他人が書いたファンタビ長文感想が読みたい

他人が書いたファンタビ長文感想が読みたい!!!!!!!!!!!!!!!!と思ったので、同じ気持ちを抱える人がいたときのためにまずは自分が書くことにしました。

ついでに、ファンタビのことは知らないけど突然あまりにも好みのものが現れて正気を失ったオタクが踊り狂う様を楽しみたい、そんなファンタビ未履修の貴族の方々のために多少ファンタビそのものの説明もします。


見に行こうと思ったきっかけ

そもそもハリー・ポッターシリーズは原作を謎のプリンスまで読破、映画を全作見てはいるものの劇場におもむいたことはなく、ファンタスティックビーストに関しても1,2をやはり劇場では見ていない、そんな状況だったわけですが、何故ファンタビ3に限って劇場まで見に行ったのかというと

・コロナの影響で基本的に出かけないようにしていたので久々に一人で楽しめるお出かけイベントが欲しかった
・公開初日に見た友人がさらに字幕で見て吹替との違いを噛みしめ楽しむレベルで顔の良いおじさんと顔の良いおじさんの愛憎劇に頭を強く殴られており、何が起きているんだ…と思っていた
・実質十二国記の新作(※オタク特有の誇張表現)とのツイッター評を見てわくわくが止まらなくなった程度には十二国記が好き

まあ主に上記の理由、特に最後が強かったからです。
友人は私とかなり趣味が違うので、彼女がそこまで気に入ったということは私には刺さらない(※“刺す”とは自分の好みに対し完璧に寄り添っている、自分のためにあつらえたかのようにピンポイントで好きな要素を含んでいる等を指す表現)だろうな~と鑑賞前から思っていました。案の定顔の良いおじさんと顔の良いおじさんの愛憎劇は特に刺さらなかったのですが、あとからじわじわ遅効性の毒のように効いてきた存在がいました。


テセウス・スキャマンダーです。


誰?と思った人、大丈夫。オタクの妄言でもってこれから説明します。
そんなわけでここからはファンタスティックビーストの感想を述べつつも、一人のオタクがいかにしてテセウス・スキャマンダーに刺されたのかを書きますので、“オタクが情緒を狂わされ、感情の行き場がなく苦しむ様を楽しむ”つもりでこの怪文書にお付き合いいただければ幸いです。

すでに御覧いただいている通り、オタク特有の言い回しには地味に注釈をつけましたがオタク文化に染まって長いので説明が足りなかったらすみません。ほぼ妄言妄語、空言流言虚辞けれんだと思って頂いて差し支えありません。本当に~??と思ったり、こんなに人を狂わせるとは一体……と思った場合は是非ともご自身で確かめるべくファンタスティックビーストシリーズをご鑑賞ください。テセウス的にはファンタスティックビーストと黒い魔法使いの誕生(2作目)と現在公開中のファンタスティックビーストとダンブルドアの秘密(3作目)だけ見ればOKです。そろそろ劇場公開が終わろうかという時期ですのでお急ぎください。

そして感想を書いてください。

ファンタスティックビーストとは

出来るだけ多くの人にファンタビを見てもらい長文感想を書いて欲しいので可能な限り間口を広げるため、まずもってファンタスティックビーストとはなんぞや?というところから始めますがハリー・ポッターと世界観を同じくするシリーズで、小説原作のハリー・ポッターとは違い、ハリー・ポッター原作J・K・ローリング氏が脚本で参加している映画です。つまり映画だけ見とけば取りこぼしがありません。旧作はAmazonプライムで見られます。

主人公は魔法動物学者ニュート・スキャマンダー。後にハリー・ポッターたちが教科書として使用する本の作者です。若かりしニュート・スキャマンダー氏の物語ですので、同じ世界でハリー・ポッターシリーズよりずっと前のお話です。

はい、ここで“スキャマンダー…?さっきこいつが何か言ってたような…”と気づいた方、素晴らしいですね。ファンタスティックビーストを見る適性が非常に高いですよ。
“もうテセウスの話するの?”と思った方、もうするんです。

今回私を苦しめこうも奇怪な文章をしたためるにいたらしめたテセウス・スキャマンダーはファンタスティックビーストシリーズの主人公であるニュート・スキャマンダーの兄にあたる人物です。この兄弟は色々と関係が複雑なのですが、今すぐ詳細を知りたい方はファンタスティックビーストと黒い魔法使いの誕生でご確認下さい。

ファンタスティックビーストシリーズは今現在3作あり、

・ファンタスティックビーストと魔法使いの旅
・ファンタスティックビーストと黒い魔法使いの誕生
・ファンタスティックビーストとダンブルドアの秘密(劇場公開中)


となっております。
ハリー・ポッター知らないしな…という方も、いきなりここから見て大丈夫です。ハリー・ポッターを知っていると“より”楽しめますが、ハリー・ポッターを知っていたとて初めて見る要素も豊富ですし、これ(原作小説で)予習したやつだ!はないので見たものから見たままに感じ取ってください。この世界についてもっと知りたくなったらハリー・ポッターシリーズも見ていくといい感じに主人公に感情移入出来るかもしれません。

アルバス・ダンブルドア(演・ジュード・ロウ)がやけにみんなに愛され慕われてんな…何…?と不思議に思うかもしれませんが、彼は強力な魔法使いでありつつ心が清らかでおちゃめで他人を惹きつけ他人から言いがかりをつけられる運命にある、なんかそういう人なんだなと一旦飲み込んでください。いつか消化出来るかもしれません。

1つだけ注意が必要なのですが、大人の事情によりゲラート・グリンデルバルドという超重要人物を演じる役者がジョニー・デップからマッツ・ミケルセンに突然変更されます。ちなみに吹替の役者もまた平田広明→井上和彦と変更。
大人の事情によるものなので、もちろん見た目が前作と全く異なることに説明等は一切ありません。
まあでも魔法で見た目変えられるから……なんか……そういうのだと思っていただいて……。
個人的にはマッツ・ミケルセン氏が出ている作品を初めて見ることになり、北欧の至宝を大きなスクリーンで拝めて良かったです。

ハリポタは知ってるけどファンタビは知らない方へ

ハリー・ポッターシリーズをすでにご存じの方への説明ではファンタビの特徴として

“ハリポタは学生が主人公だがファンタビは大人なので魔法そのものと使用され方が高度”
“ハリポタよりダーク”
“ハリポタより政治色が強め”

