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ダークソウルと金枝 ー序ー

私がこの『金枝篇』を初めて読んだのは、たしか「bloodborne」をちょうどクリアした後だったと思います。当初はこうしたブラッドボーンやダークソウル、いわゆる「ソウルシリーズ」の考察の材料という考えはあまりなく、映画「地獄の黙示録」や、そうした洋画等のストーリーを理解する上での参考という思いで、この本を手に取っただけでした。

しかし実際にこの本を読んでみると、驚くほどに『ダークソウル』の世界観と符合していることに気づきます。”王殺し”の風習と、火継ぎという儀式。大いなる魂を持つゆえに、神や悪魔(デーモン)と呼ばれる者たち。そして、そうした偉大な王たちのもつ様々なタブーや掟について……

あれから五年ほどは経つと思いますが、時折読み直し、またゲームのほうもプレイしてみるたび、新たな発見とともに、そうした考えは強まっていくばかりです。

もちろん、『ダークソウル』の設定は多くの考察者方が挙げてきたように、そもそも『金枝篇』に拠らずとも、多くの神話、伝説にその元をたどることが出来ます。例えばダークソウルの主要な人物である”グウィン”というのがウェールズ語で”白”という意味であるなどは特に有名ですし、そうした元ネタから多くの考察も発展してきたことは事実です。

しかし今回、この初代『ダークソウル』からも十年ほど。つい先日も、新たな賞を取ったこのシリーズに、改めて『金枝篇』との比較を行うことで、新しい観点での考察ができるものと思い、こうした記事を書いてみようと考えました。

また『ダークソウル』をプレイしたことのある人の中で、これから『金枝篇』を読もうとしている、あるいは一度『金枝篇』を挫折してしまったという方には、ある程度の『金枝篇』という本の解説になればとも思います。

さて、これからそうした『金枝篇』と『ダークソウル』についての記事を連載していくつもりですが、その初回となる今回がこのような挨拶だけで終わってしまっては少々寂しいので、以下に私なりの『金枝篇』についての解説を載せておきます。

また、ここに言う『金枝篇』の参考とさせていただいている書は、ちくま学芸文庫(筑摩書房)さまの「初版 金枝篇(上・下)」となっています。他の出版社さまから出版されているものでは、訳もその元としている版も、別のものとなっているようです。皆様のお手元にある資料とは内容が一部異なっていたり、そもそも該当の箇所がない場合があることを、ご了承ください。

『金枝篇』について

さて皆さまは『金枝篇』という本について、どのようなイメージをお持ちでしょうか。

あまり馴染みがない、難しそう、読むとSAN値が削られそう、等々。
今までに触れてきた『金枝篇』についての紹介からであったり、すでにご自身で手に取ってなにかしらの感想をお持ちの方もいるでしょう。

一読してみれば、これはイタリアのネミに伝わる”森の王”という風習に関して書いた本だろうと分かります。森の王、魂の危機、神殺し、金枝。章立てられた問いに対し、それぞれ多くの例題をとって、そうと頷けるだけの説明を行っています。

しかしさらに読み込めば、これが単にそうした一風習について論じただけの本ではないことがわかるでしょう。本のテーマ、先ほどの章における問いが、もっと人間の普遍的な部分に投げかけられたものと気づくはずです。

著者フレイザーが、光を投げかけようとした、人の闇とはなんなのでしょう。そうした答えの定かではない深遠な問いに、どのようにして我々は挑むことが出来るのでしょうか。
『ダークソウル』の単にモチーフとしてだけでなく、こうした『金枝篇』の世界観に触れることは、我々考察者にとって大いなる助けとなるでしょう。

『金枝篇』”序”について

さてこのような論文、学術書を読むにあたって、序文や冒頭の部分というものは非常に重要な箇所であるとされています。主にはその論文を書こうとした動機、大まかな研究の構想、そして場合によっては結論なども先取りして書かれているからです。

『金枝篇』も、もちろんそうした例にもれず、この冒頭の文章に様々な重要な点が示されています。

しばらくの間、わたしは原始の迷信と宗教に関する概説的な著作を準備していた。わたしの興味を引き付けていた問題の中に、これまで説明されることのなかった、アリキアの祭司職をめぐる掟があった。

  J.G.フレイザー.『初版 金枝篇 上』.吉川信(訳).筑摩書房.2003 p.11

それゆえ、先史アーリア人の原始宗教の探究は、農民の迷信的な信仰や慣習から出発するか、あるいは少なくとも、それらを参照することで絶えず確認し抑制してゆかなければならない。

  J.G.フレイザー.『初版 金枝篇 上』.吉川信(訳).筑摩書房.2003 p.12

以上は「初版 金枝篇 上」”序”からの引用です。
このような本の序文の書き出し、またその序文中の文として、さほど違和感のあるものではないでしょう。

しかし先ほども言ったとおり上記の文章はこの本において非常に重要な箇所となっており、少々注意して読んでおかなければ、後のこの本の理解に関わってきてしまいます。

ここに書かれている、作者の意図。
つまり、原始からの人間の宗教の考えを理解するにあたり、一つ説明しずらい例として”アリキアの祭司職の掟”の問題があった。という点と、これらを読者に説明し納得を得るためには、いまだ農民の間に残っている、あるいは言い伝え記録されている、多くの例とつど比較して説明を行っていく必要があるという点です。

