見出し画像

「いい奥さんになりそうだね」と褒められて微妙な気持ちになった話

わたしは昔からよく「いいお母さんになりそうだね」とか、「いい奥さんになりそうだね」とか、言われる。人畜無害を装うために深く被った巨大なネコチャンがそうさせるのだろうか。そして、「そんなことないよう」などとヘラヘラしていると、今度は「えー、料理とかめっちゃ得意そうじゃん」と言われる。なんなんだそれは。わたしのどこにそのような要素があった?料理の話なんてしたことない。ここ数ヶ月は鍋に具材を適当に放り込んで煮込むばかりで、しばらくフライパンすら触れていないのだし。まあ、推論でわたしのことを語られるのはべつにいいのだ。だって、自分のことをあまり語らないわたしのせいでもある。でも、その褒め言葉は正直あんまり嬉しくなかった。

わたしが高専を選んだのも、そのあと大学に行って院まで進学することを決めたのも、出来るだけ確実に自分の身を自分で養っていくためだ。長子だから、両親の老後の面倒を見ることもある程度は覚悟している。もし今後万が一結婚するなんてことがあっても、子供を育てるよりしっかり働きたい。定年まで勤め上げて退職金いっぱい貰いたい。そんなうっすらとした覚悟を15歳の頃から腹の奥で転がしていたというのに、だ。「いい奥さんになりそうだね」だって。いい奥さんって何?なんて、聞かなくてもわかる。美味い飯を作って、子供をいい感じに育てて、きっちり家計を管理して、夫の志を支えつつ、自分もスーパーのパートとかで程々に働き、家計の足しになる程度に稼いでくれる、夫側にとって都合の良い女人のことだろう。そういう人はそういう人で、一定数居ることは知っている。そういう人が、そういう暮らしを望んでそうしているケースがある程度の割合で存在していることも、それが実際どれほど難しいことなのかも、分かっている。けれど、わたしは別段そういう暮らしを望んでいるわけではない。前述の通り、社会の中で普通に働いて、稼いで、自分は自分で養いたい。だというのに、温厚っぽく振る舞っていて、性別が女だからというぐらいの理由で、「いい奥さん」の枠に押し込められていくわけである。てめーは他人の人生の脇役になってるのがお似合いだよ、という見下しの気配がうっすら感じられるのだ。勿論、そんなに深く考えて言ってないことぐらい、分かっちゃいるんだけども。

何が腹立つって、ちゃんと可愛くて、ちゃんと恋愛してる女子が同じ言葉を掛けられてるのは見たことがないってこと。「いい奥さんになりそうだよね」なんて、物分かりのよい「いい奥さん」にならなくても円満な家庭を築けそうな人間相手には言わないのだ、ふつう。わたしが何かを、例えばフルタイムで労動して賃金を得るというようなことを、犠牲にしないと成り立たないような相手でないと私なんぞと結婚してくれないだろうということを、向こうは無意識のうちに感じ取っているのだ。これらが全て自覚なしに、しかも善意から出てくるおかげで、私は微妙な気持ちにさせられる。

何か捻り出してでも褒めてくれようとした善意に正の、その下に潜む無自覚な見下しに負の感情が乗せられて、差し引きするとだいたいゼロ。だからこの言葉を掛けられるたびに、微妙な顔をしてしまう。

ほかのみんなはどうですか?いい奥さんとかいい旦那さんとか、他者の存在を前提とした物差しで測られて褒められるのって、嬉しいもの?



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?