などがよく挙げられるところですが、個人的には

“ホグワーツ卒業生って結局どんな感じなの?に対するアンサー”
“イギリス以外での魔法使いたち”
“ハリポタでの魔法省は概ね◯◯(自主規制)だったけど、まともに働いてる人もいるんだな……”

といった感じでした。また、ハリーは選ばれしものでしたが、ニュートはどちらかというと能力の高さ故に周りの人間に巻き込まれ戦うことになるという感じなので、全体的に運命というより使命といった雰囲気を帯びているなと思います。そのため、因縁、運命という部分が比較的薄く、そういった劇的な部分が好きな方にはファンタビ3がおすすめです。そこでも因縁や運命を背負うのはニュートではなくダンブルドアなのですが、ハリポタでのダンブルドアをご存じであればダンブルドアがあの仕上がりになった理由も感じ取れるかもしれません。

ファンタビ3の概要

前置きが長くなりましたがここから本格的に深読みオタクの暴走が始まりますので、今一度深呼吸していただき、美味しい飲み物などご用意の上、油でギトギトしたくどいオタクのネチャネチャ語りにたえられる精神状態か確認の後お読みください。ここまででキツかった人はやめておいた方が良いです。

また、思いきりネタバレしまくりますのでご了承ください。

そして断っておきますが私は一度しか見ておらず、さらには見終わってから段々じわじわ色々思うところがあり、ついにはそれらを抱えきれなくなりこんなものを書いているので勘違い思い違い記憶違いが出てくるかと思います。その辺りはおおめに見てください。全てはオタクの妄言です。

ファンタビ3はこういう人におすすめ!

・数十年前のひと夏の思い出に人生を狂わされた人々が世界を巻きこんで暴れまくるのを楽しめる
・とにかくアルバス・ダンブルドア(ジュード・ロウ)がみんなに愛されているが、“ダンブルドア(ジュード・ロウ)だから”というだけで説得力がすごいので、こまけえこたいいんだよ!!!!!!と魔性の人間が魔性の人間として成立していく様を楽しみたい
・人間を見下すマッツ・ミケルセンにテンションを上げられる
・力がなくても己の善良さと真摯さ、愛で戦える人間が好き
・クラシカルな装いが好き
・すごい人なのに弟には雑に扱われる兄が好き
・ロマンスを担当するのは主人公じゃなくてもいい

ファンタビ3は、十二国記を知っているオタクとしては冒頭からすんなり受け止められましたが麒麟を知らないと諸々の設定で少々混乱するかもしれません。

ざっくりいうと麒麟は指導者にふさわしい心の持ち主にのみ頭を垂れる特別な動物であり、麒麟の振る舞いは魔法界において重視される、といったものです。
ベルリンにて世界的な魔法使い組織のトップを選ぶ選挙が行われようとしていたところ、ドイツ魔法省のトップがゲラート・グリンデルバルドの思想に染まった、あるいは迎合したためその選挙にグリンデルバルドも候補者として参加することになります。グリンデルバルドは麒麟を使い不正をし、正当に選ばれたように見せかけてトップの座につこうとします。
それを阻止するためのチームが作られますが、もろもろの事情でこっそり組織されこっそり(※ド派手に)頑張ることになります。

ファンタビ1はNYが舞台、2はパリ、3はベルリンとブータンです。

時代背景(WW1とWW2の間)的にベルリンが舞台になるのはわからなくもないのですが、ブータン…?何故…?という部分は十二国記において昇山というものがありますのでそれにあたるかと思います。今作では恐らく聖なる地で聖なる生き物に選ばれるという権威の箔付けです。

ハリー・ポッターシリーズでも思いましたが、テーマ的に血の繋がりがどうしても重視される世界観(魔法使いの両親から生まれた子を“純血”と称し、純血の一族であることに強く誇りを持つ人々がいる、転じて差別意識も非常に強い)であるため、家族関係で苦しんだ経験がある方には辛い部分もあるかと思います。

また、兄弟間の関係も理想的な描かれ方をされることは少なく劣等感等のもろもろが毎度のように語られるため、それとはわかりづらいですがファンタスティックビーストシリーズ2作目3作目のメインテーマは“家族”だと私は考えています。ハリポタは振り返ってみると徹頭徹尾“愛”だったと思いますが、その辺りの感覚がどうしても我慢ならないほど合わないという方もおられると思います。ファンタビのメインテーマは家族だと述べましたが、それ以外にも見所はありますので結局のところ注目する点によって印象は変わりますし、どう感じるかは人それぞれなのでみんなそれぞれの感想を書いてください。

私が家族関係に注目しているのもテセウスについて考える際には避けて通れないからだと思いますし、各々の感覚、各々の言葉で各々の推し(好きなキャラクター)について語ってください。

他人の長文感想は読むのが楽しいのでね。

ダンブルドアとグリンデルバルド

ファンタビ3の「ダンブルドアの秘密」のダンブルドアはアルバスに限ったわけでなく複数人のダンブルドアにかかっている(妹のこと、アバーフォースの息子、そしてその息子が抱える葛藤まで含められなくもない)わけですが、それでいてなおファンタビ3を語るにあたって避けて通れないのはゲラート・グリンデルバルドとアルバス・ダンブルドアの関係です。

二人がただならぬ関係であったことは始まってすぐにわかり、さらにグリンデルバルドとダンブルドアは過去に血の誓い(お互いに攻撃しようと考えただけで死にかける)を立て、相手を傷つけられないと明らかになっています。ダンブルドアはグリンデルバルドに対抗できるのはあなたしかいない!と言われても、その血の誓いがあるので自ら積極的に動くことが出来ません。

血の誓いは終盤に破られることになるのですが、その後のグリンデルバルドの捨て台詞が「誰がお前を愛すんだ(誰もお前を愛さない)」なので、俺以外はな!的な意味を非常に強く汲み取ってしまう一方、残念ながらアルバス・ダンブルドアは大変大人気なのでなんならアルバスに全く魅力や強さを感じていない登場人物の方が少数派といっていいでしょう。完全に負け惜しみです。

そもそも麒麟がアルバス・ダンブルドアにお辞儀するシーンでもグリンデルバルドはまじかよ……みたいな反応をしているので、なんかもうそういう……あらゆるものに共通する何もかもを惹きつけてやまない性質というか心根の清らかさというか魔性というか、そういうものはよくわかってそうなので少々(とんでもなく)ハードな痴話喧嘩にしか見えないところが恐ろしいですね。他人どころか世界まで巻き込むな。スケールがデカすぎる。

