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『擬娩』レポート|林葵衣

 したため#7『擬娩』(2019年12月)で舞台美術を担当した美術家・林葵衣さんに書いていただいたレポートを掲載します。執筆時期は2020年の年末から2021年の初頭、上演からちょうど1年が経ったころです。その後、『擬娩』は2021年秋にKYOTO EXPERIMENTにて再創作版が製作され、そして来る2023年2月には東京での再演が計画されています。
林葵衣さんは、2019年の『擬娩』初演に続き、2023年の再演にも同じく舞台美術として参加してくださいます。


したため「擬娩」制作 観察日誌

 2021年
 
1/22
演出家和田ながらさんのユニットしたためが2019年12月に京都・沖縄で行った舞台公演『擬娩』についてのレポート執筆依頼があった。
したため過去作『文字移植』『ディクテ』に続き舞台美術を担当させていただいたので、その時にあてもなく書きとめていた観察日誌とメモを引っ張り出し読みなおすことで当時の感触を再起動し、自分でもまだ整理し切れない「擬娩」という行為へ再接近を試みる。

photo: Yuki Moriya

2019年
 
3/28
昨日31歳になった私に和田さんから「たんおめ」のメッセージとともに、
恵文社で行われる多和田葉子×藤井光のトークショー『あいだ、穴、荒れ地』の案内が送られてきたので予約した。
 
4/8 恵文社
トークショーを拝聴し終えた帰路、和田さんに「12月に”擬娩”というテーマで演劇をやるので舞台美術やらない?」と誘われた。
擬娩ってなに?という言葉よりも先に、過去2作品の舞台公演に関わらせてもらっていたので私にはもう目新しい舞台美術を舞台上に持ち込める自信がなかった。
林「多分もう髪くらいしか持ち込めないよ。あとは爪とか歯とか。」
和田「歯?永久歯?」
林「永久歯。」
和田「抜くの?」
林「うん」
和田「それは嫌だわ。要らないわ。」
高野のバス停で和田さんを見送り、自転車で帰った。
誕生日プレゼントは多和田葉子さんの新刊だった。
 
4/9
擬娩の企画書が送られてくる。考えさせてほしい旨の返信をした。
 
4/24 木屋町通りのタイキッチン BARAMEE
和田さんとミーティング。
擬娩の舞台美術やりますと答える。
理由は、私は妊娠したことがないからだった。“経験がないことを皆で考えるところからのスタート”というところに惹かれた。
 
6/13 シアターE9
見学会に参加
 
9/4
和田さんに、擬娩の舞台美術は透明テグスがなんかええなと思っている旨を伝える。
初期段階では、わたしは擬娩的行為を自他境界の喪失だととらえていた。
しかし、擬娩するということは他者と安易に同化しようとすることではなく、たとえ配偶者同士であっても個別のひとりであるという断絶を自覚したうえで、どれだけ他者へ想像力を差し向けることができるか、に注目していこうという話になった。 

photo: Yuki Moriya

10/17
志賀理江子_亡霊.pdfテキストを読む。
「生まれゆく人、命尽きた人のいる場所は同じかもしれない。」
「穴、そこに彼が芽吹いた。いつ何時も、私たちは「個」なのだ。」
 
10/24
ブレイディみかこ 「ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー」を読む。
「臭い靴でもダサい靴でもとりあえず履いてみる、その状態を想像してみるのが人間の知性。」
 walk in someone's sheos/自分で誰かの靴を履いてみること
 
10/25 京都芸術センター制作室9 稽古場に初参加
和田さん、増田さん、松田さん、林 が稽古場にいた。
増田さん、松田さんと初めて顔を合わせた際に抱いた印象は下記。
増田さんは、聡明でクールな印象を受けた。あまり多くを語る人ではない。でもときおり、くしゃっと笑ってくだけた話し方をするところがいい。
松田さんは、大人びた顔つきからは全く想像できないキュートな性格の持ち主で、ギャップがあった。とても真摯な話し方をする人。
 
