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ダークソウルと金枝 4

前回に続き『金枝篇』第二章「魂の危機」について語っていきます。

「ダークソウルと金枝 3」では、神と同一視された古の王たちが、様々な掟によって縛られてきた様。そしてそうした王たちのタブーが、彼らの命を守る、彼らの魂を抜け出させないために行われているのだ、という仮説を導きました。

今回は、そうした王たちの掟やタブーの例を改めて紹介し、それがどのような意味を持っていたのかを考えていきます。

外界からの脅威

さてさっそく王たちの命を守り、その魂を体にとどめておく云々……の話なのですが、いきなり王の魂は関係なく外界からの脅威の話題へうつります。

さっきまでの節「魂の本質」とは何だったのか、と思われるかもしれませんが、一応話を「王と祭司のタブー」にまた戻し、その文脈として王の危険の話をしていますので容赦をください。魂の話し云々は一旦表層では忘れつ、一応は気にしつつお読みください。

さしあたり王に対する危機として、外界からの害悪というものは、考えられる重要なものです。目に見えない魔法の力が信じられている以上、そうした害意が王を傷つけることは当然心配される事態です。まずはそうした危機に対する例をみてみましょう。

たとえば南太平洋のナヌメア島(the island of Nanu-mea)では、船で別の島々からやってきた異邦人の集団は、島民とのコミュニケーションを許してほしければまず、全員もしくは代表の数人が、島の四つの神殿すべてに連れて行かれ、自分たち異邦人が持ち込んでいるかもしれないいかなる病も背信も、神が遠ざけてくれるようにと祈りを捧げねばならなかった。祭壇には肉の供え物も捧げられ、神を称える歌と踊りが捧げられた。これらの儀式が行われている間、祭司たちおよびこれに付き添う者たちを除いて、島民全員が姿を隠していた。

J.G.フレイザー.『初版 金枝篇 上』.吉川信(訳).筑摩書房.2003 p.218

以上の引用を見て、二つの事が思い浮かぶかと思います。
まず”四つの神殿すべてに連れて行かれ”という部分に、『ダークソウル』の始まりの火の炉へ至るための試練を連想したでしょう。そして第二に、それらのレベルデザインは(この言葉一度使ってみたかった)、「デモンズソウル」においても見られた、そもそもゲームによくある構成で、この引用の部分とは無関係であろう、と。

もちろんその疑問は、その通りでしょう。
しかし『金枝篇』に見られる呪術的な世界観の中に、こうしたいささか入念に過ぎるとも思える儀式的行為が見られること。そしてそうした儀式的行為との様々なゲーム上での一致の中に、たとえそれが間違えでも、面白い考察の種が潜んでいること。そしてやっぱりレベルデザインという言葉を使ってみたかったという事を、考えてみてほしいと思います。

外からの呪いを退けるため、何かしらの儀式や試練を行う。
たとえばこうした儀式の中に、センの古城でのプレイヤーへの仕打ちがなぜ行われたのか、という考察を行うことが出来ると思います。

グワーーーーーッ!!

先回でも紹介したアノールロンドの奥に実際にいた神は、暗月と魔術の神グウィンドリンでした。その彼が様々なタブーをもった、グウィン神族における霊的な象徴でもあっただろうことも紹介したと思います。したがって、彼のいるアノールロンドに入るため、単にこのナヌメア島の島民と話すためのもの以上の様々な儀式、試練が行われねばならないはずです。

そしてもう一つ、初代のDLCの”臆病者の紫結晶”には試練の戦いが、過去にはアノールロンドへ至る道だった事が明かされます。この場合、あの過去のウーラシールのさらに前の時代の話をしているわけですが、もしかするとそうした古い時代において、あの不死の闘技で大王グウィンに謁見できたのかもしれません。

現代のアノールロンドへの試練では、守護者に守られた二つの鐘、鉄球や振り子罠、壁から放たれる鉄矢や上空から投げられる火炎爆弾、そして竜の骨からコアを作り出した、鉄の体を持つゴーレムがあります。

対して、古い時代の闘技では、腕に覚えのある不死たちが、おもいおもいの装備や魔術で戦います。

結果、そのどちらにおいてもアノールロンドへの訪問が許されたという事は、この両者に共通する部分に”外界からの脅威”へ対するヒントが得られそうです。こんどはさらに『金枝篇』のページをめくり、その要因を学んでみましょう。

玉座の監視、玉座の守護

さて、話題をまた前後させ、王の魂の扱いについて改めて述べていきます。
ややこしくなって本当にすみませんが、一応『金枝篇』の順番どおり進めているのです。しかたないのです。

