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想像力で旅をした誕生日

先週発見したこと。

それは、

場所を移動することが必ずしも旅ではない

ということだった。


3月初旬の自身の誕生日には、長野の小布施にある北斎館にいれたらなと考えていた。高速バスや安宿の手配を済ませ、ようやく行けるその日を心待ちにしていた。というのは、去年行きたい場所の候補に挙げていたのだが、なかなかタイミングがなくて行きそびれたままだったからだ。

しかし、仕事上迷惑をかけることも出来ないので、ここまで(コロ助の)騒ぎになる前に早々とキャンセルを決断した。お宿にも迷惑がかかる。次に考えたのは、甲府などへの日帰り旅行なんかもいいなという妄想だったが、やっぱり止めておこうと首を降り、コロ助の収拾がつく気配は微塵もないままに、誕生日の前日の夜を迎えた。

その時はもうキッパリと割り切って、大好きな今の居場所である静岡を旅しようと決めていたのだが、いろいろなことを考えながら天井を見上げていると不思議なことが起こりはじめた。

目の前の天井が当初の予定だった長野のゲストハウスでもあり得たのか、ということを考え出すと、だんだん今自分がその場所と時間に居るように思えてきたのだ。「あ、全然ありえることだ」と嬉しくなると、どちらでもよかったという気持ちに変わっていった。それから今度は、最近訪れる頻度の多い沖縄の宿の天井を思い浮かべた。

旅先に着いたその日、初日の宿の天井を見上げる感覚。

私のひとり旅の最初の夜は、旅先に着いただけで幸せな気持ちで満たされている。その日はただその見知らぬ土地にいかに馴染もうか考えるだけだ。あまり特別なこともしないし、次の日に疲れを残さないようにしている。…そのときに見上げる天井だ。肩の力がグーっと抜けてどんなベッドの硬さにでも体が沈み込むような悦びが循環して、今度は毛穴から悦びが溢れ出る。

沖縄への旅の後は、初めての地の「初日の天井」だけを切り取った記憶がどんどん溢れてきた。森の香りに包まれた宮崎の鄙びた温泉旅館。初海外でのマンチェスターでの異国の家の自分のベッド。メルボルンでのバックパッカーホステルの二段ベッドの裏側。タイの友人の家の天井。キャンプの夜。。。移動したからこそたどり着いたその地、その夜の時間に、移動することなくたどり着けたのだ。

このとき、これまでの旅の経験が本当にありがたく感じたと同時に心から満たされる想いに包まれた。自由であること、行かせてくれる家族や友人、大切な人たち、旅先で声をかけてくれる人たちの優しさ。まさかこういう形で、自身のこれまでの旅の経験時間が生き返るとは思いもよらない夜になり、私は、そのまま幸せな気分で静かに誕生日を迎えた。

翌日は地元を少し旅することにした。起きた時から旅に対してフラットな自分だったので、いつもの場所も新鮮でしかない。「静岡はもう葉桜である」という事実に北陸出身の私は毎年驚かされるが、今年もそうだった。予定していた旅予算は楽しみの先延ばし分と、今静岡を楽しむ分にし、後者を持って鰻屋さんへ向かった。家族やお客さんと来たことはあるが、気づけば3年ぶりだった。少し痩せたご夫婦が今も頑張って営まれており、一人カウンターに座らせてもらい目の前で始まった淡々とした時間。活きのいい鰻を捌くところから、串さし、炙り、タレつけ、蒸しまでじっくり見せてもらった。静岡にいる喜びが沸々と湧いてきた。

その翌日には、抹茶スタンドへ向かった。優しく分かりやすく説明してくれるスタッフさん。好みや気分も聞いてくれ、「苦めでお作りしてみますね」と私専用のドリンクにしてくれる心遣いと余裕。出来上がったそれはもちろん美味しくて、私はお姉さんに向けて親指を上げた👍初めてではないお店でも一つひとつの瞬間が新鮮になる。ローカルおじさんが別のお客さんにあれこれ話しかけている。そんな会話を小耳で聴きながらも、私は静かな1人の旅時間に浸った。

まだまだディープで秘密にしたいくらい美味しい静岡はあるけれど、今日はここを旅する、と敢えて選択肢を限るのも私の好きな旅のスタイル。あれこれ欲張るのは好きではない。日常でも同じ。