自己紹介をした後、擬娩について思うことを自由に話す。
わたしは話し合いで出たキーワードをメモに書き留めていた。
 
志賀理江子/亡霊/プロジェクション/ぶきみの谷/アンドロイド観音/テクノロジー/AI/ドローン/戦争/広告/CM/アップルグラス/ブレグジット/政治/主戦場/新聞記者/セリフの覚え方(バレエダンサーは早い)/録音派と書き取る派と唱える派がいる/塑像・デスマスク/手塚夏子・私的解剖実験/小泉明朗・サクリファイス/VRは見えているものがない・目だけ、手がない/VR世代の身体論/文体練習/演出方法/天皇の扱い/介護する人、される人/ドキュメンタリー・とる人、とられる人/個体発生は系統発生を再演する/
 
気がつくと5時間経っていた。
ちなみにこの後、数十日間の稽古場でも、ひたすら擬娩について話す時間が続く。
役者さんが動きながら考えたりすることもあったが上演のためにどのシーンでどうふるまうか、何を演じるかを決めるために動き出したのは、本当に公演の直前だった。
  
10/28 シアターセブン・左京東部いきいき市民活動センター 会議室2
稽古で出てきたキーワードであり公開中の映画「主戦場」を見る。
大阪の第七劇場で見た際の上映中にもメモを書き留めていた。
河野談話/日本会議否定論者/日本軍は朝鮮の家長夫制を利用し慰安婦制度を作った/もののように扱われる事/教科書議連/戦前、女性は人権がなかった/宗教/明治憲法/北一輝/日本会議の前身団体/神道/加瀬英明/吉田清治/
 
10/31 中京いきいき市民活動センター 会議室2
和田さん・岸本くん・増田さん・松田さん・林
岸本くんと久しぶりに会う。彼は『文字移植』『ディクテ』にも出演している役者さんで、本公演のフライヤーをデザインしたデザイナーでもある。
普段は冷静なのに、時折垣間見える激情的な表情や表現に驚かされることがある。
稽古をはじめる前、いつもあるワークを行うことになっていた。
稽古に参加する役者さんたちで車座を組み、一人がまず自分の経験をなんでもいいので語る。
次に隣に座っている人が、その語られた経験をできるだけそっくり模倣する形で話し、その後自分の経験を、またなんでもいいので語る。これを座組みの全員が行う。
お腹が痛かった時に電車に乗らないといけなかった話、生理痛の話、女性の身体は1ヶ月の中でも月経期・卵胞期・排卵期・黄体期と4つの周期があることや、どんな生理日管理アプリを使用しているかなどの話をした。
 
11/3 中京いきいき市民活動センター 会議室3
三田村さん・和田さん・岸本くん・増田さん・松田さん・林
三田村さんに初めてお目にかかる。印象は、初めに会った時は”もの静かな人”だったのだけれど演技を見て、”爆発的な人”という真逆の印象に塗り替えられた。
出産したことはない役者さんたちが、出産したという前提でその時の経験を語るというワークを行った時のふるまいが、一番切実で切迫していたからそう感じたのだと思う。
 
出産体験を語るワークで印象に残ったそれぞれのセリフ
岸本くん「あ、ちなみに初産です。」
増田さん「それまで大事にしてきたものとか好きだったものが離れていくというか私じゃなくなっていくやないかみたいな。」
三田村さん「痛いんですよ、もう、わかるかな、これ。じゃあやってみろと言いたい。そんな感じ。」
松田さん「自分の知らない扉をドンドン開け続けるような。」
 
11/9 中京いきいき市民活動センター 会議室4
偏向板、錆びた窓枠、木枠にテグスを巻いた立体をテストとして持ち込む
偏向板(特定の方向から入ってくる光のみを透過させるように作られた樹脂製の板)を使うことは目に見えないものを視覚化する一つの方法
 
