私がごはんをつくる理由

私は、不特定多数に向けての発信がどうも苦手。
noteも頑張れるかなぁ、とか思ったけど、2記事で止まってしまった。
ここ最近、考えていたこと。
自分の呼吸レベルで持っている「どこでも料理が苦なく作れる」というスキル。(そして結構おいしいといってもらえます)
これを生かすべきだな、と思いつつ、どうしようかなぁ。って思っていて。
最近はスパイスカレー研究部を主宰しているおかげもあり、カレー作りのスキルも伸びている。

自分の良くないところでもあるけど、自分ができることは、誰でもできることだ、と思いがち。
あ、でもこれっていろんな人に当てはまるかも。
特に、料理なんてめっちゃたくさん作れる人がいて、私である必要性や需要がないと思っていて。
そこに私らしさをプラスできるなら、何だろう?
料理を苦しいとか、しんどいとか思ったことはなくて、むしろ作ることがストレス解消なのも事実で。正真正銘の「好き」なことらしい。

じゃあ、何が好きなのかなぁと考えた。
私は、自分ひとりだとものすごく食レベルが下がる。
最近の朝食はゆで卵だけ。
お昼はコンビニや周辺のお弁当。
サラダチキンとパック野菜だったり、お菓子だったり。
多拠点生活をしているので、東京にいるときの食生活はほんとにひどい。(笑)
この理由はわかっていて、自分のためだけにはがんばれない、ってこと。
前はシェアメイトとごはんを食べることが日常だったので、毎日作ってた。
誰か1人でいいから、一緒に食べる人がいてくれること。
これが私の作る原動力。

誰かと囲む食卓でなければ、いくら美味しいごはんでも意味がない。

共働きだったり、習い事が忙しくて孤食になるこどもも多い。
私は自営の家で、両親と食事をとった記憶はあまりなく、祖父母と囲んだ食卓が記憶に根付いているし、当時からお正月や節句など、季節の食卓を一緒に用意していたな、と思い出します。

食を大切にする、って、いのちを大切にすること。

あたたかさや思いやりは、あたたかい食卓を一緒に囲むだけで育つと思うんです。

あ、たぶんそういうこと。
書きながらしっくりしてきた。

あとは、継承するってこと。
祖母からの味を1つ世代を抜かして私が受け継いだように。
食を大切にする、って、地域を大切にすること。

私のレシピって別にいろんな人の参考にしてきて、私なりにアレンジしてるだけで、(というか極限まで工数減らしてるというか)レシピに需要があるとはあんまり思えない。
ごはんをつくる、たべる、を通じて人がつながって、心がゆたかになる。
結果的にそういう場所がいっぱいできたらいいなぁって思う。

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