天上のバレエ・地上のダンス(93)ヒザ下の部分
今年、精霊流しが復活しました。
といっても、実際は川のたもとの公民館にお供えなどを持参し線香をあげるだけです。地域のお世話係のみなさん、ありがとうございます。
お盆が明ける、レッスンも再開だ。
(1245文字)
お盆におもいだす曽祖母
曽祖母・ひぃお婆ちゃん。
生まれつきなのか、病気か、事故なのか、戦争なのか。
なぜ?
左脚のヒザ下がありません。
子どもゴコロに、おいそれと聞けませんでした。
まわりの大人と同じように、わたしは知らんぷりしていました。
身体の不自由や障がいなんてコトバはわからなかったのだけれど。
なんとなくダメなんだ。
ずけずけ、ハッキリものをいうのは。
おとなしい、ひぃ婆ちゃん。
ずっと家の中で座っていた。
色が白くて目が大きい。
お陽さまにもあたらず、あまり食べることも好きじゃなかった。痩せてた。トイレに行くのも、たいへんだったのだ。
大人になってわかったけれど。
マネキンの脚
いまなら精巧でオシャレな義足があるのに。
あのときは、1970年。
そう大阪万博の話題で、もちきりだったころだ。
祖母の義足はマネキン人形の脚。
「ヒザ下の部分」
装着のための補助の金属やベルトがついていた。まったく異質な「ヒザ下の部分」をつけて、杖をつく。
あるく。ただこれだけのことが。
にんげんの、ひとつの部分がないと、できないこともある。
「ヒザ下の部分」は色白の彼女より黄色かった。
いまでいう、アイボリー。
象牙のように固くて、重たい。見ているだけで、ココロにささった。
おなじゾウリ
夏は、よかった。
うすい絽や紗の着物地。
ひぃ婆ちゃんに、とても似合っていた。洋服以前の世代だから、あたりまえか。
羽織るだけ、脱ぎ着がラク。
細い帯をゆるくしめていた。
「ヒザ下の部分」は草履(ゾウリ)と靴下を履いていた。
いつもおなじ。
ほんとうは足袋(タビ)を履くのだけれど、そこは綿の靴下だった。足の親指と他の4本が分かれた、ふたまたタイプ。当時からそんな靴下が市販されていたのかは、わからない。
うすいグレーの、ふたまた靴下。
うすいよもぎ色の草履。
寒い冬でも「ヒザ下の部分」は、変わらなかった。季節もなかった。
義足というものは。
ダンスのレッスン
「ヒザをのばして」
「ヒザをやわらかく」
バレエでは、よくでてくるヒザ。
さいわい還暦すぎても、わたしは元気で踊りを習っている。
ヘタでもうれしい。
義足のひぃ婆ちゃんのおかげかもしれない。
消耗品の使えなくなったトゥ・シューズが、ごろごろ転がる。しばらく寝かせて乾かしたら復活することもある。
そう、スペア・予備シューズとして。
ひぃ婆ちゃんの足袋と草履。
わたしが、替えのものを作れたらよかったのに。
あのころ、考えもつかなかった。
わが町の川は、あのころと変らない。
お供えや、お菓子を川に浮かべることはなくなったが
オシャレな靴下と草履をあの世におくる
ココロのなかで。
いつも こころに うるおいを
水分補給も わすれずに
さいごまで お読みくださり
ありがとうございます。