一つを選択するということは、もう一つを選ばないということ

私にとって旅は日常なので、この言葉とは反対のあれもこれもの忙しない時間は旅にはならない。


また、普段の生活においても旅する喜びの瞬間を見出していた。旅用の手ぬぐいを使い、小さめの化粧水ボトルを使った。それだけでも自分の家が、旅中の限られた日の宿になった。お出かけ前のドアを開けるときや、地元のスーパーや八百屋で野菜を見たり、お惣菜コーナーを覗くとき。どこにでも「旅」はあった。それは好奇心であり、発見であり、先を読まない気持ち、計画を立てない余裕。そして一番大事なのは、「その地にいる私」に身を浸す悦び。

不便を楽しむというのもその一つである。荷物も場所も制限された上に、予想外のことも柔軟に対応したり穏やかに受け流さないといけないことがある。誕生日の翌々日に、野菜やお肉を切り、ソースを作り、いざ炒めようと思ったら、ガスコンロが故障してしまっていた。なにをしても火がつかない。そのときは電子レンジ料理を検索し、事なきを得て、次の日ガス会社に電話した。午後からいけますと言われたが、私は3日後に来てくださいと本能的に答えてしまった。ないならないでなんとかやっていくしかない、という気持ちも悪くないと思えたからだった。不便を工夫して楽しむことが、一つの悦びなのかもしれない。

キャンプするときの不便さも大好きだが、マンチェスターでの凍えそうな冬の間中、ずっとホームステイ先のシャワーのお湯が出ないことがあった。しかし、当時20歳の自分(毎朝シャワーを浴びることにこだわっていたにも関わらず)でもなんとかやってこれたのだ。今うちにはキャンプ用のコンロもある。レンジも湯沸かしポットも水もある。いざとなればそれで料理をしてもいいし、電子レンジ料理をいろいろ楽める絶好の機会。

いくら厳密な予定を組んでいたとしても、予期しなかった事態に遭遇して変更を余儀なくされそうになる。まるで砂の城を洗う波のように、偶然が幾重にも押し寄せ予定を崩していこうとする。そのとき、大事なのは、あくまでも予定を守り抜くことと、変更の中に活路を見出すことのどちらがいいか、とっさに判断できる能力を身につけていることだ。それは、言葉を換えれば、偶然に対して柔らかく対応できる力を身につけているかどうかということでもある。

「旅する力 深夜特急ノート」沢木耕太郎(著) P339より引用


私の場合のきっかけは「見上げた天井」だったが、カレーの匂い、電車の吊り革、バスの車窓、パンにバターを塗るとき、どんな日常の瞬間からでも、旅した経験の中に同じ瞬間の記憶を取り出し、旅をすることができるのだ。頭の中だけではなく、身を浸すことによって、それが空想やただの現実離れから一歩抜け出したその一日の中の一つの経験時間になるということを知ることが出来た。

今不便を強いられ、移動が難しい今日に、この技を使って旅欲を満たすことに役立てるといいなと思った。あと実際に地元の観光地やホテル、レストランを旅して観光業の危機を救ってほしいな、と思う。

静水庭🌿


余談

今回のこのコロ助も一つ不便を強いられていると言ってもいい。いろんな立場があり、無意識に菌を運んでしまい苦しんでいる人、現実の中での安全な生活が脅かされている人、情報に左右されしんどい人もたくさんいるかと思うが、私はさらに自分を制限して生活を楽しんでみたいと考えている。足掻かない。抗わない。今はこういうときだ、と割り切って今まで出来なかったことを淡々とやるのだ。身の回りの人の安否に気を配り、余剰物はシェアしながらも、気持ちの面においては、しなやかにいるしかないのだと思う。

今この感染騒ぎが確証をもって収まるまでは、私は大切な人には絶対に会わないと決めている。市内も出ないつもりだ。だから旅に出たくなったら静岡の街を楽しむ。

これだけの情報社会なのだから、日本が働き方、安全について今コロ助によって試されているのではないか。テレワーク勤務になった都内に住む友人たちはみな幸せそうで、時間の余裕、日常と仕事の割合の余裕などが持ててありがたいと言っている。同時に、あの通勤電車の時間は一体なんなのかと疑問が湧いてきてしまい、もう戻れないかもしれないとも聞いた。ランチタイムを過ぎた時間に街を歩くとお店の前でキャッチボールをしている親子を見かけた。

制限されるからこそ、新しく開くドアがある。それを今の時点で禍い転じて福と為す、とは言えない状況だが、収束がついたとき「やれば出来た」と思える小さな経験や達成感が一人ひとつくらい貰えたらいいなと心のどこかで願っている。

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