11/10 京都芸術センター 制作室9
わたしたちが生きる上でたいせつなことは、わからないものに囲まれたときに、わからないままにそれらとどう向き合うかということであろう。
それに、人間にあっては、近いもの(たとえば自分の感情、性、家族)、大事なこと(例えば政治)ほど、見えにくいものだ。
言葉にはなりえないもののうちに、それでも言葉を駆使して潜り込んでゆくこと。
鷲田清一 「想像のレッスン」より

 11/11 京都芸術センター制作室9
舞台美術の打ち合わせ
 
11/15 京都芸術センター制作室9
木枠にテグスを巻いた立体を複数持ち込む。
稽古場にいる人たちとともに、光に照らしてみたり、手を通してみたりと実験をするなかで、さまざまな役割を持たせられることを発見する。
 
11/17
出演者に関するデータ
松田早穂 168cm
三田村 啓示 160cm
岸本 昌也 178cm
増田 美佳 155cm
 
11/18 studio seed box 美術実験・京都芸術センター制作室9
自身のお腹が抱えきれないほど大きくなった場合の身の振る舞いを役者さんがそれぞれ行う。
  
11/21
京都シネマで「新聞記者」を観る。
帰り際、東向かいにある三菱UFJ銀行のビルで、避難用具のような青とオレンジの二本の糸を支えに体を固定し、窓ガラスの点検をしている作業員さんをみかける。
二本の糸が、静脈と動脈を連想させた。

photo: Yuki Moriya

 11/23
擬娩というモチーフを、現象と感情に分けて考える。
妊婦を夫が真似る行為→それによってまねるもの、まねられるもの、またその周囲が動かされる感情
妊娠は私の日常からは遠いものだけれど、擬娩をする夫が想像力をはたらかせ、目の前にあるものからないものを想像するような行為は日常だから、これは私にもできると思った。
とりたてて何かを擬娩のために作るというのではなく、舞台美術ではこれまでの経験をふまえて今まで通りをしようという意識を持った。
 
11/25 京都芸術センター 制作室9
稽古場へ4つのサイズの異なる木枠にテグスを巻いた立体を持ち込む
 
11/26 京都芸術センター 制作室9
昨日とは違う大きさの木枠にテグスを巻いた立体を持ち込む
 擬娩のグループLINEにながらさんが作成した「ララバイ」というテキストが送られてくる

11/27 京都芸術センター 制作室9
稽古場の両サイドに板を立て、舞台上の上下にテグスを張る実験を行う
 
11/30 京都芸術センター 制作室9
木枠を吊った状態で立ち位置の確認を行う
 
12/1 京都芸術センター 制作室9
稽古場は木枠を吊った状態。どんどん演出が入る。
 
12/3 シアターE9
仕込み1日目
明日のスケジュール
9:30~11:30 仕掛け
11:30~12:30 音響作業
12:30~14:30 照明作業
14:30~18:30 場当たり
19:30~ 通し
21:30~ 退館
 
12/4 シアターE9
仕込み2日目
1度目の制作費を受け取る。
舞台美術の制作が間に合わず楽屋に泊り込む。
太さの違うテグスを無心で巻き続けていると深夜に美術の木枠フレームが折れた。
もう明日の公演はできないと思ったがアトリエにまだ同じサイズの木枠があった。
DiDiでタクシーを呼んで、アトリエまで木枠を取りに行き、またE9まで戻ってきて、朝まで巻き続けたら、ちゃんと完成することができた。
あの時楽屋に居続けた精神状態をいまでも忘れることができない。
あの時の私は本当に一人で、だからこそ無敵だった。
 
12/5 シアターE9
仕込み3日目
13:00~場当たり
 
12/6 シアターE9
京都公演初日
2度目の制作費を受け取る。
 
12/7
京都公演2日目
12/8
京都公演3日目
12/9
京都公演4日目 

photo: Yuki Moriya

12/10 関西国際空港→那覇空港
沖縄への移動日
 
12/11 銘苅ベース
仕込み1日目
明日のスケジュール (擬娩グループLINEより)
9:00 位置最終確認後テクニカル手直し作業
13:00-18:00 場当たり
19:00 通し
 
