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耳切れ団都

(原題「小宰相の局、幽霊のこと」)
『宿直草』延宝五年(1677)


これは
我が家に出入りしている座頭が
語ってくれたものである
この座頭は目が見えぬが琵琶の
弾き語りを生業としているのである

(座頭の語り)

私の師匠は
摂州尼ヶ崎の人で
星山勾当といいます
私はこの方から
平曲つまり平家物語を伝授されました

平曲の中でも
要とされる第九巻に
『小宰相の局』という件りがあります
小宰相の局とは
一ノ谷の戦の後湊川で討死された
平通盛殿の側室であった方です

師匠が言うには
この件りを語って
耳を失った人がいるそうです
それは こんな話だそうです

師匠と同じく座頭で
親しい仲の人に
団都(だんいち)という人がいました
この人は貧しかったので
縁故を頼って身を立てようと
遥か海の上を渡って行ったのです

途中
知り合いの人がいる中国地方に赴き
赤間ヶ関に着いたのです
しばらくして
この地にある浄土宗の寺に
身を寄せました
この寺には
源平の戦で死んだ
平家の人々の墓や石塔や卒塔婆などが
多くありました
しかしそれらも
朽ち果て苔に埋もれ
もはや弔う者もありませんでした

団都は
客にあてがわれた部屋で
寝起きしておりました
しかし何かと物寂しい旅の宿
夢には何度も故郷が現れて
ついつい目が覚めるのでした

そんな
夜明けもまだ遠い
ある真夜中の事
とん とん
と部屋の戸を叩く音がしました
「誰ですか」
と団都が問うと
「わたくしはさる御方の使いの者です」
と女の声がしました

「我が主より
今宵の長い夜の慰みに
座頭殿に語りを務めて頂きたく
館にお連れせよ と仰せつかり
このように参りました
どうぞわたくしと共に
我が主の元へ」

団都は承知しました
「では」
と女は言って
団都の手を引いて行きます
やがて
大きな門の下をくぐって屋敷の中へ
入って行くのが感じられました

階段は石造り
欄干は玉で出来ているようです
さぞや立派な御殿なのだろうと
思っていると
楼閣の中へ通されました
錦と思われる間仕切りが手に触れる
簾を吹く風もかぐわしい香りがする

召使いの女達の囁き声が聴こえてきます
貴い方のおられる近くまで参りますと
艶やかな声が通りました
「座頭殿
参上くださり嬉しく思う
願わくば
平曲の中の一句を聴きたい」

召使いの女達を束ねる
上臈の女でした
団都はかしこまって
「どの件りに致しましょう」
「されば最も哀れであり
面白くもあるのは『小宰相の局』
これを」

団都は琵琶を抱え撥を手に取ると 
バラン
と四本の弦を打ち鳴らしました
そして琵琶の音を甲に上げ乙に落として
緩急巧みに語りました

女達はお喋りもやめ
音色と声に聞き惚れて
心の中で褒めそやしました

やがて団都は語り終えました
まだ息の荒い団都に
茶菓子が振舞われました

「さてもさても
琵琶の旋律も撥の音も巧みであった
しばらく休まれよ
それにしても哀れなのは
弱り果てて一ノ谷から屋島へ
落ち延びて行った人々
僅か十六で亡くなられた通盛殿
その後を追って
海へ身を投げられたお局
お二人を思うと
涙の種となる」

上臈の女の声に
居並ぶ女達は
みな袖を濡らしました
しばらくして
「いま一度 語ってほしい」
と上臈の女が言いました
「どの件りを」
「いや ただ一つ
もう一度小宰相の局を」

否応もなく団都はまた琵琶を抱えて
語り始めました とそこへ

「なぜ そこで
誰に平家を語っているのだ」

と荒々しい声がしました
団都はハッとして手を止めました
寺の和尚でした

団都は辺りを手で撫でてみました
上臈がおられたと思った所は
そうではなく固い何かが手に当りました
石で作られた石塔でした
召使いの女達は と辺りを探れば
それは苔が深く覆った卒塔婆でした

「ここは」
と団都が問うと
「ここは寺の墓地じゃ その石塔は
小宰相という貴人の女の墓である」
正気に戻った団都は
和尚に事の次第を話しました

「そういうことか
ならば今夜 汝は外へ出てはならぬ
出れば命は無いぞ
平家を聴いていたのは局の幽霊であろう
これは執着が深く
百夜も平家を聴きたがるであろう
穢れた死霊はお前を離さぬ
だが 儂が汝を守ってやろう」

和尚は団都に行水をさせました
そして降魔の呪文 般若の経文を
団都の全身に書きました しかし
和尚は粗相をしてしまったのです
団都の左耳には
一文字も書いてありませんでした

和尚はそれに気付かず団都に言いました
「音を立てるな 返事をするな
また驚いてさとられぬように」
やがて日が暮れました
真夜中
昨夜の時と同じ頃になりました
すると果たして女の声がしました

「団都」
「団都」
団都はただただ恐ろしく体を屈めて
ジッとしていました
「不思議や 座頭はおらぬ」

と 女は言って手探りで探しています
その手が団都の裸の体に当たりました
死ぬ と団都は思いました
だが経文に守られた団都の体は
幽霊の手には感じられないのでした

幽霊は
しばらく探しあぐねていましたが
「ここに座頭の耳がある」
と言うと左の耳をつかんで
荒々しく引きちぎりました

幽霊は去りました それでも団都は
無言で痛みに耐えていました
それから
団都は事の次第を和尚に語りました

「ああ
左の耳に経文を書き忘れたこと
いま思い出したわ 悔やまれる事だ
しかしありがたいことに命は助かった
耳ひとつ得たから
死霊たちの執着も失せたであろう
これからは安心であるぞ」

それから人々は
この団都を『耳切れ団都』とあだ名を
付けて呼んだ とのことです

以上が
座頭が私に語ってくれた話である

(了)

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