若かりし頃は志を共にした二人ですが、嫌な言い方をするとグリンデルバルドだけがそれを真に受け、青く過激な思想をそのまま実行に移せるだけの力も持ち合わせていたばかりにこんなことになった一方、彼の思想を肯定し強化したであろうアルバス・ダンブルドアはあっさり改心して良識派におさまり梯子を外したともとれなくはないので、アルバス・ダンブルドアは魔性というか他人を狂わせる才能がありすぎるな……と思いました。アルバス自体は権力への誘惑(権力を持つのがいかに魅惑的か、また、それを求めることの危うさおそろしさ)に対しかなり自覚的なようなので家族の問題を抱えていた時期とはいえどもグリンデルトバルドの思想に同調傾倒していたのは黒歴史なんでしょうけども、それと同時にゲラートを愛してもいたので色んな意味で若気のいたりを象徴する存在が世界をめちゃくちゃにしようとしているのは本当に頭を抱えたくなるだろうなと思います。それもこれもダンブルドアがなんか知らんけどカリスマ性MAXのハイパー優秀魔法使い魅力SSみたいな存在だからこそで、神様に愛され過ぎるとそれはそれで大変なんだねって感じでした。

アルバスの魔性ぶりは“ジュード・ロウ”というだけで説得力があり、佇まいだけで納得させられるので、ジュード・ロウの有効活用~!キャスティング担当に圧倒的感謝……という気持ちでいっぱいです。インタビューでも共演者たちにべた褒めされまくっており本当にこれは素晴らしいなと思わざるを得ません。個人的にはファンタビ2でテセウスを呼び止めた後のダンブルドアに“貴様~!!(自分の魅力をよくよくわかってそうなところがずるくないか!?)”になりましたが、テセウスにはそれがあんまり効いてなさそうなのがちょっと面白かったです。テセウスが妙にダンブルドア耐性あるのはなんなんだ。

グリンデルバルドには先読み(未来視)の能力があるそうですが、前もって各々役立つようなアイテムを授けたり、何かを見通しているような思わせ振りな言動があったり、アルバス・ダンブルドアにもそれと似たような傾向はあります。先読みに対抗するには計画を立てないことだ!とむちゃくちゃな作戦をニュート率いるチームはやっていくことになります。ここでチームのトップが経験と実績と立場がしっかりしているテセウス・スキャマンダーではなく弟のニュート・スキャマンダーであるところに、主人公を重要ポジションに置きたいという作劇上の都合だけではなく、ダンブルドアの「君の良いところは力(権力)や名声を求めないところだ」「彼(ニュート)は言うことを聞くような人間じゃない」という言葉が反映されていると思いました。良くも悪くもテセウスは真面目かつ優秀な役人であり思想がわかりやすい人間なので、ニュートのようなそこそこ倫理観や尊法意識に欠け、時として手段を選ばず、価値観が他人とズレている方が行動が予想しづらくはあります。作中の表現をみる限りニュートは非常に優秀な魔法使いなのですが、とはいえホグワーツ在学中の成績に関して具体的な表現はなく、ダンブルドアの人選は唯一無二というほどの優秀さを見込んでのことなのか?というと断言は出来ません。それでもダンブルドアが様々なものをニュートに期待しているのは世間に染まった価値観を持たず、何をやらかすかわからないところを気に入っているのではないかなあと思います。グリンデルバルドとダンブルドアの対照的なところはそこで、グリンデルバルドはクリーデンスの扱い等を見ても自分の思い通りにならないことを歓迎していない(ものの他人をコントロールすること自体は楽しんでいる)ように見えますが、ダンブルドアは想定外を楽しみ歓迎します。そこがおちゃめさであり、彼が偉大な魔法使いであり懐が広いところ、また魅力でもあるのでしょう。

私はハリポタを見ていてアルバス・ダンブルドアに対し“このじいさんもっと説明とかしてくれても良くないか?思わせ振りなこと多すぎない?なんでこんななんや?”と思っていました。しかしファンタビ3を見て、なるほど……と思いました。

まずもって他人がダンブルドアに多くのことを期待しまくりますし、同時に他人から警戒されまくりますし、麒麟にお辞儀されたところも恐らく全世界に見られており、うっかり同意したことにより世界を巻き込む規模で他人を盛大に狂わせてしまうなども経験しているので、そりゃふわふわしたことしか言わなくなるよなあ、ということです。てっきり経験をしっかり積んだ偉大な魔法使いでありホグワーツの校長だからああも信頼され頼られ警戒されているのだと思っていましたが、まさか若い頃からああだったとは。また、ハリポタではお馴染みの寮対抗戦ラストで怒濤の加点タイム~グリフィンドールしか勝たん~も好き勝手しすぎでは!?と思っていました。若い頃から何やっても許されたんだな、そりゃああなるな、になりました。今になってなるほどね……とここまで納得できるとは思ってもみませんでした。ハッフルパフに3点。

グリンデルバルドはダンブルドアを殺すためにクリーデンスが必要だと言うものの、結局のところダンブルドアの気を引くためだったんじゃないか?と言ってしまえばそれまでな気もする程度にはなんやかんや色々あれなんですけれども、グリンデルバルドとヴォルデモートの違いとして自分なりの大義を掲げた支配と恐怖による支配があり、それぞれ既存の権力の排除は不可欠でその既存の権力の象徴がダンブルドアなんだろうなと思いました。目的が違うのでアプローチが違うと。グリンデルバルドは正当性を必要としているので選挙にも出るし、選ばれたのだと言う事実が欲しい。

秩序・悪と混沌・悪が中庸・善と対立するのはまあそりゃそうという。

テセウスの話

さて、私は先に

あとからじわじわ遅効性の毒のように効いてきた存在がいました。テセウス・スキャマンダーです。

と述べました。そんなわけでついにねちねちとテセウス周りの話をしていこうと思います。そして、

テセウス的にはファンタスティックビーストと黒い魔法使いの誕生(2作目)と現在公開中のファンタスティックビーストとダンブルドアの秘密(3作目)だけ見ればOKです。

とも申しました。なので、ここでは魔法使いの旅(1作目)については割愛します。

ファンタビ3はグリンデルバルドとダンブルドアの確執妄執因縁執念が取り沙汰されがちで、私もつい先ほどその話を避けては通れないと言いました。しかし一方で、この映画の主人公は間違いなくニュート・スキャマンダーである必要があります。(クレジットはジュード・ロウが最初のようですが)

