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執着と「いい加減」につきあう

不安や悩みを、箇条書きレベルで書き出して眺めてみます。

すると面白いもので、さっきまで自分の中で
重い負担になっていたことが
文字になると、急によそよそしく見えてきます。

おまけに、まるで文字が気持ちの重さも引き取ってくれたかのように、
少し心が軽くなりませんか?

私たちの心は、すぐいろいろなものを抱え込みたがるもの。
執着というやつです。
執着の対象は、自覚できる物事だけでありません。

不安や苦しみ、怒り、悲しみ・・・
感情の背景にも執着は隠れています。

例えば、
何か努力をしてきたことが望んだ結果にならず、
落ち込んでいるとき。

負けず嫌いの性質があるのなら、
そのお陰で成長を続けることができたのでしょう。

でも、負けず嫌いが too much(いきすぎ、過剰)になると
「優秀じゃないと自分には価値がない」となって、
自己を苦しめてしまいます。

too much になってしまう原因は、執着です。
負けず嫌いがtoo muchになってしまうのは、
過去の栄光への執着?
それともその奥にある、親に認められたい自分への執着?

執着があることで、人は前に進めることも、
動けなくなることもあるのです。

書き出すことは、俯瞰で眺めることができるようになり、
執着に気づくこと。
抱え込んでいるその手を放すこと。

「自分はこういう価値観が強いらしい」

と、悩みの規則性や根本にある正体に気づけば、

「なんだ過剰になってるな、
 もう少し減らしてもいいんじゃないか」

などと、「いい加減」に調整することも
できるようになっていきます。

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