役や教会を擁護する一般人から心無い言葉を発せられる場面も多々見てきた。
自分個人に対してだけではなく、当事者全体への言葉であってもそのような言葉を見るのは心のダメージにつながっていった。
「そこまで2世がやらなければダメなのか?」と思う場面もたくさんある。
それくらい、この1年は2世が目立って動く場面が多かった。

とにかく12月までは夢中で駆け抜けた。
署名活動もひと段落したころ、私自身はこれまで自覚していなかったトラウマによるダメージの蓄積でこれまでのように必死に時間を割くことが難しくなっていった。

活動による影響

実は仕事に大きな影響が出ていた。
睡眠時間の減少もだが、寝ても覚めても統一教会問題のことばかりを考える日々が続く。
仕事中もニュースやさまざまな進捗が気になって、心ここに在らずになる日が増えた。
色々な連絡ごとや調整への反応も仕事の合間をなんとか縫って行っていた。

当然そんな状況での仕事なのでミスも増える。
自分でもびっくりするくらいミスばかりになってしまったのがこの1年だった。
仕事だけではない。
プライベートでの用事の時も楽しむことに集中できないことが増えた。
気分転換の場なのに結局気分転換ができなくなる状況には逆にストレスが溜まる日々でしかなかった。
私はいつの間にか宗教2世という存在でなければいけないという意識に支配されるようになっていった。

年が明けてからは自分にできることだけをやろうと思って活動をセーブするようになった。
それでも日々入ってくる情報や統一教会問題界隈の喧騒に時間を取られて悩むことは続いた。
半年かけて一気にインプットされた情報、それによる自分の過去のトラウマへの自覚。
これを今度は半年かけて少しずつ消化する日々が続いた。
過去のトラウマだけではなく、この1年で負った傷とも向き合うことになる。
現在活動もTwitterも控えているのはこの『向き合う』ことと『回復』のためであることが大きい。

『宗教2世問題』とは

2世問題と一括りにされているが、蓋を開けてみるとその内容は多岐にわたる。
『宗教2世問題』とは。
宗教の価値観に過度に影響される親によって育てられる子供への問題であると私は捉えている。
それは、目に見えてわかりやすい虐待行為、信仰強制、教団の教えによる差別、両親の方向性の違いによる板挟み、金銭的問題・・・。
親だけの問題だと思われているものですら、2世に影響が出ているものも多い。

まず世の中にこの先望むことは、1世の問題の背後に2世問題が潜んでいるかもしれないという視点を持って欲しいと思う。
これまでも、これからも必要なのは『知ること』だと思っている。
問題に直結しなくてもその視点を持つことでつながることは実はたくさんあるので、「自分には何もできない」と責めないでほしい。

それから30年前は報道が自分にとってトラウマのきっかけとなってしまったが、この1年は味方にもなってくれた。
ただ、報道による情報の過剰摂取でダメージを負ったのは30年前も今回もだ。
30年前の熱狂の先に何があったのかを改めて知ってもらい、今回の熱狂の先には何が残っていくのかをどうか見つめていってほしい。

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