【観劇レポ】前川優希という笑顔の妖精についての考察(オタクのヨタ話)

 笑ってない役、初めて観たような気がする。だから、書けなかった何も。ただただ頑張ってるのを褒めてあげたい。温かいお布団とお風呂を用意して、お腹いっぱい食べさせてあげたい、、、そんな気持ちになった『九十九想太の生活』初日、シアター・アルファ東京…。本人は等身大、というけど、あなたにとっては等身大ではなく、とても難しい役だったはず。なぜなら、九十九想太は、すべてを失ってなお、これからもうひとつ失おうとしている男だったから。なぜ彼にこの役だったの?母と二人暮らしだった頃のことを「前向きな理由で二人で住んでた」と表現する、前川優希ですよ?お母さんのこと大好きで、もし恋人ができたら「喜んであげなくちゃ」っていう20代の好青年ですよ??…なぜ母を失って、一緒に住んでた家をも諦めようとする役なんですか?っていう、まぁまぁストーリーだけで泣ける。

 ただでさえ痩せてる長身体形が、さらにその線の細さを強調するスエット姿。本番前にそろえたという髪型は、内向的な性格を表すような形。でも一番目に付くのはその表情。彼の顔には最初から笑顔で出来てるんじゃないかっていうくらい、板についた「笑」がない。無表情というよりは、素表情とでもいおうか。なにも誰にも配慮のない、本物の素の表情。そして口にする言葉も。相手を配慮することもない、飾りのない、、、哀しい言葉の数々。それが大好きな家族に向けられる。…うちの息子おいこむのやめて…!途中からめずらしく後列だった配席に感謝した。これ以上みてられない、くらいにまで追い込まれる母のようなオタクここ。

 ラストは縁側に座って、客席に背を向けたまま、、、退場するんよ、分かるよこれで彼が旅立っていくのが。きっと新しい一歩を踏み出すんだってことが。でもさ、見たいじゃん、、、前川優希の笑顔。でもない。そういう演出なんだって、、、分かるけど、、、あぁ、めずらしくどうしたらいいか分からない。どんな芝居にもどんな作品にも何か良いところを探す系なんだけど、感情移入しすぎて何も考えられなかった。
有って欲しくはないけど、彼はいつも頑張って「笑顔でいる」人なんだろうか。本当は表情を無くしてしまった、でもそれを悟られないように生きてきたんだろうか、と。

 そして今日。役者やってたら、きっとたまにあるトラブル。ハプニングとか、アクシデントとか、、、まぁまぁ心臓が早く動く系。…でも彼はいつも通り笑ってた。少し困ったように、でも間違いなく「板についた」彼の優しくもまっすぐな笑顔。そして兄さん達にもいつも通りの「するどいツッコミ」で観客を笑わせて安心させる、、、本当の笑顔のプロがそこにいた。どうかそれを無理せず、彼本来の性格から自然にやってますように。そうあるべき、という処世術かどうか、見極められなかったのは、演技じゃないってことを信じたいからかな。どうかどうか、今日も美味しい🍺が飲めてますように。明日も遅れて合流する稽古場で、彼の笑顔が輝きますように。困った苦笑いも含めて、貴方を温かい空間が包みますように…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?