12/12 銘苅ベース
仕込み2日目
明日のスケジュール (擬娩グループLINEより)
9:30-10:30 舞台プリセット
10:30-11:00 照明手直し 外でおはなし会
11:00-12:00 稽古
12:00-14:00 ゲネ準備
14:00-15:30 ゲネプロ
19:30 受付
19:40 開場
20:00-21:30 本番
 
12/13 銘苅ベース
沖縄公演初日
明日のスケジュール (擬娩グループLINEより)
15:00-最大16:30 おはなし会 稽古
16:30 本番準備
18:20 集合
18:30 受付
18:40 開場
19:00 本番(終演後トークあり)
 
沖縄初日の公演を見る。
いつもは客席の後ろから公演を見ていたので最前列で見る事ができて嬉しかった。
自分の手から離れたものを観て号泣しながら爆笑できることは幸福だった。
 
役者さんがテグスに触れるたびに、テンションをかけるたび、影に隠れて見えなくなるたび、ちぎれてしまわないか、からまってしまわないかと心臓はどきどきし、繋がっているはずのテグスを探していた。
どの公演も、途中でちぎれたり絡まることはなかった。
 
12/14 那覇空港→関西国際空港
沖縄公演2日目
所用のため一足先に京都へ帰る。
 
12/15
沖縄公演3日目
擬娩千秋楽。
 
公演自体のレビューは京都・沖縄ともに素晴らしいものがいくつも書かれているのでそちらをぜひ読んでほしい。

photo: Yuki Moriya

 2020年
 
1/1
私の母に私を産んだ時の話を聞いた。「擬娩」の公演は終了したが、私なりに擬娩をしようとしてみた。
母は私のことを、生まれる前から「個別の生き物って感じやったわ」と言っていた。
私が腹にいるとき臍の緒が繋がっている私のことを自分の体の一部だと思ったことはあるかと聞くと母は「まったくない」と力強く返事をした。
「案ずるより産むが易しやで」とも言っていた。
 
ここから1年ほど期間が空き、2021年1月22日(金)に和田さんから「擬娩」についてのレポート執筆依頼を受けとることになる。
 
 2021年
 
1/27
想像力の再起動をもう一度再起動しようと思い、1年前にあてもなく書いていた制作日誌を読み返した。
文字を読むと、あの時あの人が話していた言葉がそこにあって、耳を澄すますとまだ声がする。
 
2/5
久しぶりに会った親友が、「子どもができた、一ヶ月半だ」と教えてくれた。
おめでとう!と、とっさに言って、あ、おめでとうって言っていいのか?と聞き直した。
いいよーと言ってくれた。
 
2/11
近所のハンズで、いつも買う珈琲豆をなんとなくノンカフェインにしてみた。
美味しく飲めたので先の親友に勧めてみたが珈琲自体をあまり飲みたくなくなったという。
「鉄分が不足しているのか、プルーンが食べたくなる」
「人体は不思議だねえ」
今度はドライフルーツ屋に行ってみようと思った。 

photo: Yuki Moriya

直近までの体験を擬娩観察日誌とともに振り返り、擬娩的行為について考えていた時間にもう一度身をひたしてみた。
 
擬娩とは、個が受け止めきれないものをみんなで抱えることだ。
1人が受け止めきれないものを、他人たちで抱えてみようと試みる。
自分勝手な思いやりでも共感でも投影でも依存でもなく、理解すること、了解すること。
自分で誰かの靴を履いてみることだ。(これは2019/10/24に読んだブレイディみかこ 「ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー」より引用。)
 
他人の痛みはわからない。わからないことは怖い。
それでもそばに居続けようとするならば、反射的に体が対応できることは身に任せ行いつつ、その人が痛がっていることを見つめたり、できるだけ遠くに距離を取ってみたり近付いてみたり、手出しができない時は周辺をうろうろするしかない。
100パーセント痛みの追体験ができない人の葛藤の出口はどこか、核の周辺をぐるぐる走り回りながらひたすら探した時間だったように思う。
 