なぜならこの本は、提示された様々な命題に対し、帰納的なアプローチでそれらを説明していきます。
一つ一つ、章や節で区切られた問いに、それに関係すると思われる事例を列挙し、”多くの例でこのように扱われているために、この風習の意図は〇〇であろう”というような、仮説を立てて話を進めていくのです。

その帰納的な証明において最も理解しにくい=心理的に離れた例として、”森の王”と呼ばれる問題があり、逆にそれらを証明していくために最も納得しやすい=心理的に近い例として、ヨーロッパにおける”農民の迷信的な信仰や慣習”があるということです。

『金枝篇』全体の構成。意識しておくことで、多少は読みよいと思われます。

こうした事を意識しておかなければ、この本に多く寄せられている世界各地の様々な風習の事例に対し、たびたび差しはさまれるヨーロッパの”収穫祭”や”五月の祭り”など似通った事例の意味が読み取れず、「今自分がどこまでこの本を読んでいるのか」とか「今ははたして何を説明する章なのか」という混乱をまねく場合があるのです。

とにかくここでは、『金枝篇』に書かれる多くの事例は、その都度ヨーロッパの”農民の迷信的な信仰や慣習”の例と並べられ、それが本文中のどのようなことと比較されているのか、という事を意識して読むのが重要だと心にとめておいてください。

『金枝篇』第一章、第一節について

この『金枝篇』の著者J.G.フレイザーがこの冒頭に”ターナーの絵画「金枝」を知らないものがいるだろうか。”(反語)と書いたことについて、そこから実際にこの”ターナーの「金枝」”を思い浮かべ、さらにそれがかのウェルギリウスの叙事詩「アエネーイス」の一場面から着想を得たものだと、知っていたものがいるだろうか。

Wikipediaより画像をお借りし、リサイズしたもの。
絵の左下には一方の手に鎌を、もう一方の手で”金枝”を掲げる巫女が描かれている。

実際、この絵が「アエネーイス」に出てくる”黄金の枝”の場面をテーマと知っている方は限られるでしょうし、この『金枝篇』一章一節の途中にある

伝説の主張するところによれば、この運命の枝は、アエネアスが黄泉の国への危険な旅に乗り出す前に、巫女の命により折り取った、黄金の枝であった。

  J.G.フレイザー.『初版 金枝篇 上』.吉川信(訳).筑摩書房.2003 p.22

の箇所に即座に結び合わせ、著者がこの節に話していた”森の王の風習”とこの”「アエネーイス」の場面を、暗に対比させていることまでは、なかなか考えが至らないでしょう。

先ほど言った通り、この本の証明において最も理解しにくい=心理的に離れた例として、”森の王”と呼ばれる問題があります
その”森の王”とヨーロッパではおなじみの叙事詩「アエネーイス」の一場面を対比させていることこそ、この本の命題として著者が提示したミステリーであり、読者にまず抱いてほしい違和感なのです。

私も含め日本人にはあまりピンとこないかもしれませんが、この「アエネーイス」という叙事詩はローマの詩人ウェルギリウスの著したもので、ヨーロッパではもっとも有名な古典の一つです。一方で先ほどから言っているこの”森の王”という風習は、著者自身”これまで説明されることもなかった”とか”古典古代のギリシア・ローマには比較すべきものがない”などとも言わしめる、奇妙な風習なのです。

もしもこの両者に共通する精神的、思想的な何かを発見できればどうでしょう。もしもこの対極的な両者に関し、相通ずる何かを見つけられたら……

そうしたある種の可能性に対し、さらに上に述べた”世界各地の様々な風習の事例”、そして心理的に近い例としての”ヨーロッパの”農民の迷信的な信仰や慣習””の例。もしも、そうした膨大な例証によって、その可能性に対し十分な蓋然性を与えられたら、それは著者の言う”原始の迷信と宗教に関する概説的な著作”と言えるのではないでしょうか。

まとめ

 少々小難しい話になってしまいましたが、以上が今の私にできる精一杯の『金枝篇』という本に関する解説です。以下にまた、さらに要約してまとめますと

  • 『金枝篇』はあるテーマに沿って、世界各地の迷信等の事例と、ヨーロッパ文化における”農民の迷信的な信仰や慣習”と都度比較することで書かれる。

  • そしてそのテーマとは、”森の王”と呼ばれる奇妙な掟と、「アエネーイス」との間に共通の何かを求めていく道筋である。

ということになります。

 正直今のままでは説明できていない部分が多すぎますし、いろいろと情報が整理されておらず、この記事自体が読みにくく感じるかもしれません。しかし私の考えでは、この先の説明によって幾分か分かりやすくはなるはずですし、ゲーム『ダークソウル』との比較によっても、さらに理解も進むはずです。

 今回の記事に何か感じるものがあれば、幸いです。どうか長い目で見て、これから続けていくこのシリーズ「ダークソウルと金枝」を、よろしくお願いします。

                           2021/12/04

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