前回にも書いた通り、人間の身体の穴から魂が出てしまうという考えは、常に人々の心配の種でした。誰かがくしゃみをした場合、西洋の人がすぐさま”bless you”と声を掛けるというのも、知られる通りです。

そうした心配を考えるにあたって、日々の食事というのも、また問題となるのは当然です。こうした食事の風習、人が何かを食べる=つまり、何かの”魂や力をいただく”ということは、特にそうした魂の出入りが激しいことだとみなされたことでしょう。

したがって、王のような強い力を持つ人は、その食事の場面を人に見られてはいけないですし、その使用した食器も丁重に扱わなければなりません。

こうした食のタブーについて、日本人は特に思い当たると思います。私たち一般の人間でも、自らの箸やお茶碗は他の人に使わせたくないでしょうし、お酒の杯を特定の人と共に飲む、いわゆる”盃事”というものが、特別な行事だと了解しているはずです。実際、そうした王の口に触れた食器が、その後使い捨てにされ丁寧に炎で焼いたり土に埋められる例として、『金枝篇』には日本の「ミカド」の古い記録にもふれられています。

こうした例は先のアノールロンドへの試練に関してあまり関係はないのですが、ここに示されている”タブー”というものの扱いは、非常に重要です。

”タブー”、つまり日本語で”禁忌”と同様な意味を持つ言葉は、ポリネシア語の”tabu”、”強く徴づけられた”という語に起源をもち、現代では世界中で広く一般化されています。

この語の性質を語るにおいて、”禁忌”という表現は実に便利で、林に示すで”禁”という字と、己に心で”忌”という字も同様に、本来は清浄であったり神聖とされたものが、後世のそれを解釈する時代において、遠ざけたいものとみなされる場合にそれを指すものです。

神聖性ゆえに、触れられない。そうしたタブーのもつ両義性、アンビバレントな面の紹介も、『金枝篇』のこのあたりからの重要な説明です。

先の王の食に関するタブーについて、それが王を守るしきたりである事はもちろんですが、そのタブーに触れてしまったがために、おそろしい目にあったという説明も多く書かれています。王の食べ残しを知らずに食べたため、それを知ってショックで死んでしまう男。王の食事の場に誤って入ったために、処刑されてしまった王子。

神聖な王の魂がもし他者に付着して減じたり、逆に汚染されたら大事です。
そうしたタブーには、血やブドウ酒のタブー、女性に関するタブー、鉄器に関するタブー、刃物のタブー、頭に関するタブー、髪や爪に関するタブー等が書かれ、そうした”タブーを犯さないためのタブー”が、この章の先頭に並べられた、奇妙とも思える”王と祭司のタブー”につながっています。

つまりここでようやく、神の化身とされた者たちを縛り、注意深く監視するタブーや掟の数々が、実は彼や彼の周囲にいる人間を守護するためのものだとわかる訳です。タブーに触れ、その聖性や汚れに接触してしまう、あるいは王の聖性を盗んでしまうような事態になると、様々な災厄が訪れます。

偉大な王たちの残した始まりの火に、闇の魂を見出す小人の祖。
この暗い洞窟の奥に、うっすらと人の手のようなものが見えないだろうか……?
適当なところでSHAREボタンを押したために、シーンの切替わりと重なっただけである。
しかし、この『ダークソウル』における重要なシーンは、”バナナ型神話”の一種と言えるかもしれない。

トーテムのタブー

さて、フロイトの話ではないですが、少しここで面白い箇所を引用します。

サモアでは、家の守り神が亀である男は、亀を食べてはならなかった。隣人が亀を切って調理するのを手伝う時には、この男は包帯を巻いて口を隠さねばならなかった。これは胎児の亀が口から体内に入り、中で育って彼を殺してしまわないようにである。

 J.G.フレイザー.『初版 金枝篇 上』.吉川信(訳).筑摩書房.2003 p.229

ツッコミどころは多いと思いますが、こう言った場合まずは落ち着いて、順番に一つ一つ指摘しなければなりません。

  • 第一に、なぜ亀を守り神とする男が、隣人が亀を殺して調理するのを手伝うのか。

  • そして第二に、亀の胎児が口から入るとは???

