映画「かもめ食堂」を見るまでの軌跡。
ずっと気になっていた映画だった。
話題になった時にタイトルを聞いたことはあったが、その映画の存在が意識に上ったのは、10年近く前に遡る。
友人と観光で歩いた、フィンランドのヘルシンキの街。
誰が言い始めたのかは忘れたが、映画の舞台となった「かもめ食堂」を見に行ったのだ。
何も調べずに出向いたので、普段どんな様子だったのかはわからない。
おそらく夕方で、中は暗くて扉も開いていなかった。
ただ、確かに「かもめ食堂」と日本語でショーウィンドウに書かれており、異国の地でひどく違和感を覚えたことは覚えている。
その映画が好きだという友人は、感慨深げな様子だった。
その後、映画を見る理由もきっかけもなく、ここまできてしまった。
本や映画との出会いって、そんな偶然によるものだと思う。
私が以前見ていた映画のジャンルは、コメディやラブコメに偏っていた。
これは、完全に母の影響である。母は「せっかく映画を見るなら、笑えるほど楽しい方がいい」という主義の持ち主であり、そのために家では馬鹿馬鹿しくて本当に笑えるコメディを見ることが多かった。
ありがちなことであるが、私は映画とはそういう楽しいものだと思っており、他の様々なジャンルが存在することを大きくなるまで知らなかった。
もっとも、今でもコメディやラブコメも大好きなので、決して我慢して見ていたわけではなかったが。
「かもめ食堂」は、もちろんコメディではない。
そんなわけで、この映画を見ようという心持ちになったことに対して、自分がだいぶ大人になった気さえするのである。
映画の舞台は、フィンランドのヘルシンキ。
その場所に行ったことがあると、ぐっと身近に感じるものだ。私は昔の記憶を辿るようにして、映像にすぐに引き込まれていった。
何か特別なことが起こるわけでもない。
主人公のサチエの「いらっしゃい」とコーヒーを出す姿が、映像の中で何度も繰り返される。
登場人物は、身近にいそうともいなさそうとも思える、どこか不思議な人たち。時に感じる受け答えの不自然さが、却って自然な世界を醸し出していた。
サチエの自然体で前向きな生き方、登場人物のちょっとした表情、かもめ食堂を取り巻く人々に起こる些細な変化。
ゆっくり流れる日常が時々微笑ましく、じんわり心が温まるような、背中を押してくれるような、そんな映画だった。
心がちょっと疲れた時、落ち着いた気持ちになりたい時。
またこの映画を見たら「ああ、自分はこれでいいんだ」って、なんとなく思える気がする。
Schönen Tag noch! 😄