メインテーマが家族である、と述べたのも関係するのですが、メインの人物たちが大きなくくりで言えばほぼニュート・スキャマンダーの家族、またはニュート・スキャマンダーが他の点と点を繋ぐ存在だからです。

・ニュート・スキャマンダー(主人公・本人)
・テセウス・スキャマンダー(兄)
・ユスフ・カーマ(兄の婚約者の異父兄)
・ティナ・ゴールドスタイン(将来の妻)
・クイニー・ゴールドスタイン(将来の妻の妹)
・ジェイコブ・コワルスキー(将来の妻の妹の夫)
・アルバス・ダンブルドア(恩師)
・アバーフォース・ダンブルドア(恩師の弟)
・クリーデンス/アウレリウス・ダンブルドア(恩師の弟の息子)
・ゲラート・グリンデルバルド(恩師の元カレ)
・ユーラリー・ヒックス(学者仲間/将来の妻の友人)
・バンティ・ブロードエーカー(助手)

まあ一見するとギリギリテセウスが主人公でも成り立たなくはない関係ですが、彼はイギリス魔法省の闇祓い局局長なので仮に彼を中心とする物語であれば公式なお役所仕事になりがちです(2ではニュートがテセウスの部下になる可能性が提示される)し、イギリス魔法省自体の意向ととられなくもないため政治的な理由もあり難しく、なんなら話をよりややこしくし面倒な展開を招きかねないため、やはり今作の主人公はニュート・スキャマンダーであらねばなりません。

そもそも、みんな大好きダンブルドアがすごい人らしいことはわかっていてもダンブルドアを信用したりダンブルドアに魅了されていない人々がテセウスでありジェイコブでありユスフなため、“ニュートがダンブルドアのことを信じている”のが大事なポイントになります。ニュートがいないとユーラリー以外大人しくダンブルドアの言うことを聞きそうにありません。

ニュートを中心とした家族と言ったわりに“兄の婚約者の異父兄”はいるのに“兄の婚約者”は何故ここに書いてないのか?と思った方はまあとりあえず2作目の黒い魔法使いの誕生を見ていただいて……。

ファンタビ3では兄/姉-弟/妹属性が

テセウス-ニュート
ユスフ-リタ(テセウスの婚約者)
ティナ-クイニー
アルバス-アバーフォース

とかなり多く、兄弟関係がほぼウィーズリー家に終始していたハリポタシリーズとはかなり様相が異なります。

ファンタビ3ダンブルドアの秘密では、麒麟の姉妹もここに加わります。ニュートが直接的に物語に彼女たちを組み込みますし、姉妹であることにも強い意味があります。
ファンタビ2ではさらにリタ-コーヴァス(姉弟)も登場します。

テセウスが初登場の場面ではニュートとの関係があまりよくなさそう~と思った方が私以外にもいたと思いますが、蓋を開けてみるとここの兄弟がティナ-クイニー姉妹に続いて関係が良好で笑います。他の関係が悪すぎる。

テセウスは“hugger(めっちゃハグ好きな人)”なうえ、魔法省のことをファミリーなどとのたまう(リタに対し魔法省のファミリーになりなよ!と魔法省で働くことをすすめたらしい)人なので私はファンタビ2までしか見ていないときに

ウワッこいつ職場の同僚と家族ぐるみの付き合いした挙げ句、職場の同僚と家族友人恋人同伴参加OKバーベキューをやって、その写真をやりがいとかリスペクトとか感謝とか仲間って言葉添えてFacebookにあげるタイプだ!!!

と思いました。陰キャコミュ障オタクの天敵です。
また、huggerなところも情に厚そうですげ~~やだな………(情に厚いキャラはだいたい映画で足引っ張る印象がある)という印象でした。

そしてテセウスの婚約者であるリタはニュートとホグワーツでの同級生であり、さらに今はティナがいるとはいえニュートは昔リタのことが好きだったのでもろもろの詳しいタイミングもわからない以上、兄……!!!お前……!!!!!!になるわけです。

リタの過去のエピソードは主人公がニュート故にニュートと関わりがあるものしか出てこず、テセウスがいかにしてリタと婚約したのかは不明なので見ている側としてはニュートに感情移入してしまうのは仕方がないと思います。また、その辺を利用した含みのある演出も出てくるのでテセウス・リタ・ニュートの三角関係は噛めば噛むほど味が出てきますね。
テセウスとリタは仲が良さそうでもあります。

深読みすると“テセウス”というのは古代ギリシャ、アテナイの英雄の名で彼は迷宮のミノタウロス退治が有名です。

また、ニュートのミドルネームは“アルテミス”ですので、テセウス、アルテミス、婚約者(アリアドネ)となるとわかる人はもうこの時点でアッ…………となるらしいです。

なんならニュートがリタと婚約したと勘違いしたティナが付き合った相手というのが“アキレス・トリバー”という名で、ここでも古代ギリシャの英雄の名が出てきます。アキレス・トリバーは現在名前のみの存在で別になんでもよかったところを古代ギリシャの英雄の名前にわざわざしているので、やはり何かを示唆した名前だったのかな~と思ったりしました。


作中では明言されていなかったように思いますが設定上はテセウスがニュートの8歳年上らしく、ホグワーツは7年制の学校なため在籍期間が被りません。

テセウスはイギリス魔法省の闇払い局局長です。ハリポタシリーズによれば闇祓いは成績優秀でなければなれないようなので当然テセウスは非常に優秀な生徒だったでしょうし、見た目もいいとなれば目立つ存在だったと考えるのが自然でしょう。彼らは二人とも同じ寮(ハッフルパフ)出身のため、テセウスが卒業した直後にニュートが入学しテセウスの優秀さを知る人々ばかりに囲まれただろうな、テセウスの弟と何度も言われただろうな、人とのコミュニケーションが好きで優秀な兄と比べられたろうな、と想像(妄想)するとニュートのテセウスに対する反応(嫌っているわけではなさそうでも鬱陶しがったり、扱いが雑だったり、縛られたテセウスを見て人生最高の瞬間だと嬉しそうに言ったり)もまあわからんでもないか……となりました。

1作目でニュートが“僕はチェイサー”と発言しており、様々な意味が考えられますがクィディッチのポジションのひとつにチェイサーがあることから、それを連想することも出来ます。ニュートがそうならテセウスもクィディッチやってんだろうな、そして何でもできる人気者だったんだろうな、と兄弟関係について色々考えられるのが楽しいです。答えが全然用意されないので不毛とも言いますが。

