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慈悲喜捨の訓練

これは実際にはどうなのかまだよくわかっていないことなのですが😆今思ってることを書いちゃいます。
私が実際に日常生活でやってきたことは、この慈悲喜捨の訓練のような気がするのです。

たぶん、仏法と出遭って、初めの方に読んだ本に書いてあったことだからかもしれません。
慈悲喜捨の説明をすると

慈 友情のような心、人と仲良くする心
悲 困ってる人を心配する心
喜 人の幸せを喜ぶ心
捨 平等で落ち着いた心、見守る心

私はこのように理解しています。他にも表現はありそうですが、今日のところはこれくらいで。興味のある方は調べていただくといいと思います。
オススメ→
https://note.com/kmbk_sonshi/n/nb4045094614f

以前の私がしていた仕事には、この4つの心が必要だったことと、人間関係で困っていたので、この4つの心の訓練をせざるを得ない状況だったんですね😂

この4つの心は、四無量心というそうです。

その本に書かれていたことは、今ではどの本だったかわからず、確かめることが難しいのですが、このように書かれていた気がします。スマナサーラ長老の本だったと思います。

自分の性格を当てはめてみて、どれか一つの心を選んで実践し無量に広げていけば、結局は全ての心が捨の心になり、解脱に導かれる。というようなことだったような笑
いい加減なこと言うな〜って怒られそうですけど、たぶんそういうようなことを書かれていたと思うのです。ニュアンスが違うかもしれませんが、そこはご容赦頂けると嬉しいです。

今、もうずいぶん時間が経ってしまいましたが、昨年からやっとまじめに修行をし出して、上記のことを思い出して、自分の修行を照らし合わせてみると、ああそうだなって納得できてきたんですね。

それは、仲良くしたくない生命はいない、困っていない生命はいない、幸せになりたくない生命はいない、穏やかになりたくない生命はいない、ということが理解できてきたからだと思うのです。
これはどういうことかというと、たぶん行き着くところは、全ての生命は死に怯えている存在で、平等だということなのです。これって、智慧であり慈悲なのですね。

私はけっこう悲の性格なので、困っていたり悩んでいたりする人に目がいってしまうのです。そうすると、初めは困っている人、困っていない人、という区別をしているのですが、そのうちに、じゃあ困っていない生命ってどこにいるんだろう?となってくるんですね。どんな生命も死に怯えながら必死に生きているんですね。そこで、なんの悩みもない憂いのない怯えのない生命というものは存在しないんだ、と捨の心になっていくのを納得していったというか。そんな感じなんです。

そこで、実生活における訓練としては、

日々の生活で、臨機応変にこの心をその時その時に合わせて、訓練していきます。
仲良くしてみる、手助けしてみる、幸せを喜んでみる、生命を平等に扱ってみる。
これはけっこう面白いです。自分がわがままだとできないんですよ。やってみるとすぐにわかると思います😂
でもできなくても落ち込まなくていいのです。みんなそうなんです。わがままなんです。やってみてわかるんです、自分がわがままなんだと。それが1番大切なことなのです。
そこでもう一個大切なことは、そんな

わがままな自分をしっかり観ていること

です。気づいていることが大切です。

思ったことをつらつらと書いてみました😊🙏

生きとし生けるものが幸せでありますように

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