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逆ナンしたら居場所ができた話

天狼院ライティング・ゼミの課題15回目、ついうっかり2回連続ボツっちゃいました。

今回は、私の居場所の話です。

心理的安全性が確保されてて、かつ自由がある場が居場所になり得ると思うんですが、なんとなくいい話になってます。
ちょっと文章が散らかってますが、最後まで読んでもらえると嬉しいです。


ボツになった居場所の話

<タイトル>
逆ナンしたら居場所ができた話

「何これ、オジサンばっかり!」
入社式の会場を見て驚いた。 
12年前、27歳で今の会社に転職した時のことだ。

前職はゲームの開発の仕事だったため、平均年齢は30代、若い人が多く、Tシャツにジーパンのようなラフな格好をしていた。
ラフな格好すぎて、たまには普通の会社員みたいにスーツ着てみたい、と、「スーツデー」を勝手に企画したりするくらいだった。
一方、転職先の今の会社は不動産業。大企業のグループ会社で、平均年齢は50代、女性もほとんどおらず、男性はスーツで女性は制服というお堅い会社であった。

前職では4年間働いた。
仕事にやりがいはあったものの、ゲーム好きでもなかったので、やりたいことはなんだろうと考え直し、業績の悪化により希望退職者を募集したタイミングで転職を決意。
それもあって、転職先には安定を求めた。

入社式の会場には本当にスーツにネクタイを締めたオジサンばかりで、同年代はいない。女性も私だけだった。
安定を求めるってこういうことなのかな。
スタンプラリーのように大量の”偉い人”に稟議書を持ち回ってハンコを押してもらったり、決められた出社時間から一秒でも遅れたら遅刻になったり、みんな人事情報が大好物だったり。
入社後も、前職とのギャップに驚かされることは多かったが、本社で商業施設の開発担当として、新しい仕事にやりがいも感じていた。

入社から4年ほど経った頃、人事権を握る”偉い人”から個室に呼ばれた。
「来月から現場の営業所に行ってもらうことになったから」

その頃の私は上司と反りが合わず、うまくやれていなかった。
明らかに左遷だと思った。
その営業所は規模も小さく、所長もなかなかのくせ者なのだ。

屈辱的な異動であったが、サラリーマンが人事異動に逆らえるはずもなく、渋々営業所へ異動した。

渋々働いていると、本当に何も面白くなかった。
やる気のない状態で1年ほどダラダラと働いていたが、さすがに退屈になり、社外に刺激を求め、仕事終わりに友人と飲みに行ったりイベントに参加して、行動範囲を広げていった。

そんな中、Mさんから、担当していたホテルの開発が完成したからオープニングイベントに来ないかという誘いを受けた。
Mさんは親会社の社員で、以前会議で会ったことがある程度。
面白そうなことに飢えていた私は、イベントにはいけないが話を聞きたいから飲みに行きましょうと、ノリよく逆ナンする形になった。

話を聞いてみると、すぐに惹き込まれた。
ホテルの開発をただやるだけだと面白くないので、街に合うようにアーティストに壁に絵を描いてもらったり、こだわりの植物をあしらった部屋を作ったり。
自分のやりたいことを会社で実現したということだった。

自分一人で今までやってきたから仲間が欲しいと言うので、私でよければと仲間になった。
そこから、月に一度、10人ほどで集まり、自分のやってることややりたいこと、悩んでることを話し合った。
大企業によくある閉塞感で、モヤモヤしている若手が、今の状況を変えたいと集まった。

仕事が最高に面白くなかった私が、久しぶりにワクワクすることになったのは、ここからだった。

自分のやりたいことはなんでも会社でできるわけではない。
だから、自分のやりたいこと、会社の求めていること、社会の求めていることの交わる部分を見つけようとみんなでワークショップをしてみた。
そもそもやりたいことってなんだろう?と、みんなで自分の原体験から想いや気づきを掘り起こしてみた。

そうなると、マイナス面しか見えていなかった、**自分の職場の見え方が変わってきた。 **
本社では自分の裁量で決められることがほとんどなかったが、現場の営業所では所長さえOKしてくれれば自分の企画が通るのだ。
本社にいた頃はくせ者だと思っていた所長も、自分の部下は大切に思ってくれる人だった。(だから部下を守るために本社の人に食ってかかっていたのだ)

やる気を取り戻した私は、「街になくてはならない商業施設になるために、街のことを勉強しながら紹介する情報誌を作りたい」という企画を提案し、無事承認をもらえた。

月に一度のミーティングを重ねた仲間とは、いい関係が築けていった。
ミーティングの後には、朝まで飲みながら話し合った。
面白そうなイベントがあれば一緒に行き、面白い人と出会えばみんなで紹介し合い、自分が得た知識があればお互い共有し合った。

旅行が好きな仲間が、観光ではなく人に会いに行く旅を企画したいと言えば一緒に旅行し、日常に音楽で彩りを加えたいという仲間が、駅にストリートピアノを置きたいと言えば一緒に見に行った。 


この仲間との関係は、いつしか私の居場所になっていった。
安心安全が確保された状態で自分をさらけ出せる。
やる気があるときはもちろんみんなが全力で応援してくれるが、逆にやる気のないときは放っておいてくれる。
心地いい距離感を保って、知らんぷりしてくれる。
もちろんやる気が出てくればまたあたたかく迎えてくれる。
強制がなく何もしない自由もあるのだ。

こんな居場所があると、安心してチャレンジができる。
いつでも戻れる場所、確固たるベースが自分の中にあれば、**何があってもだいたい大丈夫と思えるのだ。 **

現在育休中の私だが、新たなチャレンジとして、
“子どもを持ちながら働く”が当たり前になる社会の実現を理念とし、育休期間に復職後に役立つスキルを学ぶ勉強会の事務局をすることになった。
この事務局へのチャレンジも、居場所があったからこそだ。
育児中、**何があるかわからないが、まぁなんとかなるでしょと思える。 **

今の会社に入って12年。
オジサンばっかりだった会社も、新卒を採用するようになって若返った。
親会社のOBや出向者が半数以上だった過去も今は昔、プロパー社員の方が多くなった。
圧倒的に昔より働きやすくなり、閉塞感も減ったが、自分で動くことが大切だ。

左遷だと思っていた8年前の人事異動も、意識が外へ向いたからこそMさんを逆ナンし、結果として居場所ができることに繋がった。
居場所があると人は強い。
閉塞感を打破するプラスの歯車を回すためには、まずは自分の居場所を確保しよう。


講評

・一文一文は読みやすい文章だった

・様々要素があったせいか、盛り上がりが出来てきても別の話題に移る、と言った流れの繰り返しになっていて、全体を通しての盛り上がりに欠けるところがあった

 →この記事におけるクライマックスを設定し、その上で、全体を通しての感動曲線をより意識すると、読みやすくなる


反省点

要素を詰め込みすぎて散らかっちゃいました。

入社式では、オジサンしかいなくて本当にビビりましたけどね。
やばいとこ来ちゃった?みたいな。

気持ちを高ぶらせて、脳をフル回転させて、集中して書くんだ!と習ったけど、出来てなかったな。

もうちょっとうまく書けたんじゃないかな〜と思うので、いつか同じテーマで書いてみたいと思います。

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