逆にテセウスから見ればいくつになっても8歳下の弟が可愛くて仕方がないのもわからんでもないですし、心配だろうなというのもわかるので、この兄弟はわりとストレートにニュートが好きなテセウスと、テセウスが嫌いではないけど色々あってちょっと距離をおいて付き合いたいと思っているニュートといった感じで性格の差がはっきり出ていて面白いです。

余談ですがニュート役のエディ・レッドメインとテセウス役のカラム・ターナーは8歳差で、しかし弟役のエディ・レッドメインの方が年上です。

テセウスとニュートが8歳差設定と知り、役者はそこまで離れてないように見えたから意外だな~などと思っていたらまさかの弟の方が年上、それも8歳も、と大混乱しました。本当に!?何回確かめても本当なんだよなあ~

ここの兄弟の面白いところは、テセウスがわかりやすく目立つタイプで正義感も強く人気者だったろうなというエリート役人であるのに対して、はみ出し者であり本人もその方が楽だと思っており固い仕事が苦手で政治的思想的立場を問われたときにもどちらも選ばないと言うようなニュートは正反対なようでいて、実は魔法使いとしての能力的にはニュートがテセウスに劣っているような描写は一切ないところです。むしろ並ぶ形が多いので、テセウスが優秀であると描かれれば描かれるほど、既存の枠組みの外で生きているせいで能力が推し量りづらいニュートがいかに優秀な魔法使いであるかを証明していることになります。テセウスは間接にあらゆる意味で、ダンブルドアに多くを託されるニュートの特別性を担保しているわけです。

魔法使いとマグルの対比はニュートとジェイコブの間で行われますが、ニュートの魔法使いとしての能力を推し量るには身元と社会的立場からテセウスがちょうどいいんですね。

テセウスとニュートの関係性はファンタビ2→3と見ていく中で徐々に明らかになっていきます。

2ではフランス魔法省潜入のためニュートが魔法薬でテセウスに姿を変えます。ポリジュース薬はハリポタお馴染みの薬でして、それを常に携帯しているのはまあわからんでもないのですが、この薬は最後に“姿を変える相手の体の一部”が必要になります。髪などですね。その場にテセウスはいませんでした。つまり、ポリジュース薬の汎用性も考えるとニュートは薬だけでなくいざという時のためテセウスの体の一部もいつも携帯していたのでは?あるいは、めちゃめちゃ使えるからとテセウスになれるポリジュース薬を常備しているのでは?と推測しました。
“こいつ……やってんな(初犯じゃないな、今までもテセウスの姿で色々やらかしてんな)”と思っていると、その後テセウスに見つかり追いかけられます。
ファンタビ3でもテセウスがドイツ魔法省に顔パスの場面があったことから、テセウスの姿であれば特に確認されることなく入れる場所が多いのでしょう。ここでは逆にニュートの行動でテセウスがいかにすごい人物であるかが示されます。

テセウスはニュートとティナを追いかけますが、そりゃ自分の姿を使って勝手をされればテセウスも怒るやろ、追いかけるやろ、普段から心配するやろ、とニュートに対し自業自得という言葉が頭をよぎります。ティナが“殺しそうな勢いで追ってきてるけど!?”と聞けば“いつものことだよ!”とニュートが答えるので、何回もやってんなという推測が完全に確信に変わります。
ここで熱くなったテセウスはやりすぎてしまい、ティナに反撃され椅子に縛りつけられます。そのやり込められたテセウスを見てニュートは嬉しそうに「人生最高の瞬間」と言うので、兄を利用しておきながら何かしらのコンプレックスも抱えてるんだろうなと思えて複雑な兄弟関係が楽しくなってきてしまいました。

※脚本を読んだところ、ニュートは“コートについていたテセウスの髪をポリジュース薬に入れ”ているのでここでニュートが「兄のテセウス、ハグが好き(hugger)でね」と言うのはハグされたときについた髪を使っているので皮肉っぽい発言のようです

またもや話がそれますが、テセウス役のカラム・ターナーによる“テセウスの姿をしたニュート”の演技が素晴らしいので是非ご覧いただきたいポイントです。
そもそもエディ・レッドメインとカラム・ターナーは年齢もそうですが本人たちの性格的にも兄弟逆っぽいので、インタビュー等見てから改めて映画を見ると話し方を始め振る舞い佇まい仕草と演技の素晴らしさをより噛み締められるかと思います。
エディ・レッドメインの動画おすすめはファンタビ3のために来日したイベントで吹替の宮野真守と踊るやつなので是非ご覧下さい。

https://youtu.be/wmcsG0kfVSI
https://youtu.be/iuMRIjKsZ6k

このあとまあなんやかんやあり、テセウスにとってハートブレイクなことが起きるというか……あの……まあみんなに色々起きてみんな心がめちゃめちゃになり、まじのお通夜みたいになるのですが、さすが優秀な闇祓いであるテセウスとティナはやるべきことをまっとうします。

ここでテセウス登場時の“情に厚そうですげ~~やだな………(情に厚いキャラはだいたい映画で足引っ張る印象がある)”は覆されることになりました。確かに感情的になる場面はありますが感情のみで行動が規定されるタイプではなく、むしろ彼は正義感と愛情が同居し人のためを思い行動できる人だったということです。悲しみにくれる前に今やらねばならないことはちゃんとわかっていて、対処出来るところがさすがだなと思いました。

また、テセウスがhuggerであるという点も、自分も辛くはあるがより辛いであろう茫然としている兄を気遣ったニュートが自らテセウスをハグすることの意味をより強くしますし、テセウスがニュートにどちらにつくのか選択を迫ったこともここでテセウスをハグしたニュートが“僕はこちらを選んだ”と言うことで回収されます。ニュートが自分の意思でグリンデルバルドと対立する動機付けがファンタビ2となるわけです。

ハリー・ポッターは自分の意思が介在する前にヴォルデモートとの因縁が形成され、さらには向こうからやってくるので対立する運命にありましたし、ヴォルデモートは直接的に害してくる敵でした。