それは同時に好奇心をゆさぶられる時間でもあった。
したための「擬娩」に関わる人たちとともに、わからないことへ直接触れ、話を聞き、知恵を得て話し合うことで”妊娠した女性”の周辺を想像していた。
知ることでショックを受けたり抱えきれないと呆然とすることもあったが、なぜなんだろう?と問い続ける楽しさが常にあったから、最後まで続けることができた。
知ることで偏見を減らしていくということは、当事者と向き合った時ぎくしゃくせずに接することができるようになるということだ。
想像して動き、また考える。それを繰り返す。経験にしがみつかず先を見る。
 
多和田葉子が「文字移植」のなかで「経験なんて積むためにあるんじゃなくて壊していくためにあるのに。」(多和田葉子「文字移植」より)
という一文を書いている。
 
擬娩という経験を積した人たちが壊していくべきものはなんだろう。
 
出産の後にあるものは子育てである。
この世に生まれでたばかりのひとつの個、新生児と向き合うこと。
子どもは水深5cmの高さで溺れてしまうことがあると聞く。子育ては痛みの周辺をぐるぐる回るばかりでなく、未知への先回りが必要になってくることばかりなのではないだろうか。
もたらされる体験は、擬娩で得た経験値をフル活用してもなお、その経験を軽やかに壊し、更新していくはずだ。
その行為は、未知を噛み砕き消化していく生死と隣り合わせの”遊び|Play”である。

photo: Yuki Moriya

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書籍からの引用メモ
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・西インド諸島のカリブ人
ある種の肉を食わないようにすべきだと考えている。男達がそれを食うと予定の子どもがある神秘的な方法で害われてはならないと慮るからである。
天竺鼠は、かくてその小さい動物のように、子どもが貧弱になってはならないと、タブーとされている。
ハイマラもその魚の目の角膜が角膜翳あるいはそこひ(底翳・現在でいう内障の意)を暗示しているので、子どもが盲目になってはならないとて、タブーとされ、ラッバは、子どもの口がラッバの口のように、突き出てはならないと、或いは、子どもがラッバのような斑点が出来ては、その斑点が結局潰瘍になるだろうからと、慮ってタブーとされ、マルディも、その鳥の叫び声が、死の前兆だと考えられているところから、嬰児が死産してはならないと、禁ぜられている。
・擬娩が実修されていることの、或るいは、いたことの、記録された諸地方は、諸々の巨石記念物(megalithic monuments)と以下のごとき習俗との関聯した諸地方と、注目すべき程度に、一致するのが観られるのであって、その習俗というのは便宜上、陽石文化複合(heliolithic culture complex)と呼ばれたところのものと通常結合した諸所の習俗であって、その複合は、多くの珍奇な習俗と信仰を包含し、その中のものは太陽崇拝(sun-worship)・木乃伊作成(mummification)・耳朶穿孔(ear-piercing)・入墨(tatooing)・及び頭蓋骨変形(eranial deformation)と、特に述べられるかもしれない
・女の嬰児は乳房が成長しないように、発育が軍事訓練の支障とならないように焼かれる。右の乳房だけが弓の使用を妨げないように切断された。
・自分自身の下腹部を揉み続け山の神々に妻の安全な分娩を祈り続ける。陣痛を感じるや否や女の衣類を取りそれを着る。
・女は苦痛を男に負わせよ
・苦痛の置換
・父を別な他の1人の母として準える真似事
・出産後の擬娩は伝染呪術
・出産前の擬娩は類間あるいは模倣呪術
ワーレン・アール・ドーソン 著,中西定雄 訳「擬娩の習俗」より
 
・「擬娩(couvade)」…子どもが誕生する際、男の方が生みの苦しみを演ずることによって父性の確証を得る風習(女の方はひっそりと本当の分娩をする)
ウェストン・ラバー「動物としてのヒト」より
 
