ステキなギフト
この家に住んで一年が過ぎた。
そんな節目の日に、とてもステキなギフトが届けられた。
キラキラに輝く虹が、家に現れた。
思えばお正月、何気なくカーテンを開け、見上げた空に、悠然と舞う一羽の大きな鳥の姿があった。
大空を舞うその姿に、目が釘付けになった。
ここでは大きな鳥は、カラス以外見かけない。だから、最初はカラスだと思った。でも、よくよく見ればカラスと違う、羽ばたきをしていない。鷹揚なその姿に目を疑った。
とんびだろうか、鷹だろうか。
まさか。
そう思い眺めていたら、近くに飛来し、二度三度と旋回した後、優雅に彼方へ消えていった。
翌日、あれは幻かと思いつつ外を眺めたら、二羽で仲良く、大空を気持ち良さげに舞う姿が目に入ってきた。
「今日は、大切な人と一緒にきてくれたんだね、ありがとう」
そんな素敵な年明けだった。
引っ越したくなくて泣いた日も、今では懐かしい。
大嫌いだったこの町。
自転車天国の商店街。普通に歩いていたら、前から来た自転車のおばちゃんに「危ないわね」と言われた日もあった。道の主役は、あくまでも自転車。脇役の徒歩が、道を譲らなければいけない町。
状況が許さず、ここに住むと腹を決めてからは、ひたすら商店街で買い物をした。この町を好きになるために、そして、この町に受け入れてもらうために。全てのお店を制覇するつもりだったが、それについては道半ばで断念。
更に、レジ袋有料は、スーパーがあれば事足りるという事を気づかせてしまった。そのお店でないとダメというものは、私にはなかった。逆に、商店街での買い物は不便この上なくなり、自然と足が遠のいてしまった。
この家で、色んな思いを乗り越えてきた。
不安、ストレス。
先が見えない真っ暗な中を、必死で歩いた。走る力はなく、歩きが精一杯。時には、歩くことさえままならず、這って進んだ日もある。違う明日が、喜びが訪れると信じていた。それでも明かりは見えず、希望と絶望の繰り返しに、何度も気持ちが折れそうになった。
その間、ずっと自分と向き合ってきた。
そして、気が付いた。
私は、幸せだと。
自分のことを大切にしていなかった、その時代こそが不幸だったのだと。
甘える事が許されなかった子供時代。自分にも他人にも厳しかった私が、今、自分を甘やかすことを覚えた。まだ、多少の罪悪感を伴うが、少しずつ、甘えることに慣れていこう。
今日も、ありがとうと声をかけ、家の声を聞きながら丁寧に掃除をする。そして、近所の神社にお参りをしよう。無事、一年を過ごせた感謝を伝えに。
もう、誰かの言うパワースポットに振り回される私はいない。
ここが、私にとって一番の場所だと分かっているから。
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