しかしニュート・スキャマンダーにとってグリンデルバルドは宿敵ではありません。さらにジェイコブという友人はいますが、マグルよりも魔法族の方が上だと主張するグリンデルバルドの思想はニュートを直接害するものでもないため、何故戦うのかという動機付けは不可欠で、ハリー・ポッターの運命とは違いニュート・スキャマンダーの場合は使命です。この動機付けはテセウスを介さずともリタとの関係で成されなくもないですが、ニュートとティナというカップルのことを考えれば不要かつ複雑な感情を引きずりかねません。事実、リタとニュートが婚約したという誤報でティナは非常に怒っていましたがここで“兄の婚約者だ!”と言えるのと“ただの友人だ!”としか言えないのでは説得力が違うように思います。ましてや、ニュートは1作目でリタの写真を飾っています。2作目以降はそれがティナになることも踏まえ、ニュートにとって非常に大きな存在だったことは間違いありません。リタとニュートを男女の関係からある程度遠ざけつつも物語に関わらせるのにテセウスは効果的な存在です。さらに、年が離れた実の兄という絶妙な距離と含みを持つうっすらとした三角関係は解釈の幅を広げます。先に“噛めば噛むほど味が出る”と表現したこれは、作品をより豊かなものとするのに貢献していると思います。

ファンタビ3でのテセウス

さて、ここまで散々テセウス・スキャマンダーがこの物語においていかに効果的で有用な存在であるかの話をしてきましたが、皆様お気づきでしょうか。

そう、私は“テセウス的にはファンタスティックビーストと黒い魔法使いの誕生(2作目)と現在公開中のファンタスティックビーストとダンブルドアの秘密(3作目)だけ見ればOKです。”と言いました。しかし、ここまでよく読んでみると3作目におけるテセウスの話をほとんどしていません。

そうです。ここまでは言わば下ごしらえ、本題はここからです。

ファンタビ2を見たときには特に何も思わなかった私が、ファンタビ3を見た後じわじわとテセウスにやられていった理由について全くお話ししておりません。

ここまで長々とお話ししてきましたので厚切りロースカツでも食べた気になっているかもしれませんが、ここからはそれをさらにカツ丼に仕上げるがごときの重さ(気持ち悪さ)ですので、もうお腹いっぱいの方は日を改めるなり完食を諦めるなりなさってください。

ファンタビ2の内容もほとんど忘れた状態で、何の気なしにファンタビ3を見に行き、久々の映画館に浮かれて購入したキャラメルポップコーンを貪りコーラを吸うカロリー大量摂取をキメながら、私はふと気づきました。

あれ……テセウスって……めちゃめちゃおもろない?

後から気づいたのですが、私がファンタビ2を見てウワーッこの兄貴いけすかなさそう!と思ったテセウスはよくよく考えてみるとほとんど“対ニュートのテセウス”、ニュートから見たテセウスだったわけです。

振り返ってみれば、2作目黒い魔法使いの誕生でのテセウスは大抵が対ニュート、または対リタでした。他は上司や部下、ダンブルドアとの会話や呼びかけがありますが、そう多くはありません。そして3作目でようやくニュート以外との関わりが多々描かれるようになり、初めて(改めて)直面するわけです。

この兄貴……弟に雑な扱い受けてないか?

ということに。そして、テセウスはファンタビ2で魔法省をファミリーだと言いました。私はてっきり“仲間を家族(身内)と思う人”なんだと思っていましたが、ファンタビ3ではどうもそうではなさそうだぞということも知ります。

チームを結成した時のテセウスを見るとどうもチーム一丸となって頑張ろうみたいなノリでもなく、“このメンバーで大丈夫か?”的なことを言いジェイコブに“あんたがいるから大丈夫だろ”とか言われます。

さらにそういえば……が続き、テセウスは“あの”ダンブルドアに感情を揺さぶられている様子があまり見えません。

私は魔法界においてほとんどの人間に“大好き”“好き”“(すごいのはわかるけどorすごいから)嫌い”“大嫌い”いずれかの感情を抱かせる魔性の人ダンブルドアの、何気ない行動でさえ他人の感情に干渉してくる様を“ダンブルドアチャーム”と勝手に呼んでいるのですが、人間自体をそんなに好きじゃなさそうなあのニュート・スキャマンダーにさえ“ダンブルドアだから仕方ない”という諦めのようなものを持たせる超強力な魅力をぶつけてくるダンブルドアチャームを全キャンセル出来るテセウス・スキャマンダー、ある意味逸材では?そのニュートも“ダンブルドアが言うから”の方向性や質が他の人々と多少異なってはいます。

ファンタビ2でわざわざ一人を呼び止めじっと見つめて警告されたり、ファンタビ3でも至近距離でじっと見つめ信じてくれと言われても何も響いたところがないテセウスは謎のダンブルドア耐性があって非常に面白いです。信じてくれと言われたときに関してはちらりと弟の方へ視線をやり、弟がダンブルドアを信じるのでじゃあ自分も信じると言わんばかりの不信ぶりでダンブルドアチャームに対し鉄壁過ぎるテセウスは本当に何?どういうこと?ダンブルドアのあらゆることは“ダンブルドア(ジュード・ロウ)である”というだけで全て説明がなされていると言わんばかりの魔性ぶりなのですが、それがテセウスに関してはまーじで何も効いてなさそうなんですよ。

そうなってくるとここまでのあれこれや、さらに後には先のあれこれがもしかして……?と思い起こされてくるわけなんですね。

年齢差を考えるとテセウスとアルバスはギリギリホグワーツの在籍時期がかぶっているよう?なので、グリフィンドールの主席7年生がいつもの調子でハーレムを形成しているのを見てテセウス少年は何かしら思うところがあったのかもしれませんし、そんなことは全くないがなんか知らんけど全然アルバスの魅力が響かないのかもしれません。

ラストでテセウスは“アルバス”と呼んだうえで「グリンデルバルドを見つけて止めると約束してくれ」と言うので、ファーストネームを呼ぶことの意味が彼らと私では文化的文脈が大いに異なることは理解してなお、いざとなればグリンデルバルドと対立することを厭わないと示したことでやっとダンブルドアを信用する気になったのかな~と思いました。テセウス的身内にカウントされるようになったのかはわかりませんが。そして、逆に言えば行動で示さない限り信用しなかったダンブルドアのことを、ニュートがダンブルドアを信じているからというだけでまあ信じるか……と思えるってどんだけ家族というかニュートのこと信じてんだ??とも思いました。

ちなみにテセウス・スキャマンダー役のカラム・ターナー自身はジュード・ロウの魅了にバチバチにやられてるらしいです。


ファンタビ3ではファンタビ2でなんとなく抱いていた印象が覆されました。ニュートはティナにテセウスを説明する時わざわざhuggerと言っていましたがファンタビ3ではなんならニュートしかハグしてませんし、ジェイコブとの出会い頭にいきなりしていたので単にこの兄弟は好きな人への愛情表現がハグなだけなんじゃないか?と思いました。テセウスがニュートのことをとても好きだから“ニュートは”テセウスをhuggerだと思ってるパターンか~?と半ば叙述トリックや信用ならない語り手の気配を感じて楽しくなってしまいます。

また、テセウスは“仲間を家族だと思って大事にするタイプ”ではありませんでした。“家族を自分のテリトリーに入れたいタイプ”であり、“信用している、または好いている相手とそれ以外の差が激しい”のかなと思います。特に好いている人間が関わると感情的になるようなきらいがあるのかな~といったところです。基本的に他者に対して優しく、さらにはエリートのわりに選民思想が全く感じられず、すべきことに対する意識が高いが自分の正義と感情的な行動が重なる時には周囲が見えなくなる部分もある。心優しく愛情深い優秀な闇祓い(家族が大好きで家族のこととなるとカッとなりがち)……いや、面白いでしょ!?