  • そして第三に、なぜ彼の守り神である亀が彼を殺すのか。

第一の答えとしてまず考えられるのは、その亀が守り神の”亀”とは違うため、どうでもいいと考えられる場合です。しかしこれは、この男が明らかに隣人の殺そうとしている”亀”を特別視しているため違うでしょう。謎です。

第二のものに考えられる答えは、これは亀の胎児というより”亀の魂”だという事です。注意していなければ、口などから出入りするというのは魂の特徴です。

第三のものへの答えは、これが守り神からの罰だという事です。タブーを犯したために、悲惨な目に合うというのは、この箇所に述べられている特徴でした。しかしだとしたら、なぜこの男は隣人が亀を殺そうというのを止めず、むしろ手伝っているのでしょう。亀の魂を吸うことはタブーで、殺すことはタブーではないのでしょうか? 謎です。

三つのツッコミどころのうち、一番意味不明なものだけがあっさり解決しました。いったい、これはどういう記述なのでしょう。

『金枝篇』の世界を学んで感じることは、先の”タブー”と”禁忌”のような両義的な性質を、一緒くたにして飲み込まなければならないという事です。先回の記事の画像のキャプション”月光蝶と魔女ビアトリス”のように、敵対関係や加害者と被害者のような両極の存在の中に、無理矢理にでも共通のものを見出さなければ進まないのです。

この男と亀の関係を考えるとき、亀と男との共通は、この魂が口に入れば危ないというような霊的な関係であり、それ以外はあまりどうでもいいのです。亀という存在と男自身の感情的な部分は、まるで斟酌されません。隣人に頼まれたから、亀の調理を手伝う。体に入った亀は、外に出るために彼を殺す。そこに諍いはないのです。

しかし、亀の魂と彼の体の親和性という問題は、この場合では重要です。口から入った亀の魂は、彼の体内なら大きくなりますが、隣人の体内では育ちません。同様に彼の体内で亀以外の魂は育ちませんから、鳥を殺してさばくとき彼は包帯で口を覆いませんし、必要もありません。

このような同質性に関する不条理にも思える風習は、『金枝篇』に多く見られ、むしろ基本的なものと言っていいでしょう。

巨人墓場のルートを照らす頭蓋ランタンの光。
この頭蓋ランタンの火が、死霊術師の操るスケルトンにつながっているのではと以前に考察したが、その作用を断てる神聖武器の強化もまた、この墓地に眠る”大きな聖職の種火”やこの場所の敵からのドロップ”白楔石の塊”で行う。またスケルトンの蘇生はこのステージのボス”墓王ニト”も行い、同様に神聖武器が有効。これらすべての現象の説明は、この同質性なら説明できる。
油由来の皮脂汚れに対し、油性溶剤のドライクリーニングを行うようなものである。

くしゃみをしたときに言う、”bless you”の”bless”とは、現代では祝福するという意味ですが、その語源は”血”で清めるという事に由来しているそうです。先ほど”血のタブー”として、それに触れてはいけないしきたりがあると紹介しましたが、そうした霊的な穢れを祓うにあたって、同様に血液の霊性を利用し、文字通り”血を血で洗う”行為が、実際にも行われていたのです。

試練の意味するところ

いろいろと話が長くなりましたが、冒頭で述べたアノールロンドへの試練の内容についてようやく答えを出せそうです。

センの古城の試練、古の時代の不死の闘技。この両者に多く共通することは、血、鉄、刃物、火や撃ち交わされる魔術等です。上のタブーの欄に書いたように、これらは霊的な力を持つと恐れられた、タブーの例でもあります。

血は、先ほど述べた通り。鉄やその武具、刃物類は、神前ではよくないものとされ、神社は釘を使わず建てられ、霊的な祭儀では青銅器がよく使われ、鬼を祓うのに棘や刃物を使う例はいくつか思いつくでしょう。火や魔術は、もうソウルや霊的な力そのもの、センの古城で蛇人に浴びせかけられる雷は神の業です。

またセンの古城は立体的なマップであり、その頭上を振り子の刃物が通ったり、鉄球罠や投げられる爆弾の下をくぐる場面は良くあります。神事などで下げた頭に向かって紙垂を振ったり、寺で線香の煙を頭にかけるのを見たことはないでしょうか。煙は火の力ですし、紙垂は雷光を模したものとも言われます。これらは、頭にその人の霊性が宿るとしたためでしょう。

最後に、”女性に関するタブー”に関してですが、一例をあげて言うのなら、こうした穢れを祓う究極の儀式として、女性性の力である生まれ変わりを模した儀式が書かれています。金の女神像を作り、その下をくぐることによって、たまった穢れがなくなったとされたそうです。こうした儀礼的に前の肉体を捨てるというような行為は、ダークソウル世界では主に篝火が行い、この力も火に帰せられていると言っていいでしょう。

しかし或いは、生まれ変わりの母ロザリアに指たちが舌を捧げることは、己の穢れを祓うことなのかもしれません。基本的に指たちは蛆人にならなければ彼女の聖所には留まらず、入り口に佇む薬指のレオナールは後に彼女の魂を奪い逃げ、アノールロンドでこのように言います。

ほう、まさか貴公がやってくるとは、驚きだな
【男】あの爛れきった何かに、欲情でもしていたものか
【女】あの爛れきった何かに、同情でもしていたものか
飽き足らず、魂すらも、穢そうとは

