首遊び『幕末明治百物語』
(原題「第三席」朗読目安時間 6:20)
これは嘉永年間にあったというお話。
上州赤城山の麓の村に、ある百姓の家がありました。
かつてはかなり栄えた家でしたが、そのころには家運も傾いておりました。
大きな屋敷も、ところどころ雨漏がするという有様でした。
この家に、お由(よし)という一人娘がいました。
このあたりの土地には似つかわしくない美しい娘でした。
加えて、縫い針仕事も読み書きも並ではなく、村中の評判でした。
老いた両親は、この可愛い娘をゆくゆくは前橋か高崎へ嫁にやろうか
と言い合っておりました。
しかし、お由が十七のとき、母親がふとした病で死にました。
父親は男手ひとつでお由を育てました。
しかし、娘が男に恋する女になっていたことには気づきませんでした。
お由の相手は二つ川の喜太郎という、ならず者でした。
二人は人目を避けて忍び会いました。
やがて、夫婦になる約束を交わしました。
喜太郎は、国定忠治の身内の者でした。
忠次は関所破りの罪に追われ、大勢の子分をつれてこの近くの赤城山に篭っていたのです。
その中に喜太郎もいました。
やがて、関八州の役人たちがやって来ました。
彼らは山をすっかり取り囲みました。
忠次はじめならず者たちは、ある夜、闇に紛れて山を下ろうとしました。
しかし相手は多勢に無勢。
獣のように狩り立てられ、辺りはまるで戦のような有様となりました。
村も風が吹き荒れるように騒がしくなりました。
しかしまもなく、嵐のあとのように静かになりました。
忠次と喜太郎たちがどうなったのか、村の誰も知りません。
二日、三日と経ちました。
喜太郎を慕うお由は、居ても立ってもいられません。
日を追うごとに狂ったようになりました。
ある日とつぜん、
「喜太郎さん、喜太郎さん」と叫ぶと、外へ駆け出しました。
父親はあわてて娘を取り押さえました。
そして娘を二階へ上げると、梯子を外してしまいました。
それから何日か経って、一人の男が訊ねてきました。
男は、両手になにか包みのような物を抱えていました。
その男は父親に何事か囁くと、包みを渡して去ってゆきました。
それから数日後の事です。
夕暮れ時、二人の旅人がこの辺りを通りました。
田舎周りばかりしている、立川善馬という噺家と、その門人でした。
今夜はこの村に宿を取ろうと、一軒の大きな屋敷の戸を叩きました。
お由とその父の家でした。
戸を開けた父親は二人に、
「このようなあばら屋で良ければ、くつろいでゆかれるが良い。
だが、奥の二階へは行かぬように」
と、釘を刺しました。
しかし行くなと言われれば行きたくなるもの。
二人は、父親が外へ出た隙にこっそりと二階へ上がりました。
薄暗い部屋の隅から、小さな声が聞こえてきます。
女が、シクシクと泣いているようです。
さては人さらいの家であったのか、と二人は早合点(はやがてん)しました。
善馬は、
「もし、そこにいるのはどなたであるか」
と声をかけて近寄ろうとしました。
すると女が悲鳴を上げて、何かを投げつけました。
それは善馬の胸に当たり、コロコロと転がって弟子の足元で止まりました。
男の生首でした。
二人は泡を食って逃げ出しました。
生首は、国定忠次を守って戦いの中で死んだ喜太郎でした。
喜太郎の仲間たちは首を切り落とし、せめて夫婦の約束をしたお由に
念仏をたむけて欲しい、と父親に預けたのでした。
お由は、涙をこぼして首を抱きました。
それからは、日々首を眺めては泣き、あるいは笑い、ときには首に話しかけていました。
父がそばへ行くと、首を取られでもするかと騒ぎ立てました。
二人の旅人が逃げた翌日、父親は首をこっそりと埋めました。
やがて、父と娘の姿は村から消えました。
どこへ行ったのか、誰も知りませんでした。
(了)
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