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この世はゲーム。

この世って何なんと考えるとゲームだと思う。自分というプレイヤーを自由に設定して人生を味わう遊び。勝ち負けを争う遊びもあるし、誰も負けず分かち合うことで皆が満たされるゲームもある。他の人よりお金や物をより多く所有することが勝ち(成功)とされる資本主義の競争社会では勝つか負けるかが命取りのように感じるゲーム設定になっている。奪い合って勝って買って(お金・地位・名誉)を掴み取ることが良しとされる。人間の飽くなき欲望が爆発し、自然も人も市場経済の商品として消費され、本質的な繋がりの関係性が見えなくなり商品がこの世を一人歩きする。

人間は社会的な動物であり、国という大きな共同体を作り上げ、文明を発展させて物質的にはすごく豊かな食うにも寝るにも困らない生活を手に入れた。と同時に生きる本質とは遠ざかり、資本主義の限界や新しい社会のデザインを必要としているように思う。果たして、グローバルに拡大し続けて右肩上がりの経済成長を追い求めるゲームの行く末に希望はあるのだろうか。僕はもう一度、根本から問い直したい。この世がゲームなら、どんなゲームをプレイしたいか。資本主義や今まで教育や知識で与えられたゲーム設定を抜け出し、自分が望む人生ゲームをクリエイトして生きることに楽しさを感じる。あまりに複雑で分かりづらく、先人や支配者が決めたルール設定のゲームを押し付けられて生きるより、小さくてもいいから希望の種となるようなゲームの中に生きていたい。シンプルにこの世界を奪い合わずに、みんなで贈りあって満たし合えたら、もっと優しく、愛が溢れた、人間が本来もっている善意や良心に全振りした社会やコミュニティを作れるはずだ。そのためには、外から植え付けられた恐怖や洗脳から解放されて、この世のゲームの創造主として縦と横の繋がりを編み直し、人間らしい共同体のあり方を再構築してみたい。共同体とは、助け合うコミュニティのことだ。

贈与が巡る新世界をどうすれば作れるか日夜思考を巡らせ、隠岐の島にあるギフトハウスおきもちを舞台に、贈与の花咲爺さんになる日を夢みて活動している。新しい世界のシステムをデザインするのに人間観察をする。自分の思考や行動も省みて、内観する。ギフトのゲームを作るのに意識を働かせながら、人間には3タイプいることに気づかされる。ギバー、テイカー、マッチャーという概念がある。この概念は、世界一のビジネススクール「ペンシルバニア大学ウォートン校」の教授、アダム・グラント氏が提唱した人間の思考と行動を3タイプに分類した言葉だ。

ギバー・・・与える人
テイカー・・・受け取る人
マッチャー・・・バランスを取る人

正直、けっこう判断する自分がいる。あぁーこの人はギバーだな、うわぁーこの人はテイカーだわとか、マッチャーという考え方は知らなかったけど、確かに与えることと受け取ることのバランスを取る人もいる。僕が大事だと感じたのは、ギフトのゲームにおいて、この3タイプを場面に応じて渡り歩けるようになるとギフトの循環が起きると思う。ギフトは、与える人と、受け取る人が双方いてこそ成り立つもの。しかし、ギバーが自己犠牲的に利他しても疲弊するし、テイカーが相手から常に与えるより多く受け取ろうとすれば周りに人は寄りつかなくなる。マッチャーとして与えるのと受け取るバランスを取り、贈与が循環して対流するよう知性を働かせつつ高いコミュニケーション能力が求められると思った今日この頃。

ギフトのゲームは奥深い。
僕自身もまだまだレベルアップしたい。

未知なる贈与の旅はつづく

全身全霊で贈り人します‼︎