・テクノニミー/teknonymy
E.タイラーがギリシア語の teknon (子供) と onoma (名前) からつくった社会人類学の術語。
子供をもつ夫婦がその固有名の代りにその子供 (普通性別は問わない) の名前に結びつけて呼ばれる慣行をいう。
たとえば,ある人はAという名前で呼ばれているが,Bという子供ができてからは「Bのお父さん」「Bのお母さん」と呼ばれる。
したがって夫婦の固有名は次第に忘れられ,子供の名前を言わなければ本人がわからないという結果が生じることもある。
テクノニミーの顕著な例の一つは,インドネシアのバリ島民にみられる。
「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」より
 
・「まね」は「まねぶ」から来ている。
「まねぶ」は「まなぶ」と同源であるが、まねすることがもとの意味であった。
まね、まねぶ、まなぶはともに平安期初期から用例がある。
漢字表記系「真似」の例が現れるのは中世以降でそれ以前は仮名書きが普通であった。
別の辞典には、真似と書くようになったのは14世紀頃からのよう。
〝ま″と〝真″は直接の関係はなく、一種の接頭辞のようなもの、〝ね″は〝に″の音の転と考えてよさそうだ、と載っている。
早稲田大学 知的財産法政研究所「まね(真似)の語源」より  

photo: Yuki Moriya

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舞台美術に落とし込むための雑記
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擬娩とは他者同士の神経がすれ合うようなふるまい
わたしが一番失くしたら困るもの
 
末梢神経のモビール
4つの木枠を吊る 
最後に神経を切る
 
感覚神経 Sensory nerve
運動神経 Motor nerve
脊髄反射 Spinal reflex
 
ある種のフレーム、骨組み
木枠/身体の神経/臍の緒/書物
子宮/半鏡/分断線/縫糸(手術など)
 
擬娩とは妊婦を夫が真似る行為
まねるもの、まねられるもの、またその周囲が動かされる感情
父を別な他の1人の母として準える真似事
出産後の擬娩は伝染呪術
出産前の擬娩は類間あるいは模倣呪術
 
夫の体重が増える。
生まれてくる胎児のために、食べてはいけないもの、してはいけない行為がある。
宗教、またはタトゥーやピアスのように現代にファッションとして残らなかった、または消されてしまった習俗。
その理由は近代化、男性中心社会化?

photo: Yuki Moriya

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舞台上で聞き取った音声の覚書
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父の父の父
遺影
母の母の母ににていて、
 
ディオレサンス
クロードモネ
ジュード・ジ・オブスキュア
 
滋賀は車社会
煙草吸うのやめます
まじ?
猫に触りすぎるのやめます
こってり系のラーメンのスープ完飲するのやめます
86万円貯めるために無駄使いするのやめます
セックスの頻度を控えます
自転車乗るのやめます
ハイヒールやめます
 
まず、洗濯機を買い替えないといけない
洗濯物が増えるから
洗濯物をベランダに干せない
から乾燥機を買わないといけない
国道沿いで粉塵がすごいから
でも洗濯機の上に棚があるから
乾燥機が置けない
角があってあぶない
から引っ越さないといけない
そういうのに詳しい不動産屋さんに行かないといけない
 
生牡蠣、生、なま、なまが、ががが、生生生生なま、が、き、生牡蠣、食べたい
 
賭けみたいなもんですよね
波打ち際の揺らぐ境界線のように陣痛の間隔があり、
それは気が狂ってしまわないための反復の働きで
しあわ、せ あい、たい、あいたいあいたい
 
ついにその時が来た
その時彼は重力を受けたのだと思う
生まれたことはありますが
産んだことはありません
 
出産えくすまきな
ハイクオリティなたまご
これは国が主語です
親は孫を産めます
あらゆる受精卵は合意ですか?
この気持ちはだれですか?
ホルモンはわたしですか?
それともどなた様ですか?
 
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2021.2/28 
林 葵衣 


したため#8『擬娩』
日程
|2023年2月9日(木)~12日(日)
会場|こまばアゴラ劇場(〒153-0041 目黒区駒場1-11-13)

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