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太陽と月が開いた運命。

2011年4月23日。

これもまた私にとって特別なライブである。

東日本大震災支援チャリティーライブ@太陽と月

3月11日
東日本大震災が起きて
東北は大きな被害を受けた。
東北。
私にとって縁もゆかりもない遠い場所だったはずなのに
津軽三味線に惹かれて、実際に演奏するようになってからは
あこがれの芸能のふるさととして特別な思いを抱く地になっていた。
その東北が大きな被害を受けたことは、もちろんショックだった。
ショックだったけれど、でも私には、
具体的に安否を心配するような誰かがいたわけではなかった。
そう、私はずっと東北に一方通行の”片想い”をし続けてきただけだった。

震災後、世の中は歌舞音曲の自粛ムードに覆われた。
さまざまなイベントが中止になる一方で
チャリティーライブがあちこちで開かれるようになった。
多くのミュージシャンが東北の唄をうたっていた。
東北にルーツがある人、東北を訪れたときの思い出を語る人、
みんなそれぞれのエピソードとともに歌っていた。
でも、私には語るべきことが何ひとつなかった。
私はずっと東北の唄をうたってきた。
自分なりにリスペクトも込めてきたつもりだ。
けれど、私はどこまでもよそ者にすぎない。
世間の自粛ムードとは違った意味で
私は演奏することに躊躇いを感じていた。

そんな時。
友人のミュージシャンがチャリティーライブを企画して
出演者募集の声かけをしていた。
知り合いの企画なら出られるんじゃないかと思った。
むしろ、出なくちゃいけないんじゃないかと思った。
私たちが東北の芸能をやっていることを彼は知っていて、
他にそんな出演者がいないこともわかっていて。

そして当日。
サプライズが待っていた。

ライブの最後に出演者全員で
SING LIKE TALKINGの「Spirit of Love」を演奏することになっていた。
SING LIKE TALKINGのメンバーは青森の出身である。
主催者が、津軽三味線&津軽手踊りの2人が出演すると伝えてくれて
佐藤竹善さんが私たちへのメッセージをくれた。
短いメッセージだったけれど、ものすごくうれしかった。
ずっと、東北に縁のない自分が今、東北の唄をうたうことに
迷ってきたけれど、なんだか救われた思いだった。

そのメッセージに背中を押された気持ちで、
以後、積極的に東北民謡をライブで演奏するようになった。
片想いでも、その想いに嘘はないと言い切れると思えたから。
それまでのレパートリーに、新しくアレンジしたものも加えて
東北民謡を中心としたセットリストでライブを重ねた。
震災から時間が経って
ニュースで取り上げられることが減ってきても
だからこそ、東北に思いをはせる一つのきっかけになれれば、と
演奏を続けてきた。

それが数年後、岩手での演奏の実現につながった。
岩手での出会い、経験もまた、かけがえのないものだけれど、
その始まりが2011年4月23日の「太陽と月」。

残念ながら、「太陽と月」は、コロナ下の2020年3月に閉店。
でも決して忘れられない場所だ。

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