もっと言えばテセウスは魔法省にて一定の地位を築いていることから自分の正義と世間的に求められるものがある程度合致している、またはそれらに迎合することが出来、社会に適応しているわりにはそれから逸脱しているニュートに対し心配はしても見下したりする素振りがないのでその辺りのバランス感覚に傲慢さがなく愉快ですね。さすがハッフルパフの人です。

友人が

ハッフルパフの魔法使い、自分の正義に忠誠を誓ってていい

と言っておりまして、それ~~!!!!になりました。テセウスもニュートも基本的に“誰かに言われたから”ではなく“己の信ずるもの”“己の正義のため”に動きますし、テセウスは多少周囲との葛藤も挟みつつも自分が出来る限りの方法でなんとか自分の正義を貫き通そうとするところがめちゃめちゃいいです。いつでも自分を強く持っている人間が好きです。しかもそれで実現しようとしているのが自分にとっての利益ではなく信念や正義を貫くことなのと、自分が誰かを愛しているという感情、世間との折り合いのバランスが高次元でとれているのがテセウスのいいところですね。たまにバランスが崩れていますが限度がそれもまた人間らしさというがご愛敬で。

ニュートとテセウスの互いへの感情のちくはぐさは、今思えばファンタビ2の時からありありと出ていたというか、テセウスは初手からずっとニュートがめっちゃ好きだけどニュートはあまり……と示され続けていたわけですが、ファンタビ3ではそれがちょこちょこ発揮されて面白かったです。そしてそれが他者を含む場で発揮される度に一瞬不思議な空気になるのが良いです。

テセウスの存在自体がニュートの優秀さを表現するのに一役かっていると述べましたが、ファンタビ2では海外渡航許可を出すかわりにテセウスの下で働くことを提案されたニュートが、いや……ないない無理無理的な感じで断るシーンでテセウスが若干しょんぼりしている気がしていました。ここはテセウスによる監視を多少期待されてのことだとはしても闇祓い局に入れるほどニュートが優秀だということを感じさせますし、同時に兄弟の関係性が出てていいな~しょんぼりしてるように感じるのは気のせいかもしれないけど、と思っていましたがファンタビ3を見てたぶん気のせいじゃないな……と思いました。

何かと弟に雑に扱われているあたりからも、ニュートの兄に対するこじらせた何かを感じるんですが、やっぱりこれは散々“テセウスの弟”扱いされたとか何かそういうのがあるんでしょうか。推測の域を出ないのですが、テセウスのスペックを考えるとそれも致し方なし……と思うので、個人的にはそうだと思っています。

ファンタビ3にて列車の中でそれぞれを紹介するのにテセウスだけ飛ばすあたり何!?と思ったんですけどあれ本当に何なんですか?もし仮に紹介しなくてもいいほど有名だったとしてもあの場では紹介するのが普通ですよね??何??テセウスも紹介されるの待ってるやん??あと肩書き何も言わないのでニュートの兄としかわからず、……で?となったところでテセウスが自ら肩書きを説明するあたり面白かったんですけど本当に何??兄貴に対してやっぱ絶対なんかこじらせてるでしょ??何でか教えてくれませんかね!??


ファンタビ3でのテセウスといえばドイツ魔法省で捕らわれ、アークスタークにて拘束される場面がやはり印象的かと思います。

“テセウス”が“怪物がいる迷宮”から“赤い糸(のネクタイ)で脱出”するの、先にも書いたアリアドネの話からちょっと楽しくなってしまうのですが、こうなってくるとテセウスには是非とも崖に気をつけてほしいものです。
それでなくても物語においてテセウスという存在がわりに消費されきっている節があり、なんか死にそうだな……的なものを感じずにはいられないのでどうにか頑張っていただきたいですね。

ニュートとテセウスが踊りながら移動していくときに、しれっとニュートが「ランプ持って」とさっきまで逆さ吊りされていた兄にそこそこ重たそうなランプを押し付けるのに笑ってしまいましたが、まあ……なんか知らんけどテセウスは妙にタフなのでまあ……。
ニュート自身もめちゃめちゃタフなので、肩書きだけ見た印象と本人たちの体の厚さがあんまあってないというか、現場主義だとこうならざるを得ないのかな~とか未知の職業についてなんやかんや考えると楽しいですね。

アークスタークでテセウスが引きずり落とされそうになった場面では、なんとかギリギリしがみついている時に「ニュート!」と叫ぶししっかり手を握っているのに、いざ引き込まれるとテセウスは手を離しニュートだけが手を握っているのでお前そういうとこやぞ!!!!!!!!と思ったんですけど、そのあとポートキーで移動した後ふと我にかえったニュートに手を振り払われているのは安定のスキャマンダー兄弟で良かったです。あとエリートのテセウスが落ち葉まみれになってるのも良かったです。

私はこの辺りで“あれ……テセウスのこと好きな気がしてきた……”と思っていたんですが、私の好みをよく知っている人はファンタビ2のホグワーツに現れたテセウスがダンブルドアに呼び止められ警告されるシーンですでに好きそうと思っていたそうなので、テセウスはもうその頃からおもしれー(定石を外れ興味をそそる)男だったのかもしれません。

何故なら私はおもしれー男、おもしれー女がとても好きだからです。

そのあともテセウス優し~みたいなシーンがあるんですけど、個人的にはいつの間にかテセウスが麒麟を何事もなく抱いてるシーンで何!?テセウスの善性を見せつけてんの!?しれっと抱いとるが!?そこバンティならまだわかるんだが何故テセウス??とか思ってたんですけどまじで何で?テセウスのいい人ぶりアピ演出か?

