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ひとり娘のお墓事情

はじめに

突然ですが、みなさんはすでにご自分用のお墓はお持ちですか?
ワタシたち夫婦は40歳前で、主人は次男なのでお墓は持っていない。
ワタシの両親は人生を思いっきり謳歌し、死んだ後のことまで考えなまま他界した。
父に次いで母もお墓を用意しないまま他界したことで、ひとり娘のワタシにお墓問題が降ってきた。
故人の遺志と金銭的な問題、未来の墓守り問題と向き合うことになった、ひとり娘の選択を綴る。

海洋散骨への道

結論から申し上げると、ワタシは両親を海洋散骨をした。
高いお金を出してお墓を買う意味がワタシたちにはないと判断したからだ。
ひとり娘のワタシは既に他家に嫁いでおり、仮に両親のお墓を購入しても入るのは2人だけ。
またワタシ達夫婦の死後、墓守をするのは同じくひとりっ子のワタシの息子だ。
彼に我々夫婦+母方の祖父母の墓守まで託すのは気の毒だ。

故人の遺志と、ワタシ自身に植え付けられた篤い仏様信仰との葛藤の末、海洋散骨を選んだ経緯を綴る。

お墓参りの習慣 


大昔、曾祖母は火事の際ご先祖さまのお位牌を風呂敷に包んで逃げた。
その際全てのお位牌を持ち出せなかったことが悔やまれると、彼女自身が話していたらしい。
その話をしている祖母や母の兄弟たちは、「さすがはおばあちゃんよねぇ」と誇らしそうだったのを覚えている。
母方の祖父母宅の作り付けの仏壇にはお位牌が山のようにあり、その中には煤で黒くなっているものがいくつもあった。
結構迫力がある。

祖父母宅に行く前にはお墓詣りをしてから行くのが習わしで、自宅に着いて最初にすることは、うがい手洗いの後神棚と仏壇に手を合わせることだった。

お墓参りやお墓掃除をする子はとても褒められ、「仏様に守ってもらえるね」と言われることが嬉しかった。
盆暮れ正月、春秋のお彼岸、と祖父母の誕生日など2ヵ月に1回は祖父母宅に集まっており、その度に必ずお墓参りをしていた。

自分の家には仏壇も神棚もなかったが、祖父母宅のこの習慣は子どもながらにとても素敵なことだと誇らしく思っていた。
曾祖母の火事のお位牌武勇伝も。

ワタシ以上にこの習慣にドップリ浸って育った母は、死んだらとにかく墓石の下に入りたいと言っていた。
海洋散骨で良いじゃんと言うワタシに、そんなこと絶対に嫌だと何かにつけて言っていた。
このことが後にワタシの良心の呵責につながる。

父の死

父は母より前に他界している。
その際残ったのは多額の借金のみで、墓石どころか葬儀すらできない状態であった。
母は公共の共同墓地に申込み、父をそこに納骨しようとした。
そこでワタシはふと思い立ち、父のお骨を半分散骨したいと母に伝えた。
今思えば、何故海洋散骨を思いついたのか不思議だ。
テレビで見たのかな?

最初母は難色を示した。
「人間とはそもそも死んだ後には土に還るべきでそれが供養である」と持論を展開した。
「ワタシの夫は転勤族なので頻繁には墓参りに帰ってこられない。
世界中繋がっている海に散骨することで、どこにいても墓参できる。」
と口説き落とすことに成功した。
この時は本気でそう思っていたし、翌年の父の命日にワタシたち家族は近所の海岸に手を合わせに出かけた。
本当に信心深いワタシ。

ただし、半分だけ。
半分は母の希望通り公共の共同墓地に納骨し、半分を近所の海へ散骨することにした。
ワタシたちの都合で1人の人間を2つに分けることに当初はかなり抵抗があった。
しかし母にこれ以上色々言って、ヘソを曲げられたら面倒なので条件をのんだ。

母の死

その後、母は自分のお墓の準備をしないまま他界した。

生前ワタシが「お墓どうするの?」と聞けば
「なんでそんな悲しいこと言うの!?」と怒り出すので、話合いにならなかった。
準備はしていないが、希望だけは相変わらず「土の下に埋めてほしい」だった。

心の整理が少し出来た今なら、迷わず残されたワタシの都合で判断して良いと思える。

しかし、アダルトチルドレンのカウンセリングに通い始めた矢先のタイミングでの母の他界。

彼女への思いや、過去の出来事と向き合い始めたばかりで、悲しいやらホっとしたやら、目まぐるしく感情が揺れ動いていた。
そこに加えて幼い頃からの仏様信仰の篤さが、ワタシを責めた。
故人の遺志を蔑ろにしてよいのか!?
生前酷い親だったとしても親は親、子どもとして罰当たりではないか!?

1年手許供養をして、その後樹木葬をしよう。
その時、父も一緒にしてあげよう。
いつしかそんなつもりになっていた。
今考えると恐ろしいが、かなりその考えに傾いていた。

一周忌が近づいたある日、夫が
「アナタが後々後悔しない選択をしよう。
そうしないとまた自分を追い詰めちゃうでしょ。
必要ならお墓を買おう」
と言ってくれた。
この優しい言葉はとても嬉しかったし、ワタシの中で小さな決意を生んだ。

彼にこれ以上ワタシの両親のことでお金を使わせない。
ワタシが娘としての最後の責任で、最小限の葬いをする。

この人をこれ以上ワタシの実家のことに巻き込みたくないと強く思ったのだ。

さいごに

ワタシには今、彼という夫がいて、その彼とワタシの息子がいる。
ワタシにとって1番大切なのはこの2人で、有限なお金は彼らとの未来のために使いたい。

これがワタシの出した結論だった。
人の都合ではなく、自分にとっての優先順位を決めることができた。
大きな大きな一歩。
今まで気にしていた世間や、世間への迎合をやめることができた、記念でもある。

自分の本当の望みを叶えるためには、故人の遺志や植え付けられた信仰心、世間体とさようならするしかない。
一定層から批判もされるだろうが、それも覚悟しなくてはいけない。

ワタシは焦らず、後悔しないと言い切れるまで手許供養を続けた。
批判されても大丈夫だと思えるまで待った。
自分の心を大切にした。
そして、自分の中でもう大丈夫と思えたタイミングが訪れ、ようやく海洋散骨に申込みをした。

それだけではなく、ワタシが不承不承で納骨した公共の共同墓地に納骨されている父の残り半分も一緒に散骨する。
ワタシからのせめてもの親孝行だ。

父も一緒に散骨すると閃いた時涙が出た。
心の片隅でずーっと気になっていたのだ。
またひとつ自分の中の気持ちが片付いた。

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