「DARK SOULS TRILOGY -Archive of the Fire-」,株式会社KADOKAWA,2018.p257
今回は書籍を参考に、セリフを引用させていただきます。

おそらく生まれ変わりの儀式のうちに、彼女のほうへ穢れがたまってしまうのでしょう。

ロザリアの寝室。
周囲には揺りかごが並べられ、何者かだった大きな蛆人を子のように抱くロザリアと、おそらく黄色指のヘイゼルとおもわれる蛆人。”生まれ変わりの母”の母性をテーマにしたと考えられるマップだが、赤子のような蛆人の姿には、ある種の無垢さもうかがえる。
彼女の魂を取り返しに侵入したアノールロンドで「飽き足らず、魂すらも、穢そうとは」とレオナールは言うが、逆説的にこの場では”肉体の穢れ”が彼女に移されていたように思われる。

他にも”穢れを払うための試練”と思われる場所はいくつかあります。

深みの聖堂前の清拭の教会はまさにそのための施設で、聖堂への巡礼者は自ら鞭打ちその血で身体を拭いていたそうです。その周囲には抱き着いて炎に包んでくる敵もいますし、出血を強いてくる敵もいます。

狩猟団によって墓を穢すものを狩るという、黒い森の庭の白猫アルヴィナですが、その墓の守り人……守り狼であろうシフを狩ることに、特に何も言いません。彼女の場所に来るまでの間、狩猟団のメンバーと戦っていればある種目的は達成され、文字通りの意味で墓へ穢れを持ち込まなければ、それでよいのでしょう。先ほどの亀と男の例と同じです。

左上の青いブーツのマークが、シフを倒しアルトリウスの契約を手に入れた証。
この白猫アルヴィナはシフやアルトリウスの数少ない友だったと誓約指輪に書かれるが、墓守となったシフにどのような思いだったか話すことはない。
このプレイヤーの世界では侵入はもう行われないが、狩猟団はあくまで墓を穢すものを狩り続ける。

こうした戦いを強いてある場所へ入る試練を行う場は後世にも見られ、”ファランの番人”、”神喰らいの守り手”の誓約は、狩猟団と似ています。

前者では他にファランの城塞で祠を廻る試練や、その火を消したことによって着く門前の灯の間を通るといった行為、おそらく”ファランの番人”に負けた相手は”剣草”というある種の植物によってその血を拭われただろうということが、こうした穢れを払う儀式の例に当てはまります。

後者のいわゆる”サリ裏”は、”法王サリヴァーン戦”後に非常に侵入が行われやすい場所となっている、いわゆる対戦のメッカであり、”アノールロンドへの試練”と言ってさしつかえない場でしょう。

”不死刑場”も、不死の闘技のミームを継ぐダークソウル2のステージですが、そこには清拭の教会のように、血を流すことが一つのモチーフとして描かれています。同作の”祭祀場”では竜の番兵との闘いを回避するか、誰かの霊を呼び奥の古の竜へ向かうと、黒龍騎士たちに阻止されます。この試練をこなしていけば、彼らは竜への謁見をみとめます。

正直なところ、たしかにこうした試練と考えられるものが、通常のゲームプレイとしてなんら特徴的な部分はない、こじつけじみた例であることは否めません。しかし、このようなことが行われる世界観を構築するにおいて、『金枝篇』が参考になっていることは考えられるでしょう。

少なくとも、『ダークソウル』世界において戦いや血を流すことが、聖なる場所へ通る儀式だ、というのは頷けると思います。

さて、最後にこの章をまとめると、

  • 神の化身とされた王やそれを祀る祭司たちには様々なタブーや掟があった

  • それぞれのタブーには、人々が魂を扱う時のような共通のものが見られた

  • 魂は様々な形に考えられ、その形から連想する扱い方で丁重に扱われた

  • そのような霊力が忌避される一方、逆に利用し穢れを祓うこともあった

  • それらを遠ざけるためのタブーや、穢れを祓うための儀式として、王の掟は彼や身近な人間を護るために定められていた

といった感じです。

時代が違ったり、他の文化圏からでは感情的に理解できないような掟、しきたりというものも数々ありますが、そうしたことも一旦そういうものだと受け入れて、改めて事実のみを考えてみることも、考察の手段かと思います。

次回からの章では、初めに提示した

  1. 『金枝篇』『ダークソウル』という作品は、一人の英雄あるいは神が、死して蘇る姿を描いた物語である。

  2. 両作品は、彼ら英雄や神のもつ外在の魂を扱った作品である。

という仮説の前者に、いよいよ決着のつく章となるでしょう。
長くなってしまいましたが、どうか改めてこのシリーズを、よろしくお願いします。

2021/12/15


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