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わたしがアートを愛する理由。

すごく心に響くエキシビションを鑑賞してきた。


木梨憲武氏の展覧だ。

数年前にも地元で大人気を博したエキシビション。
今回も素晴らしかった。


彼の感性をわたしが語るには大変おこがましいが、それは比類なき瑞々しさ。

少年が無心になって遊ぶようなことを、
この人は今でも全力で楽しんでいる。
その表現には全く枠が無く、力一杯遊んではころんと眠る子供のごとく。


段ポールを切り貼りしては妖精。
伸び伸びと油性ペンでキャンバス。
木を手型に切り抜く。何個も何個も。
すべては無垢と、純度100パーセントの愉しみ、悦び。

鑑賞が進むにつれて口角は自然と上がり、かと思えばじわりと涙腺を揺らす。
純度が醸し出すエネルギー。


わたしがアートを愛するその理由は、アートには枠と制限と常識がないからだ。


これほどまでに全てを取っ払い、自己を表現できる方法が他にあるだろうか。
絵に限らずダンスにしろ音楽にしろ、そこにあるのは本能、瑞々しき自由。


何をやってもいい、何を表現してもいい。決まった型をどう破ろうが、知ったことか。アンリミテッド、ノールール。

大多数の常識の世界に生き、制限をかけられていればいるほどに人は自由を求めるが、実は心の奥底では、その不自由さを望んでいたりする。


なぜなら枠やルールの中でそれらに従って生きることの方が、数倍も簡単だからだ。


何でも自由にお好きなように、と言われれば、かえって戸惑ってしまう。
どう好きにしていいか分からない。
そもそも、わたしは何が好きなんだ?と混乱さえするだろう。


これが自由と制限のパラドックス。


わたしがアートを好むのは、わたしが欲するもの、憧れがそこにあるからなのだろう。


それを、鑑賞しながらじわり気づかされた。
ああ、わたしにとっての麗しき発見。タイミングに感謝を。


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