如何せんとにかくテセウスの善性というかいい人ぶりというか正義漢ぶりと家族(ニュートとリタ)大好きぶり、あまりにもまぶしいんですけどそれでいてさらにエリートなわけじゃないですか?非の打ち所がねえ~~!って感じなんですけど弟に鬱陶しがられてるところで可愛げが生まれてて本当に良かったです。あと肝心なところで若干空回りするのと。

なんかテセウスはとにかくエリート!弟に雑に扱われてる!優し~~い!が波状攻撃のように襲ってきて情緒乱されまくりなんですね。

本当におもしれー男だよテセウスは……。

突然告白しますが、振りかぶったときに一瞬だけジャケットとベストの隙間からのぞくシャツのことを“スリーピースの絶対領域”と個人的に呼んでいて、ファンタビ3ではテセウスが派手に戦うシーンでも全然見られなくて寂しかったです。
それはそれとしてラリーと背中合わせになってからガンガン戦うシーン非常によかったですね。

精一杯振り絞っていたなけなしの語彙力が段々死んできました。

個人的なテセウスの印象なんですけど、しっかり重みのある陶製のボウルのような大きな器に少し熱めの、それでいて心地いいぐらいの温度の僅かにとろみのあるさらさらしてきらきら輝く液体がなみなみと入っており、多少のことには耐えるが時折傾いて中身がこぼれる、みたいなそういう感じなんですよ。ニュートはこれの口は狭いが容量は大きい花瓶みたいな感じで。

テセウスの懐が深いかどうかはわかりませんが、人を受け入れるかは別として人に優しくするのがベースっぽいし、あったけ~なと思います。いざとなると自分を犠牲にしてでもどうにかしようって発想もあるところも含めて感情も愛情も豊かだな~というか。

損得勘定で物を考えてなさそうなのがいいですね。その辺不器用でもおかしくないのに社会的地位もあることからやっぱバランス感覚がいいのかな~でも弟には若干煙たがられてるしなあと以下無限ループです。

全然矛盾してないんだけどなんとなく同時には成立しづらそうな要素が本人の善性とか優しさを由来として同居してるの本当におもしれー男だし、まじでJKローリング氏は登場人物を作り上げるのが上手いなと思いました。


ファンタビ3の総評

さんざっぱら狂人の主張を並べ立てた後、今ごろになってようやく“ファンタスティックビーストとダンブルドアの秘密”映画そのものの総評などしてみようと思うのですが、その前にまず判断基準の背景にあるものを説明せねば不誠実だろうということで私が好きな映画を挙げておきます。

・ナイト&デイ
・天使と悪魔
・インセプション

上記三本をご存知の方はなるほどと思われるでしょう。つまり、“画面が派手で、予想外のことは起こらず、何も考えずに見られる映画”が私は好きです。特に映画館で見るなら映像は美しいにこしたことはありませんし、美しいという前提でド派手な方が良いです。

ここで言う“何も考えずに見られる”は自分の生き方を問い直したり、在り方について今一度考えさせられたりしないの意です。
そういう観点で言えばダンブルドアの秘密は面白かったです。

ダンブルドアの秘密に限らずハリー・ポッターおよびファンタスティックビーストシリーズは身も蓋もない言い方をすると金がかかってんな~!という映像で見ごたえがありますし、美しくもあります。

話の内容自体はそれなりに物語の類型に詳しい人、ドラマ映画漫画小説等に親しんでいる人、オタクであれば何もかも予想通りというか、特別変わったことはありませんがそれはそれで安心して見られます。そもそも前日譚はその特性上、予想外の展開は起こしづらく、ifの世界、平行世界だとでも謳っていなければどうしても既存の物語との辻褄合わせがそれなりに起きますので当然とも言えます。

また、“ファンタスティックビーストなのにダンブルドアとグリンデルバルドの話ばかりだった”という意見も一理あるのですが、先に挙げた“天使と悪魔”などはキャストを見た時点で誰が黒幕かわかるだろ!!!といった代物ですし、有名俳優を起用しておきながらあえてあまり出さないよりは有効活用している方が個人的に好きなので気になりませんでした。カメオ出演などになってくると話は別なのですが。
どこまで大人の事情に左右されているか不明ですがグリンデルバルド=マッツ・ミケルセンを印象づけ直す意味でも良かったと思います。

あとは音楽に詳しくないながらも、タンゴにコミカルな文脈を持たせるところが楽しくて良かったです。“ここでこういうダンサブルな曲か~笑”と楽しくなりました。

“ファンタスティックビースト”というタイトルなのだからもっと魔法動物を出すべきという意見に関しては、あまり数を打つと麒麟のインパクトが薄れて話の主題が逸れてくんじゃないかな~と思うのですが、そもそも主題を魔法動物に持ってこいよと言われるとそれ以上何も言えないので、魔法動物が見たい!!!!という人にはあまり積極的におすすめする映画ではないかなといったところです。

人物と人間関係の構築が上手いな~と思ったので、人間関係のままならなさと、時には矛盾をはらむ人々の葛藤や在り方を楽しむ分にはエンターテイメント性が高く、後味が比較的悪くないのも含め見たら楽しいんじゃないかな~と思います。
個人的にはアークスタークの入り口のおじさんの金歯がなくなっていたり、アバーフォースが麒麟に食事を与えるとき皿を持ち上げて(麒麟は特定の人にしか頭を下げられない)いたり、ジェイコブが麒麟に与えたときは食事場面が見えなくなっていたりと芸が細かいな~と思いましたし、話の流れの好みがあるのは確かではありつつも色々緻密に作ってあるので複数回見ても発見がありそうに思います。
グリンデル“ワ”ルトとグリンデル“バ”ルドの違いなどもあり字幕で見るのが個人的おすすめですが、吹替も安定感のある役者陣なので安心して見られるため、お好みでご覧ください。

少なくとも私は映画館まで行って2000円近く払ったことを後悔しない映画でした。音楽がいいので映画館で見て良かったなと思います。


あと……とりあえずこの映画には、こんな感想を長々ぐだぐだと書くぐらい人を狂わせる力はあります。

とりあえず映画を見て欲しい

ちまちま書いていたらいつの間にか2万字を越えていて自分でもびっくりしました。
はたしてここまでお付き合いくださっている方が何人いるのか……。
多弁オタクの感想無駄に長くなりがち問題はさておき、とりあえず他人が書いたファンタビ感想、引いてはテセウスについての感想が読みたいので皆さん是非ファンタビを見て感想を書いてください!!!!よろしくお願いします!!!!!!!!

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