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連載「東京空襲体験記 字の風景録」を歩く 第3回―江東区木場・深川ギャザリア(旧藤倉電線深川工場)

 2023年3~5月に開催した企画展「空襲体験記を書く、一冊に編む」の写真図録を作りました。
ウエブサイト「東京空襲体験記 字の風景録」
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 4回の連載で掲載写真を紹介します。
 第3回は「写真5.4 深川ギャザリア(旧藤倉電線深川工場)の内部空間 2023.01.08」です。
片岡綾子の空襲体験記 風景録より
https://jifukei.wordpress.com/2023/06/26/%e7%89%87%e5%b2%a1%e7%b6%be%e5%ad%90%e3%81%ae%e7%a9%ba%e8%a5%b2%e4%bd%93%e9%a8%93%e8%a8%98/

写真5.4 深川ギャザリア(旧藤倉電線深川工場)の内部空間 2023.01.08

 下町というと零細な建物が密集するイメージですが、隅田川以東に関しては、河川・内湾など天然の物流・経済インフラを求めて、明治以来、大工場・軍事施設が点在し、風景の一部となっていました。
 空襲当時、三菱製鋼の寮母を務めた片岡綾子さんの体験記の舞台をたどるなかで、そのいくつかの現在風景を確認し、東京という「まち」の継承と再編のあり方について、考えさせられました。
 
 写真は江東区木場の「旧藤倉電線深川工場」跡地にできた複合施設・「深川ギャザリア」の様子です。藤倉電線は下町にあった巨大軍需工場の一つで、近隣では都立深川高女(現深川高校)の女学生の勤労動員先として、知ってはいました。しかし、現場をしっかり見たことはなく、今回、訪れてみると、オフィスとモールを組み合わせた巨大複合施設に生まれ変わっていて、目を見張りました。
 
 空襲当夜、片岡さんは三ツ目通り沿いにあったこの会社の貯水槽で、黒山の避難民とバケツを奪い合い、子どもと放水し合った体験を書いています。
 近年の巨大開発は、施設単体の開発にとどまらず、文化の継承や周辺環境との共存を掲げます。この空間に立つかぎり、ここで起きた戦争の影を感じ取ることは難しい。
 
 「帝都」であることを清算することで、「戦後の東京」が立ち上がったはずですが、戦争の一翼であった大工場については、建物が損傷しても、敷地は分割・解体されずに継続し、今もなお、用途を転換しながら営業を続けています。一方、その施設・下請関連産業を支えた労働者たち「個人」の体験をとどめるものは、保護・継承する仕組みも弱く、都市空間からどんどん消えていきます。
 戦後の東京において優先されたものは何だったのか。国家-大資本の空間と個人の空間の間に明確な階層性があったことを、東京風景の現実は示しています。この点、例えば、都市空間の身近な場所に、様々な形で戦争体験やナチス支配の跡を残しているドイツ都市とは対照的です。
 
 「帝都」であった東京の再解釈によって、「戦後の東京」が立ち上がったとすれば、その東京をもう一度、再・再解釈することが、今の課題なのだと思います。
 旧藤倉電線跡地の「深川ギャザリア」、東雲の旧三菱製鋼跡地の「東雲キャナルコート」について、「解説」の第3節「東京風景の現在-出来事とそこにいた人を受けとめる」で解説しました。
 よろしければ、ご覧ください。
https://jifukei.wordpress.com/2023/08/02/%ef%bc%bb%e8%a7%a3%e8%aa%ac%ef%bc%bd%e5%ad%97-%e9%a2%a8%e6%99%af%e3%82%92%e8%aa%ad%e3%82%80%e2%80%95%e7%a9%ba%e8%a5%b2%e4%bd%93%e9%a8%93%e8%a8%98%e3%81%ae%e9%a2%a8%e6%99%af%e5%b1%95%e7%a4%ba%e3%81%ab/

 このたび、ウエブ公開した図録。 「風景写真」と「体験記の引用」をセットで31点、掲載しました。 ぱらぱらっとページをめくりながら。 東京を歩きなおす感覚で、ご覧いただければ幸いです。
https://jifukei.wordpress.com/ 

#字の風景録

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