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連載「東京空襲体験記 字の風景録」を歩く 第1回―深川区三好・浄心寺の記念碑

 2023年3~5月に開催した企画展「空襲体験記を書く、一冊に編む」の写真図録を作りました。
ウエブサイト「東京空襲体験記 字の風景録」
https://jifukei.wordpress.com/

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 4回の連載で掲載写真を紹介します。
 第1回は「写真4.3 浄心寺南側の道路 2023.01.07」です。
森川直司の空襲体験記 風景録より
https://jifukei.wordpress.com/2023/06/26/%e6%a3%ae%e5%b7%9d%e7%9b%b4%e5%8f%b8%e3%81%ae%e7%a9%ba%e8%a5%b2%e4%bd%93%e9%a8%93%e8%a8%98/

写真4.3 浄心寺南側の道路 2023.01.07

 写真図録を制作しようと思うきっかけになったのが、この写真です。
 当時深川区三好町(現江東区三好)在住の森川直司さんの体験記に出てくる場面です。
 森川さんは、一旦清澄庭園を目指しますが、火災に追われ、結局、この写真にある浄心寺・南側の道路に出ます。この道路際に2、30人が追い詰められ、押し合いながら一命を取りとめます。
 その一因として、境内に「セメントで作った土まんじゅう」のような関東大震災の記念碑があり、道路との間にすき間があったこと、記念碑の表面に「火に追われてひれ伏している女性の像が浮き彫りにされている」と書かれているのですが、この奇妙な像のイメージが、どうしても浮かびませんでした。
 
 ところが現場に行ったところ。
 ほぼ森川さんの記述通りの記念碑がそこにあったので、驚きました。風景によって体験記が裏付けられ、その状況をくっきりと把握できました。説明板によると、これは1925(大正14)年、朝倉文夫門下の彫刻家・日名子実三が作った「蔵魄塔」という関東大震災の供養塔とのことです。
 
 形を保った風景には、体験記を裏付ける「資料」としての価値があること。「解説」の第2節「資料としての風景」で書きました。
 よろしければ、一緒にご一読ください。
https://jifukei.wordpress.com/2023/08/02/%ef%bc%bb%e8%a7%a3%e8%aa%ac%ef%bc%bd%e5%ad%97-%e9%a2%a8%e6%99%af%e3%82%92%e8%aa%ad%e3%82%80%e2%80%95%e7%a9%ba%e8%a5%b2%e4%bd%93%e9%a8%93%e8%a8%98%e3%81%ae%e9%a2%a8%e6%99%af%e5%b1%95%e7%a4%ba%e3%81%ab/

 このたび、ウエブ公開した図録。 「風景写真」と「体験記の引用」をセットで31点、掲載しました。 ぱらぱらっとページをめくりながら。 東京を歩きなおす感覚で、ご覧いただければ幸いです。
https://jifukei.wordpress.com/

#字の風景録

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