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映画【永遠に僕のもの】 感想

最近話題の(?)アルゼンチン映画、「永遠に僕のもの」を鑑賞しました。以下の感想にはネタバレも含まれるため、未鑑賞の方は読まないほうが良いと思います。



物語は1971年、実際にアルゼンチンで起きた事件を基にしています。主人公の名前はカルリートス。ルネサンス期の絵画に出てくる天使のような容姿ですが、躊躇うことなく他人の家に侵入し、欲しいものは欲しいだけ盗んでくるような少年です。ある日カルリートスは高校で同級生のラモンと出会い、交流を重ねるうちにラモンの家に招かれます。善良オブ善良なカルリートスの両親と違い、ラモンの家は悪人一家。盗品や銃はごろごろしているし、それを悪びれることもありません。自分の家に窮屈さを感じていたカルリートスはラモンの家に入り浸るようになり、様々な犯罪を手伝うようになります。

この映画の宣伝では主人公が「殺人鬼」ということが強調されていますが、私はカルリートス本人は「泥棒」という意識が強いのではないかと感じました。物語の中でカルリートスは躊躇いなく何人もの人を殺害しますが、そのほとんどは盗みの最中です。欲しいものは楽に(働かずして)手に入れ、邪魔な人間が来たら銃を使う。その姿勢は徹底していて、カルリートスは人を殺すことに躊躇うこともなければ後悔することもありません。何が悪いの?という感じ。カルリートスが悪の道に逸れる描写とかもないし、根っからの、生まれつきの悪人としか言いようがありません。心配してくれる父親も、好物を作って待っていてくれる母親もいるけど、そんなことは関係なし。ここまで感情移入できないとなると、自分の人生とは完全に切り離された物語として見ることができるのでいっそ清々しいくらい。

でも、「生まれつきの悪人」だからといって感情のない殺人マシーンというわけではなく、むしろカルリートスは純粋ゆえの危うさも併せ持っています。

物語の後半、カルリートスがラモンの元を離れている間にラモンは新しい相棒を見つけていました。戻ってきたカルリートスに冷たく接するラモンと、ラモンの陰口を叩く新しい相棒。初めて自分のことを理解してくれたラモンが自分だけのものでは無くなったということに苛立ったのか、カルリートスはラモンを殺害してしまいます。ラモンが助手席で眠る車を運転してわざと対向車にぶつかりに行く、という自分自身の命も危険にさらす方法で、カルリートス本人も怪我を負っていたため、殺害という言い方が正しいかは分かりません。カルリートスは心中したかったのかもしれません。しかし結果的にカルリートスは生き残り、ラモンは「永遠に僕のもの」になったわけです。

作中でカルリートスが盗みに付随しない殺人を犯したのは、ラモンのことを侮辱し殴りつけた男と、ラモンの新しい相棒だった男と、そしてラモン本人だけ。しかしラモンとカルリートスは恋愛関係だった訳でも、親友と呼べる関係だった訳でもなく、ただカルリートスの悪のさがを理解したのがラモンだったというだけなのです。理解者を求めるカルリートスの純粋な欲求がたくさんの事件の引き金を引かせたのでしょう。昨今の日本で無差別大量殺人を起こした犯人のことを、失うものが何もない人という意味で「無敵の人」と呼称することがありますが、本質的な理解者をラモン以外に持たなかったという点においてはカルリートスも無敵の人だったのかもしれません。

主人公の行動には全く共感できないし残酷なシーンも多いけれど、画面の色彩と音楽が美しく、(カルリートスがあまりにも躊躇わないので)ハラハラするようなシーンも無く鑑賞することができました。万人にはオススメ出来ないけれど、刺さる人には刺さる映画だと思います。

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